近藤一樹
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近藤 一樹(こんどう かずき、1983年7月8日 - )は、神奈川県相模原市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。
東京ヤクルトスワローズ #20 | |
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![]() 2016年8月23日 静岡草薙球場にて。 | |
基本情報 | |
国籍 |
![]() |
出身地 | 神奈川県相模原市 |
生年月日 | 1983年7月8日(36歳) |
身長 体重 |
183 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2001年 ドラフト7巡目 |
初出場 | 2003年10月7日 |
年俸 | 6,000万円(2019年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴編集
プロ入り前編集
小学3年の時、大野台アニマルズに入団。中学時代はボーイズリーグ「相模原ホワイトイーグルス」に所属。2年夏と3年春に全国大会出場。日大三高では3年生の時にエースとして内田和也、千葉英貴、都築克幸らと共に第73回選抜高等学校野球大会、第83回全国高等学校野球選手権大会に春夏連続出場。第83回全国選手権では同校の初優勝に貢献した。
2001年度ドラフト会議にて大阪近鉄バファローズから7巡目指名を受けて入団。なお、前述の内田、千葉、都築らも同年のドラフトで指名された。これは同じ高校の選手が同じ年のドラフトで指名を受けた史上最多タイ記録である[2]。
近鉄時代編集
ウエスタン・リーグでリリーフとして6試合12回1/3に登板。
二軍で11試合26回に登板。チーム最終戦のオリックス戦で一軍初登板を果たした。
9月20日の対オリックス戦でプロ初先発・初勝利を記録。前年の1試合から11試合に登板数を増やし防御率1.08を記録した一方で、16回2/3を投げて10四球、2暴投と入団時からの課題である制球難を克服できていないことも露呈した。シーズン終了後、球団合併による分配ドラフトでオリックス・バファローズへ移籍。
オリックス時代編集
前年に比べて一軍公式戦での投球回数が半減したが、フレッシュオールスターゲームにウエスタン・リーグ選抜の一員として出場した。同リーグの公式戦では、投球回数(82回2/3)と奪三振数でいずれもリーグ4位を記録。与四死球を30個にとどめる一方で、被安打、被本塁打、自責点はいずれも、リーグの規定投球回到達投手で最も悪かった。
一軍公式戦での登板機会がなく、ウエスタン・リーグ公式戦でも10試合(32投球回)の登板に終わった。
2年ぶりに一軍公式戦への登板を果たした。ウエスタン・リーグ公式戦には、21試合に登板すると、104回1/3、75奪三振(いずれもリーグ2位)、防御率2.76を記録。また、9勝3敗という成績で、リーグ最多勝と最高勝率を獲得した。5月2日の同リーグ・対広島東洋カープ戦で、9回2死まで1人の走者を許さず、27人目の打者・會澤翼も2ストライクまで追い込んだ。しかし、次の投球が會澤の頭部への危険球と判定されたため、球審から退場処分を受けた。この処分によって近藤単独による完全試合達成の可能性が消滅したが、後を継いた山口和男が中東直己を二塁へのゴロに抑えたため、近藤と山口による継投ながらノーヒットノーランが成立した。
開幕一軍入りを果たすと、3月23日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)で先発。6回1失点という内容で、オリックス移籍後初めての一軍公式戦勝利を挙げた。この勝利は、大阪近鉄時代の初勝利以来、自身1280日振りの勝利でもあった。4月5日の対北海道日本ハムファイターズ戦では、9回を2失点に抑えて、一軍公式戦での初完投勝利を記録。6月に二軍へ落ちたが、7月に一軍へ復帰すると、対福岡ソフトバンクホークス戦で3連勝。チームのレギュラーシーズン最終戦であった10月1日の同カード(いずれも京セラドーム大阪)でも、1失点完投勝利を挙げた。この結果、プロ7年目で初めて、一軍公式戦の最終規定投球回に到達。自身初の10勝と、パシフィック・リーグ10位の防御率を記録した。金子千尋、小松聖、山本省吾などともに二桁勝利カルテット形成する。チームのレギュラーシーズン2位で迎えたクライマックスシリーズでは、日本ハムとのファーストステージ第1戦に先発。日本ハム先発のダルビッシュ有と投げ合ったが、敗戦投手になった。
2年連続で開幕から一軍の先発ローテーションを担うと、開幕2戦目の対ソフトバンク戦(福岡 Yahoo! JAPANドーム)に7回2失点でシーズン初勝利。しかし、6月3日の対中日ドラゴンズ(京セラドーム大阪)戦を3回7失点で降板したことから、同月下旬まで二軍での調整を余儀なくされた。結局、一軍公式戦全体では9勝12敗をマーク。9勝のうち6勝(2敗)を対ソフトバンク戦で挙げた一方で、対東北楽天ゴールデンイーグルス戦とセ・パ交流戦ではいずれも未勝利に終わった。また、防御率は4.78で、パ・リーグの規定投球回到達投手としては最も悪かった。
3月に一般女性との結婚を発表した。レギュラーシーズンでは、一軍公式戦で5勝10敗を記録。過去2シーズン得意にしていた対ソフトバンク戦でも、防御率3.20ながら、7試合の登板で2勝4敗に終わった。このため、秋季キャンプでは、投球フォームをオーバースローに戻した。
