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近藤重直

日本の江戸時代の旗本

近藤 重直(こんどう しげなお、慶長17年(1612年) - 貞享2年4月13日1685年5月15日))は江戸時代旗本

信濃国近藤藩近藤政成の長男。母は柘植氏。正室は井上氏の娘。子に重信高郷重興徳永昌本がいる。通称は織部正。幼名は百千代。初名は重堯。号は道休。

生涯編集

元和4年(1618年)12月13日、将軍徳川秀忠に拝謁し、12月16日父の遺領10,000石の内、幼少を理由に半知減封となり信濃国高井郡5000石のみを相続し、寄合に列する。残りの美濃国5,000石は伯父の下野烏山藩堀親良に与えられ、重直成人までの後見役を命ぜられる。

元和5年(1619年)5月、福島正則高井野への左遷転封を受けて、伊那郡に替地され、立石知行所が成立。同年、江戸城紅葉山堀の普請を承る。

寛永11年(1634年)、将軍徳川家光上洛の際、板倉重昌に属して供奉する。寛永20年(1643年)4月29日、甲府城在番を命じられ、翌年帰謁する。明暦3年(1657年)3月15日、秀忠の娘千姫、家光の正室鷹司孝子の御殿造営の作事奉行を務め、のちに山王社の造営を承る。

天和2年(1682年)5月29日に致仕、貞享2年(1685年)に没する。享年74。浅草の海禅寺泊船軒に葬られた。子孫は幕末まで旗本として存続する。

出典編集

脚注編集