近藤内蔵之助

日本の江戸時代後期の剣術家。天然理心流開祖

近藤 内蔵之助(こんどう くらのすけ、生年不詳 - 文化4年10月16日1807年11月15日))は、江戸時代後期の剣術家。天然理心流の創始者。は長裕(ながみち)。通称は内蔵助、内蔵之介ともいう

生涯 編集

遠江国出身といわれ、飯篠家直天真正伝香取神道流の開祖)の末裔を称した。

神道流剣術はじめ諸流を学んで天然理心流剣術を創始し、近藤弥吉政竜(詳細不明)と戦ってこれを破り近藤姓を襲名したとされる。寛政年間(1789年 - 1800年)に自流を広めるため江戸へ赴き、両国薬研堀(現在の中央区)に道場を開いた。江戸では俵米取りの幕臣やその家来に伝承され、また武蔵国多摩地域や相模国辺りに出向き門弟を広めた。臨終に際して天然理心流2代目宗主を近藤三助に天然理心流印可を伝授した。

文化(1807年)、死去。墓所は東京都江東区北砂町の妙久寺八王子市桂福寺横浜市勧行寺にも供養碑がある。

先代
-
天然理心流宗主初代
? - 1807年
次代
近藤三助