辻 亮一(つじ りょういち、1914年9月28日 - 2013年3月6日)は、日本小説家

辻 亮一
(つじ りょういち)
毎日新聞社編『人間形成ある根性. 続』(1964)より
誕生 (1914-09-28) 1914年9月28日
滋賀県神崎郡南五個荘村
(現:東近江市五個荘金堂町
死没 (2013-03-06) 2013年3月6日(98歳没)
職業 小説家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 早稲田大学
活動期間 1949年 - 1962年
ジャンル 小説
代表作異邦人
主な受賞歴 芥川龍之介賞
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来歴

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滋賀県神崎郡南五個荘村金堂(現在の東近江市五個荘金堂町)生まれ。従兄に画家の野口謙蔵がいる。呉服商・辻市左衛門の五男で、父に謡曲を習う。

八日市中学校早稲田第二高等学院を経て、1937年早稲田大学文学部フランス文学科卒業。高等学院在学中、八木義徳多田裕計中村八朗らと同人雑誌『黙示』を創刊。大学卒業後は満洲に渡り、東満洲鉄道の親会社である東満洲産業に勤務した。

敗戦に伴い、中国共産党軍に抑留され、妻を失う。1948年に帰国した後に再婚し、長浜ゴム(のち三菱樹脂)に勤務。1949年、中国共産党の手榴弾工場で徴用された経験を描いた「異邦人」を書く。これを八木義徳に郵送すると、八木が同郷の外村繁に見せ、外村が『新小説』に推薦して掲載される。1950年、「異邦人」で第23回芥川賞受賞[1]、単行本化。その後も細々と創作を続けるが、1962年頃に筆を絶つ。

1963年、三菱樹脂営業第三部長。1970年に退社すると、仏教に傾倒する。1972年より『大真』に仏教論文を連載した。

2013年3月6日、心不全のため死亡[2]。98歳没。

著書

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脚注

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  1. ^ 辻亮一氏が死去 作家”. 日本経済新聞 (2013年3月7日). 2025年7月7日閲覧。
  2. ^ 芥川賞作家の辻亮一さん死去 産経新聞 - ウェイバックマシン(2019年6月6日アーカイブ分)