近田春夫&BEEF(ちかだはるおとビーフ)は、かつて存在した日本ロックバンドである。1979年結成、1980年に発展的解消。近田春夫が組成し、ジューシィ・フルーツの前身となったバンドとして知られる。

近田春夫&BEEF
出身地 日本の旗 日本東京都
ジャンル ロックテクノ歌謡
活動期間 1979年
レーベル キングレコード
事務所 近田春夫事務所
メンバー 近田春夫 ヴォーカルキーボード
奥野敦子ギター
柴矢俊彦(ギター)
沖山優司ベース
高木利夫ドラムス
旧メンバー 茂木由多加(キーボード)
野毛ゆきおパーカッション
ブライアン・デ・パルマ監督作
ファントム・オブ・パラダイス

略歴・概要 編集

1979年(昭和54年)1月、女の子バンド・ガールズが解散し、同バンドのイリア(奥野敦子)と近田春夫&ハルヲフォン解散後の高木英一とがバンドを組んだ[1]

また一方、近田春夫もソロ活動が始まり、同年5月21日には、イエロー・マジック・オーケストラが編曲と演奏に参加したソロデビューアルバム『天然の美』(1979年)をリリース、実際に営業等ライブ活動を行うためには、バックバンドを必要としていた[2]。近田がイリアに声をかけ、アマチュアバンド「東京スタイルズ」の沖山優司と高木利夫、さまざまなバックバンドのギタリストをしていた柴矢俊彦、元四人囃子の茂木由多加、「野毛スマイル」の野毛ゆきお(のちのNOGERA)が集められて、同年、結成する[2]

「BEEF」の由来は、ブライアン・デ・パルマ監督の『ファントム・オブ・パラダイス』(1974年)に登場する、ジェリット・グラハム演じるホモセクシャルのロック・シンガーの名「ビーフ」からとった[2]

同年8月、東京・渋谷のライブハウス「ワルツ」で初ライヴ、同年9月15日 - 16日銀座の「博品館」でピーターとのジョイントライヴ『TOKYOスキャンダル』に出演、ピーターのバッキング演奏もBEEFが行った[3]

同年9月21日、「近田春夫」ソロ名義でシングル『ああ、レディハリケーン』をリリース、テレビ出演等には「近田春夫&BEEF」名義で出演していた[4]。同年10月 - 11月には、神戸女学院大学龍谷大学戸板女子短期大学等の学園祭にも出演、同年12月31日浅草国際劇場での「第7回浅草ニューイヤー・ロック・フェスティバル」に参加した[3]

年明け、1980年(昭和55年)4月29日日比谷野外音楽堂でのライヴイヴェントに出演した[4]が、そのころ、近田が、キングレコードから日本コロムビアに移籍し、「半年間は移籍先でのレコードリリースができない」という当時の事情から、近田はBEEFを発展的に解消し、同年6月1日、奥野、柴矢、沖山、高木の4人が「ジューシィ・フルーツ」として『ジェニーはご機嫌ななめ』(日本コロムビア)でシングル・デビューした[2]。同年10月25日、近田は、ソロアルバム『星くず兄弟の伝説』を日本コロムビアからリリースした。

現在、音源は、1992年(平成4年)11月21日にキングレコードからCD再発売されたアルバム『天然の美』のボーナストラックとして、2曲が収録されている。なお同アルバムのCD1989年盤には収録されてはいない[5]

ディスコグラフィ 編集

シングル 編集

  1. ああ、レディハリケーン 1979年9月21日発売 (キングレコード、GK-8083) - 「近田春夫」名義
  2. 世界で一番いけない男 - 同シングルB面

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  1. ^ 恒田義見の公式ブログ「ROCK'N ROLL MY WAY」内の「ハルヲフォン誕生」(2008年12月14日付)の記述を参照。
  2. ^ a b c d #外部リンク内の「ジューシイ・フルーツ HISTORY OF THE JUICY FRUITS」リンク先の記述を参照。
  3. ^ a b 浅草国際劇場での「7th ASAKUSA NEW YEAR ROCK FESTIVAL 1979-1980」(1979年12月)のパンフの記事を参照。
  4. ^ a b 石川誠壱のウェブサイト「近田春夫と私」の記述を参照。
  5. ^ #外部リンク内の「天然の美」リンク先の記述を参照。

関連項目 編集

外部リンク 編集