近藤 義武(こんどう よしたけ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将松前氏の家臣。道南十二館の一つである禰保田館主。

 
近藤義武
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 不明
死没 寛永15年3月11日1638年4月24日[1]
主君 松前慶広
蝦夷松前藩
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略歴編集

祖父の代から蠣崎氏に臣従し家老となる。慶長2年(1597年)に主君・松前慶広の次男・忠広元服時に理髪役を務め、慶長15年(1610年)には蝦夷に配流された公家花山院忠長を饗応するなど松前氏の家老として活動した。大坂の陣では、主君・忠広の傳役に任じられた。

大坂の陣に参陣した際、合戦中喉が渇いたため、騎乗していた馬を殺しその血を啜ったという伝説がある。

脚注編集

  1. ^ 『三百藩家臣人名事典1』