背番号を65から「11」へ変更。しかし、春季キャンプ中に右肘の骨棘障害が判明したため、公式戦の開幕を二軍で迎えた。5月中旬のウエスタン・リーグ公式戦で実戦復帰を果たすと、6月3日の対広島東洋カープ戦(京セラドーム大阪)7回裏に、シーズン初の一軍公式戦登板を自身3年ぶりの救援登板で果たした。セ・パ交流戦でも、4試合に救援で登板。6月25日の対千葉ロッテマリーンズ戦で、一軍公式戦でシーズン初の先発マウンドに立つと、5回1/3を投げて2失点でシーズン初勝利。一軍公式戦全体では、3勝7敗、防御率6.36、WHIP1.62に終わった。なお、シーズン終了後の11月4日には、右肘遊離軟骨の除去手術を受けている。
前年に続いて、公式戦の開幕を二軍でスタート。ウエスタン・リーグ公式戦では、4試合の先発登板で、通算20投球回を3失点(防御率1.35)という成績を残した。4月21日の対日本ハム戦(ほっともっとフィールド神戸)で、先発投手としてシーズン初の一軍公式戦登板。しかし、6回4失点という内容で敗戦投手になったばかりか、後に右肩の違和感を訴えた。同月24日に出場選手登録を抹消されると、ウエスタン・リーグ公式戦でも登板機会がほとんどなく、一軍公式戦での登板は先の1試合に終わった。シーズン終了後には、ドラフト会議でのドラフト1巡目指名を経て入団した松葉貴大が背番号11を着用することに伴い、自身の背番号を「50」へ変更。11月1日には、右肘にできていた骨棘と滑膜ひだを除去する手術を受けた。
7月5日にシーズン初の出場選手登録を果たすと、7日の対日本ハム戦で救援投手としてシーズン初の一軍公式戦登板を果たした。一軍公式戦全体では5試合の登板で、2年連続の未勝利。また、2005年以来8年ぶりに先発での登板機会がなかった。
一軍公式戦2試合の登板にとどまった。レギュラーシーズン終了後に4年連続で右肘の手術を受けることから、10月28日には、球団から支配下選手登録の解除を通告[3]。11月26日には、育成選手として球団と契約するとともに、背番号を「125」へ変更[4]。
開幕から一軍投手陣に故障者が続出したことから、4月28日に支配下登録選手へ復帰[5]。背番号も65へ戻した。5月1日の対楽天戦に先発投手としてシーズン初の一軍マウンドを踏むと、7月12日の対楽天戦(楽天Koboスタジアム宮城)でシーズン初勝利。一軍公式戦では、2011年8月31日の対ソフトバンク戦(北九州市民球場)1411日振りの勝利であった[6]。
開幕から主にローテーションの谷間の試合での先発を務め、3試合目までで2勝を挙げたが、その後は試合序盤に撃ち込まれる試合が続き、6月11日の対横浜DeNAベイスターズ戦(京セラドーム大阪)で1回5失点KOされてからは一軍登板はなかった[7]。
ヤクルト時代編集
7月17日、八木亮祐との交換トレードで東京ヤクルトスワローズに移籍することを発表され[8]、20日にNPBから公示された。背番号は八木が着用していた「70」に決まった。この年のオリックスでの成績は2勝2敗で、防御率は8.24であった。
この近藤のトレードをもって、2004年オフの選手分配ドラフトで大阪近鉄バファローズからオリックス・バファローズに入団した選手また同球団に一貫して在籍した現役選手は一人もいなくなった[9]。また、パ・リーグの球団に在籍する大阪近鉄出身の現役選手は牧田明久(楽天 = 当時、同シーズンオフに戦力外→ジュニアコーチに転身)だけとなった。近藤も自ら8月5日の対阪神タイガース戦(神宮球場)6回表に2番手投手として移籍後初めて一軍マウンドを踏んでいる。
6月30日の阪神戦(阪神甲子園球場)では9回裏2死二三塁、カウント2-2の場面でストッパーの秋吉亮のアクシデントを受け救援登板し、原口文仁を空振り三振に仕留め、プロ初セーブ(1球セーブ)をマークした[10]。 この年は中継ぎとしてフル回転し、54試合に登板、14のホールドを挙げた。
シーズン当初は便利屋としての起用が多かったが、新外国人のマット・カラシティーや秋吉の不振により、8回を投げるセットアッパーとして定着する。抑えに配置転換された石山泰稚と共に安定した勝利の方程式として1年間投げきり、前年最下位に沈んだヤクルトの2位躍進に大きく貢献。2015年の秋吉に並ぶ球団記録の74試合登板[11]、どちらも球団記録を更新する35H、42HPを記録し、最優秀中継ぎのタイトルを獲得した。プロ入り17年目で初のタイトルとなった。オフには背番号を「20」に変更[12][13]。
8月24日の対阪神戦で木浪聖也の打球を受けて離脱したが[14]、それ以外は一軍で投げ続け、59試合に登板し22HPを挙げた。
社会貢献活動編集
2009年より、NPO法人「世界の子どもにワクチンを日本委員会」へ、シーズン中の投球数に応じて(1球につき5本)、ポリオワクチンの寄贈を行っている。
人物編集
2009年12月14日、岡山県内でウォーキング中に警察官に呼び止められ職務質問。1ヶ月前に知人の風水師から「1年間の疲れを取るために良い方向で10時間歩くといい」という旨のアドバイスを受け10時間の徘徊をしていたが、その警察官が柔道経験者で野球に詳しくなかったことと当時は家出が多かったことが災いしプロ野球選手と信じてもらえず、結局本部に連絡。名前と職業を言って解放された。2010年オフにも車の運転中に職務質問を受けている[15][16]。
詳細情報編集
年度別投手成績編集
