近衛内前
江戸時代中期の公卿。従一位・摂政、関白、准三宮、太政大臣。近衛家24代。近衛家久の長男。母は家女房。藤氏長者
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
近衛 内前(このえ うちさき、旧字体:近󠄁衞 內前󠄁)は、江戸時代中期の公卿。官位は従一位・摂政、関白、准三宮、太政大臣。近衛家24代当主。
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 享保13年6月22日(1728年7月28日) |
死没 | 天明5年3月20日(1785年4月28日)[1] |
官位 | 従一位、摂政、関白、准三宮、太政大臣 |
主君 | 桜町天皇→桃園天皇→後桜町天皇→後桃園天皇→光格天皇 |
氏族 | 近衛家 |
父母 |
父:近衛家久 母:家女房(真涼院) |
兄弟 | 転陵院、内前、宝蓮院 |
妻 |
正室:徳川勝子(徳川宗春の娘) 家女房 |
子 |
因子、維子、経熈 養子:観心院 |
経歴
編集太政大臣・近衛家久の長男。享保19年(1734年)に元服。桃園天皇、後桃園天皇の関白、後桜町天皇、後桃園天皇の摂政を務めた。また、安永8年(1779年)に後桃園天皇が崩御した際、後桜町上皇と共に伏見宮家から継嗣を迎えようとしたという。
家族・親族
編集系譜
編集近衛家
編集近衛家は、藤原忠通の子である近衛基実を始祖とし、五摂家の一つであった。
詳細は「近衛家」を参照
皇室との関係
編集後陽成天皇の男系六世子孫である。後陽成天皇の第四皇子で近衛家を継いだ近衛信尋の男系後裔。
詳細は皇別摂家#系図も参照のこと。