近藤 喜衛(こんどう ひろえ、1871年11月23日明治4年10月11日[1])- 1961年昭和36年)[1])は、日本の政治家青森県八戸市の初代市長

来歴・人物編集

1871年明治4年)に旧八戸藩士の家に生まれる。八戸高等小学校から研成学舎に入り、卒業後は小学校の教員となり[2]、その後は教員をしながら東京専門学校に通った[3]。帰郷後に八戸の小学校の校長となった[3]1889年(明治22年)に八戸青年会に入会[3]1894年(明治27年)に八戸青年会を脱会し、政治団体「北辰会」を結成した[3]1907年(明治40年)5月、八戸町助役となり[3]、間もなく町長に就任したが[3]、9月に停職となった[3]1908年(明治41年)に地元紙「奥南新報」を創刊した。当時地元で土曜会と勢力を二分した立憲政友会系の公民会(奥南派)の中心人物であった。また、1920年(大正9年)に八戸郷土研究会が結成された時は発起人の一人となっている。

その後下長苗代村長、舘村長、三戸郡会議員、青森県会議員、同参事会員、同議長を歴任し[3]1929年(昭和4年)に八戸市が誕生したことにともない、当初元八戸町長だった北村益が初代市長に推されるが北村が辞退し、代わって喜衛が初代八戸市長に就任する。1930年(昭和5年)に衆議院選挙の違反に問われ、責任をとり辞任した。

政策編集

市制施行記念事業として、八戸町立図書館を市立図書館として移転する費用を計上した。八戸港・上下水道を計画するも、国の緊縮財政により起債されず、喜衛の在任中には実現にいたらなかった。

関連編集

関連人物編集

  • 神田重雄 - 近藤喜衛が市長を辞した後の八戸市長。

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、23頁。
  2. ^ 『青森県人名大事典』249頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『青森県人名大事典』250頁。

参考文献編集

  • 『青森県人名大事典』東奥日報社、1969
  • 『八戸市史 通史編』八戸市、1976
  • 『八戸市議会史 記述編 上』八戸市、1978