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2003 | 近鉄 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 13 | 3.0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.33 |
2004 | 11 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 75 | 16.2 | 17 | 0 | 10 | 0 | 0 | 13 | 2 | 0 | 2 | 2 | 1.08 | 1.62 | |
2005 | オリックス | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 38 | 8.2 | 9 | 3 | 3 | 0 | 1 | 8 | 0 | 0 | 4 | 4 | 4.15 | 1.38 |
2007 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 38 | 7.2 | 13 | 0 | 2 | 0 | 2 | 7 | 1 | 0 | 7 | 7 | 8.22 | 1.96 | |
2008 | 25 | 23 | 2 | 0 | 0 | 10 | 7 | 0 | 0 | .588 | 616 | 149.0 | 140 | 9 | 45 | 0 | 4 | 89 | 4 | 0 | 62 | 57 | 3.44 | 1.24 | |
2009 | 24 | 24 | 2 | 0 | 0 | 9 | 12 | 0 | 0 | .429 | 678 | 152.2 | 155 | 20 | 80 | 1 | 3 | 91 | 6 | 0 | 87 | 81 | 4.78 | 1.54 | |
2010 | 24 | 24 | 1 | 0 | 0 | 5 | 10 | 0 | 0 | .333 | 620 | 142.2 | 151 | 16 | 49 | 1 | 7 | 133 | 4 | 1 | 79 | 69 | 4.35 | 1.40 | |
2011 | 15 | 11 | 0 | 0 | 0 | 3 | 7 | 0 | 1 | .300 | 289 | 63.2 | 76 | 6 | 27 | 0 | 4 | 53 | 3 | 0 | 48 | 45 | 6.36 | 1.62 | |
2012 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 27 | 6.0 | 8 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 4 | 3 | 4.50 | 1.50 | |
2013 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 36 | 8.0 | 13 | 2 | 1 | 0 | 0 | 6 | 2 | 0 | 8 | 8 | 9.00 | 1.75 | |
2014 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 34 | 7.2 | 10 | 1 | 2 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 4 | 4 | 4.70 | 1.57 | |
2015 | 10 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | 0 | .200 | 190 | 41.2 | 49 | 1 | 14 | 0 | 3 | 24 | 5 | 0 | 31 | 28 | 6.05 | 1.58 | |
2016 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | .500 | 94 | 19.2 | 30 | 3 | 6 | 0 | 0 | 16 | 1 | 0 | 19 | 18 | 8.24 | 1.83 | |
ヤクルト | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 54 | 11.1 | 14 | 0 | 6 | 1 | 2 | 10 | 0 | 0 | 5 | 4 | 3.18 | 1.76 | |
'16計 | 13 | 5 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | .500 | 148 | 31.0 | 44 | 3 | 12 | 1 | 2 | 26 | 1 | 0 | 24 | 22 | 6.39 | 1.81 | |
2017 | 54 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 1 | 14 | .333 | 234 | 55.1 | 49 | 9 | 17 | 0 | 4 | 55 | 2 | 0 | 29 | 29 | 4.72 | 1.19 | |
2018 | 74 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 4 | 2 | 35 | .636 | 334 | 76.2 | 74 | 8 | 31 | 2 | 2 | 75 | 5 | 0 | 37 | 31 | 3.64 | 1.37 | |
2019 | 59 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | 19 | .500 | 245 | 53.0 | 57 | 6 | 32 | 4 | 0 | 54 | 3 | 0 | 23 | 21 | 3.57 | 1.68 | |
NPB:16年 | 327 | 102 | 5 | 0 | 0 | 43 | 56 | 3 | 69 | .434 | 3615 | 823.1 | 868 | 84 | 327 | 9 | 32 | 646 | 40 | 1 | 449 | 411 | 4.49 | 1.45 |
- 2019年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル編集
- 最優秀中継ぎ投手:1回 (2018年)
記録編集
- 投手記録
- 初記録
- 初登板:2003年10月7日、対オリックス・ブルーウェーブ28回戦(Yahoo! BBスタジアム)、4回裏に2番手として救援登板、3回無失点
- 初奪三振:同上、4回裏に相川良太から
- 初先発登板・初勝利・初先発勝利:2004年9月20日、対オリックス・ブルーウェーブ23回戦(大阪ドーム)、5回1失点
- 初完投勝利:2008年4月5日、対北海道日本ハムファイターズ2回戦(京セラドーム大阪)、9回2失点
- 初ホールド:2011年6月9日、対東京ヤクルトスワローズ4回戦(京セラドーム大阪)、5回表2死に2番手として救援登板、1回2/3を無失点
- 初セーブ:2017年6月30日、対阪神タイガース10回戦(阪神甲子園球場)、9回裏2死に6番手として救援登板・完了、1/3回無失点
- 打撃記録
- 初記録
- その他の記録
背番号編集
- 65 (2002年 - 2010年、2015年4月28日 - 2016年7月19日)
- 11 (2011年 - 2012年)
- 50 (2013年 - 2014年)
- 125 (2015年 - 2015年4月27日)
- 70 (2016年7月20日 - 2018年)
- 20 (2019年 - )
登場曲編集
2019年11月現在
- 勝勢あるいは引分時登板 「Fight Together」 安室奈美恵
- 敗勢時登板 「Bella Ciao」 Hardwell&Maddix[17]
過去の登場曲
- 「Angel Eyes」Heartsdales
- 「When Love Takes Over」デヴィッド・ゲッタ
脚注編集
- ^ ヤクルト - 契約更改 - プロ野球. 日刊スポーツ. 2018年12月31日閲覧。
- ^ スポーツナビ | 野球|プロ野球|コラム
- ^ 戦力外通告のお知らせ オリックス・バファローズオフィシャルウェブサイト (2014年10月28日) 2014年12月5日閲覧。
- ^ 育成選手契約締結のお知らせ オリックス・バファローズオフィシャルウェブサイト (2014年11月26日) 2014年12月5日閲覧。
- ^ 近藤 一樹投手 支配下登録のお知らせ オリックス・バファローズオフィシャルウェブサイト (2015年4月28日) 。
- ^ 近藤一樹投手・あの夏のような輝きへ週刊ベースボールONLINE(2015年8月13日) 2016年7月21日閲覧。
- ^ オリックス近藤一1回KO、いきなり5失点の屈辱日刊スポーツ(2016年6月11日) 2016年7月21日閲覧。
- ^ トレード成立のお知らせ - 東京ヤクルトスワローズ、2016年7月17日。
- ^ 元オリックス・ブルーウェーブの現役選手は、一貫しての在籍では2013年オフの後藤光尊のトレード移籍、他球団を挟んでの在籍では2015年オフの谷佳知・平野恵一の引退をもっていなくなっている。なお近藤の移籍時点では、2004年新人ドラフトで入団し、2018年まで在籍した金子千尋がいるため、オリックス・バファローズの創設メンバーが全員退団したわけではない。
- ^ a b c “ヤクルト近藤 史上初!1球奪三振セーブ「複雑」笑みなし”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2017年7月1日) 2017年7月4日閲覧。
- ^ “ヤクルト・近藤 秋吉に並ぶ球団記録の74試合登板「正直、まさかここまで…」”. www.sponichi.co.jp. 2019年10月6日閲覧。
- ^ “ヤクルト、近藤に伊藤智の背番号「20」検討 - SANSPO.COM(サンスポ)”. www.sanspo.com. 2019年10月6日閲覧。
- ^ “背番号変更のお知らせ” (日本語). 東京ヤクルトスワローズ. 2019年10月6日閲覧。
- ^ “ヤクルト近藤、右肩に打球直撃の影響で登録抹消へ - プロ野球 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2019年10月6日閲覧。
- ^ Bs近藤“家出青年”に間違われ、職務質問受ける
- ^ 職質免除でね!近藤、今オフも徘徊トレ
- ^ 東京ヤクルトスワローズ・選手登場曲2019年11月閲覧
関連項目編集
外部リンク編集
- 個人年度別成績 近藤一樹 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube