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速吸(はやすい/はやすひ)は[16]大日本帝国海軍の給油艦[17]。 書類上は風早型運送艦の2番艦[18]。 艦名は海峡水道に由来する[19]。 速吸瀬戸は豊予水道(瀬戸内海南西口となる四国佐多岬九州佐賀関半島関崎間)の雅称[20]

速吸
艦尾から沈む速吸。(1944年8月19日)[1]
艦尾から沈む速吸。(1944年8月19日)[1]
基本情報
建造所 播磨造船所[2]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 運送艦[3](給油艦)
級名 (風早型[3])
母港 佐世保[4]
艦歴
計画 昭和16年[3](マル急計画[5])
起工 1943年2月1日[2]
進水 1943年12月25日[2]
竣工 1944年4月24日[2]
最期 1944年8月19日沈没[4]
除籍 1944年10月10日[4]
要目(計画)
基準排水量 18,300英トン[6]
公試排水量 20,000トン[6]
満載排水量 20,811.80トン[7]
全長 約161.10m[2][6]
水線長 約157.25m[6]
垂線間長 153.00m[6]
最大幅 20.10m[6]
深さ 11.556m[6]
吃水 公試後部吃水 8.83m[6]
ボイラー 主缶:簡易21号重油専焼缶2基[2]
補助缶:円缶2基[8]
主機 石川島式高低2段減速タービン1基[2]
推進 1軸[2]
出力 9,500shp[6]
速力 16.5ノット[6]
燃料 重油2,000トン[6]
航続距離 9,000カイリ / 16ノット[6]
乗員 計画乗員301名[9]
兵装 40口径12.7cm連装高角砲2基[10]
25mm機銃3連装2基、連装1基[10]
爆雷8個[11]
搭載艇 9m内火艇2、9mカッター2。13m特型運貨船1[12]
搭載機 十六試艦攻6機+補用機1機[13]
その他 一式二号11型射出機1基[14]
補給物件[13]
重油9,800トン
軽質油200kL(146トン[15])
機関用潤滑油100kL(92トン[15])
真水750トン
10cm高角砲弾薬7,200発
25mm機銃弾薬120,000発
500kg爆弾6又は250kg爆弾12
野菜2,800人分/2週間(20トン[15])
糧食1,100人分/1ヶ月分(57トン[15])
糸屑10トン
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給油艦カタパルトと小規模飛行甲板を装備した補助空母というべき艦艇だったが、航空機艤装を実戦で活用する機会はなかった[17]1944年(昭和19年)4月下旬に竣工[21]。6月中旬のマリアナ沖海戦直前に小沢機動部隊の補給部隊に合流[22]、同海戦に参加した[17]。一度内地に帰投したあと、8月中旬のヒ71船団に所属して南方へ進出中、米潜水艦の雷撃により空母大鷹等と共に撃沈された[23][24]

概要編集

仮称艦名は第306号艦[2]。本来は風早型給油艦の1隻として艦隊随伴型の給油艦で竣工する予定だったが、対潜哨戒用の水上機運用の要求により、艦型が大幅に変更された[25]。更にミッドウェー海戦での主力空母4隻を失ったことを機に、当時開発中であった流星射出機で発進させる給油艦に計画変更[26]、計画番号はV9乙[6](またはJ33[27])とされた。水上攻撃機瑞雲も搭載可能だったとみられる[28]。 しかし攻撃機(流星、瑞雲)を実戦(マリアナ沖海戦)で運用する機会はなかった。速吸沈没時の写真には、カタパルトに零式水上偵察機らしき機影が写っている[29]

着艦能力は持たない為、射出機で発進させた艦載機は任務完了後は不時着水して搭乗員のみを自艦か僚艦に救護するか、味方の航空母艦に着艦するか、味方飛行場に代替着陸して帰港後に再度艦載される事となる[30]。このような航空運用を行う艦船としてはイギリス海軍CAMシップの例もあるが、速吸は本来艦隊運用を前提とした海軍所属の給油艦を改装したものである点で、民間所属船に軍用機を運用させ船団護衛に当たらせるCAMシップとは運用思想が異なっている[30]。イギリス海軍の分類上は、こうした軍艦を改装し発進能力のみを持たせた艦艇は戦闘カタパルト艦とされている。速吸や鷹野型はこのような形態であっても補助空母[31]として「空母の補助兵力」に位置づけられている[30][32]。この点で、輸送船団を護衛する目的で改装され、あくまで護衛空母が登場するまでのつなぎ役の一つであった戦闘カタパルト艦とも位置付けが異なっている。

艦型編集

航空機搭載のため、速吸は風早とは大きく違った艦型となった[26]

船体は中央の船橋楼甲板が無い2島型で、船首楼甲板を延長してその後端に軍艦型の艦橋と三脚式の前部マストを置いた[33]。 中央は上甲板上の高さ約5mの位置に幅21.5mに渡って甲板を設置し、甲板上に軌条ターンテーブルを設け、航空機6機と補用機1機を搭載した[33]。 その右舷前端にはカタパルト1基を設けたが、上端の高さを甲板の高さと一致させて運用を容易にした[33]

船体中央部が主に重油タンクとされたが、船艙区画最後部には空母と同じ構造の全溶接の軽質油(ガソリン)タンクが設置され、その後方は自艦用の重油タンクとした[34]。 後部マストは2本とし5トンデリックがそれぞれに設けられ、航空機搭載用と横曳き給油用の兼用とされた[35]。 また給油設備として蛇管通路が左舷寄りに前後に全通して設けられた[34]。 補給用の糧食庫や弾薬庫などは船首楼の下部に設けられ、甲板上には3m角の小型の艙口を縦に2個設け、取り扱いのためのゴールポストと3トンデリック2基が艦橋前に設置された[34]

船体後部は通常のタンカーと同様に船尾楼甲板が設けられ、機関室などが設置された[34]

対空兵装は風早より強化され、高角砲は12.7cm連装砲を艦の前後にそれぞれ1基ずつ置いた[36]。 機銃は25mm3連装機銃を艦橋両側に1基ずつ置き、艦尾楼の煙突直後にフラットを設けて連装機銃1基を置いた[37]。 また艦側の要求により竣工後に25mm3連装機銃を後部マスト前方の上甲板上に左右舷それぞれ1基、煙突付近の上部構造物上に左右それぞれ1基の計4基、その他単装機銃を若干(約8挺から12挺[38])増備したとされる[37]電探水測兵器も装備していた[37]

改マル五計画で建造予定だった鷹野型給油艦では搭載機を倍の14機とする計画[39]だったが、戦況の悪化で建造は取り止めとなった[31]

艦歴編集

1943年(昭和18年)7月31日、速吸と命名[16]。同日附で駆逐艦早霜[16]、空母雲龍も命名されている[40]。同日附で各艦は艦艇類別等級表に登録[41]。本艦も特務艦類別等級表に登録された[18]

1944年(昭和19年)4月10日、日本海軍は杉浦経三郎大佐(当時、航空戦艦「日向」副長)を速吸艤装員長に任命した[42]。 4月24日、竣工[21][43]。 杉浦艤装員長は正式に速吸特務艦長となり[44]、速吸は佐世保鎮守府籍に編入される[45]中部太平洋方面艦隊付属[4]。次いで連合艦隊付属となる[30]瀬戸内海で訓練を行ったあと、特設運送船(給油)日栄丸(日東汽船、10,020トン)とともにヒ船団に加入してタラカン島経由でバリクパパンに向かうよう命じられた[46]。しかしその矢先の5月5日[17]、速吸は伊号第一五五潜水艦(伊155)と衝突した[47][48]。 衝突事故と修理のため、速吸の出撃は遅れた[43]。5月15日、小沢機動部隊は作戦方針と軍隊区分を定め、速吸は第二補給部隊に所属した[注 1][49]。ただし補給部隊の編成はしばしば変更されており、当初の部隊編成とは乖離が生じている[22]

6月上旬の出撃時、速吸は零式水上偵察機3機を搭載した[47]。駆逐艦初霜[注 2]と共に6月6日に内地を出撃[注 3]、南方にむかう[47]。 6月11日、3隻(速吸、初霜[50]、樅型駆逐艦)はフィリピン南部のミンダナオ島ダバオに到着する[51]

6月13日、アメリカ軍のサイパン島に対する艦砲射撃が開始されて戦局が急展開し、あ号作戦(マリアナ沖海戦)が発動される。小沢治三郎中将(海軍兵学校37期)率いる第一機動艦隊マリアナ沖を目指して進撃を開始し[52]、機動部隊補給部隊はこれに呼応して指定された配備点に向かった[53][54][55]。 速吸も駆逐艦に護衛されて会合点に急行した[56]。 6月18日7時00に速吸船団(速吸、初霜夕凪[57][注 4])が第一補給部隊と合流した[52]。すると、速吸艦長は第一補給部隊の指揮を執ることを宣言した[58][59]。速吸の第一補給部隊編入に関する命令は出ていなかった[60]。同日午後3時、パラオからマニラに向かう途中の軽巡洋艦名取が補給船団に合流する[61][注 5]。名取合同後は、久保田智大佐(名取艦長)が補給部隊の指揮をとった。6月19日5時15分[62]、名取は補給部隊と別れてマニラへ向かった[52]

6月19日、小沢機動部隊の航空攻撃は大失敗に終わり、主力空母大鳳翔鶴もアメリカ潜水艦の雷撃で撃沈された[63][64][注 6]。 6月20日午前7時、機動部隊各隊は燃料補給のため速吸以下補給部隊と合同し、昼前には各艦に補給を開始する[65][66]。13時頃、アメリカ軍機動部隊発見の報告があり、前衛(第二艦隊)・本隊(機動部隊)・補給部隊の順番で西方退避が始まった[67][64]

同日夕刻、退却を続ける補給部隊は、アメリカ第58任務部隊マーク・ミッチャー中将)の艦載機約40機の空襲を受ける[68]。補給部隊は、油槽船(速吸、日栄丸、国洋丸、清洋丸、玄洋丸、あづさ丸)と護衛艦(響、初霜、夕凪、栂、雪風、卯月)という編成だった[注 7][注 8][70]。エセックス級空母ワスプヘルダイバー艦爆が補給部隊を襲撃した[71]。速吸は、至近弾2発と直撃弾1発を受ける[72]艦橋直後に被弾して火災が発生し、搭載の航空機も炎上して死傷者13名を出した[73][74]。速吸は『戦闘航海ニ支障ナシ』を報告し、士気の高さを示したという[72]。記録では「少被害、戦闘航海ニ支障ナシ」であった[75]。 この日の対空戦闘で補給部隊では清洋丸と玄洋丸が被弾して炎上、清洋丸は駆逐艦雪風[76][77]、玄洋丸は駆逐艦「卯月」に[78]、それぞれ処分された[75][69]

補給部隊は6月23日から24日かけて、ギマラスもしくは対岸のバコロド[79]に帰投した[80][81]。同日、護衛部隊(初霜[50]、雪風[82]、卯月[83]、栂、響)もギマラスに到着した(響のみ24日着)[84]。 一部の資料では、速吸は海戦直後に第一・第二補給部隊と分離し単独で内地へ帰投[80][85]、6月24日に帰投したという[4][注 9]。また7月5日に呉を出航したとされる[4]

6月26日10時、速吸は補給部隊から分離する[86]。速吸および駆逐艦夕凪は、座礁した雪風を救助した[69]。雪風はギマラスから内地へ単艦で帰投した[76][87]。他の補給部隊(初霜、卯月、満珠海防艦22号、日栄丸、国洋丸、あづさ丸、良栄丸、興川丸)も、同地から内地にむかった[81]。速吸はマニラに回航された。 7月10日、速吸は特設運送艦旭東丸飯野海運、10,051トン)とともに駆逐艦3隻(藤波[88]、夕凪、響)に護衛されてマニラを出港した[89]サンベルナルジノ海峡および紀淡海峡経由で[90]7月17日に呉に帰投した[91]呉海軍工廠で損傷修理が行われた[92]

8月1日付で連合艦隊付属に復帰し[93]、修理完了後は旭東丸、特設運送船(給油)あづさ丸(石原汽船、10,022トン)、「夕凪」とともに「速吸船団」を構成して、ヒ71船団に加わって石油輸送のため南方に向かうよう命じられる[94]。このうち旭東丸と藤波はリンガ泊地進出を命じられていた[95]。ヒ71船団の指揮官は第六護衛船団司令官梶岡定道少将であった[注 10][96]。 ヒ71船団はフィリピン防衛に加勢する第二十六師団(司令官山県栗花生中将)を乗せた輸送船や、南方へ石油を積み込みにいくタンカー、給糧艦伊良湖など計20隻で構成され、空母を含む護衛艦部隊が同行する[97][98]。護衛部隊の編成は、大鷹型航空母艦大鷹、駆逐艦夕凪と藤波、海防艦(平戸、倉橋、御蔵、昭南、第11号)で[99][100]、船団指揮官梶岡少将は平戸に将旗を掲げた[101]

8月8日門司出港。 8月10日朝、ヒ71船団は伊万里湾を出航する。 しかし、出航後から悪天候に悩まされ8月15日に馬公に入港して天候の回復を待つ事とした[102]。加入船の顔ぶれを少し改め、新たに第三掃討小隊(佐渡、松輪、日振、択捉)と駆逐艦朝風を加えて[100]、8月17日朝に出港した[103][24]。 8月18日昼間には最も危険とみなされたバシー海峡を通過、同日夜ルソン島沿岸に接近して航行する[104]。だが油槽船永洋丸がアメリカの潜水艦ラッシャー (USS Rasher, SS-269)[注 11]の雷撃で大破、落伍した[105]。永洋丸は夕凪と共に高雄市(台湾)へ退避した[106]。日中の襲撃はなかったがラオアグ近海に到達した22時20-30分頃、ラッシャーが発射した魚雷2本が大鷹に命中し[105]、大鷹は爆沈した[107][108]。大鷹の沈没と再び襲ってきた悪天候で船団は大混乱に陥り[109]、輸送船およびタンカーは単独かつ全速力をもって各々避退行動に移ることとなった[110]

日付が8月19日に変わると、状況もますますひどくなっていった[107]。2時25分[注 12](日本側記録3時20分)、アメリカの潜水艦ブルーフィッシュ (USS Bluefish, SS-222)[111]北緯17度34分 東経119度24分 / 北緯17.567度 東経119.400度 / 17.567; 119.400ビガン沖で[110]図南丸クラスと思しきとても大きな目標、すなわち速吸と二番目の目標であるタンカー[112]を観測し速吸に対して魚雷を4本発射した[113]。そのうちの2本が命中し[114]、二番目に観測した目標[112]への攻撃に傾注した後[115]、7時18分頃[注 13]北緯17度35分05秒 東経119度38分05秒 / 北緯17.58472度 東経119.63472度 / 17.58472; 119.63472の地点で航行を停止した速吸に対して魚雷を3本発射[116]、すべて命中してこれが止めとなった[116]。この際、ブルーフィッシュは沈み行く速吸の写真を潜望鏡越しに撮影したが、これが現在までのところ、速吸唯一の写真となっている[29]。 ヒ71船団は潜水艦3隻(ラッシャー、ブルーフィッシュ、スペードフィッシュ)の襲撃によりマニラ到着までに合計5隻(大鷹、速吸、玉津丸帝洋丸帝亜丸)を喪失[117]、2隻損傷(阿波丸、能代丸)[111]、護衛部隊も3隻(佐渡、松輪、日振)を喪失[24][28]。便乗将兵推定7000名が戦死し、救助された3000名も兵器装備品を喪失して戦闘力を失ってしまった[105]

10月10日、速吸は運送艦[118]、帝国特務艦籍[119]から除籍された。

艦長編集

 
給油艦「速吸」艦型図
艤装員長
  • 杉浦経三郎 大佐:1944年4月10日[42] - 4月24日[120]
特務艦長
  • 杉浦経三郎 大佐:1944年4月24日[44] - 8月19日戦死[120]

参考文献編集

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  • 雨倉孝之『海軍護衛艦コンボイ物語 海上護衛戦、対潜水艦戦のすべて』光人社〈光人社NF文庫〉、2018年2月(原著2009年)。ISBN 978-4-7698-3054-2
  • 大内建二『護衛空母入門 その誕生と運用メカニズム』光人社〈光人社NF文庫〉、2005年4月。ISBN 4-7698-2451-3
  • 大井篤「第6章 崩れ去る夏の陣(昭和19年6月から同年8月まで)」『海上護衛戦』株式会社KADOKAWA〈角川文庫〉、2014年5月(原著1953年)。ISBN 978-4-04-101598-8
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝 全八六〇余隻の栄光と悲劇』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0386-9
  • 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年7月。
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年3月。
  • 木俣滋郎『日本海防艦戦史』図書出版社、1994年9月。ISBN 4-8099-0192-0
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9
  • 『世界の艦船増刊第47集 日本海軍特務艦船史』、海人社、1997年。
  • 寺崎隆治ほか『補助艦艇奮戦記 縁の下の力持ち支援艦艇の全貌と戦場の実情』潮書房光人社、2016年6月。ISBN 978-4-7698-1620-1
    • (164-287頁)戦史研究家伊達久『日本海軍補助艦艇戦歴一覧 水上機母艦、潜水母艦、敷設艦、一等輸送艦、二等輸送艦、敷設艇、電纜敷設艇、哨戒艇、駆潜艇、水雷艇、海防艦、砲艦、特務艦、全三三二隻の太平洋戦争
  • 『昭和造船史 第1巻』日本造船学会編、原書房、1981年。ISBN 4-562-00302-2
  • 福井静夫福井静夫著作集/第十一巻 - 軍艦七十五年回想記 日本特設艦船物語』光人社、2001年。ISBN 4-7698-0998-0
  • 福田幸弘『連合艦隊 ― サイパン・レイテ海戦記』時事通信社、1981年7月(原著1983年)。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 マリアナ沖海戦』第12巻、朝雲新聞社、1968年2月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍捷号作戦<1> 臺灣沖航空戦まで』第37巻、朝雲新聞社、1970年8月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海上護衛戦』第46巻、朝雲新聞社、1971年5月。
  • 『写真 日本の軍艦 小艦艇I 特務艦・潜水母艦 特設潜水母艦 駆潜艇・哨戒艇 掃海艇・輸送艦』第13巻、雑誌『』編集部/編、光人社、1990年8月。ISBN 4-7698-0463-6
  • 「丸」編集部『駆逐艦戦記 駆逐艦「神風」電探戦記』光人社、2011年7月(原著1990年)。ISBN 978-4-7698-2696-5
    • (15-89頁)"不死鳥"の異名をとった駆逐艦「響」激闘一代記宮川正『憤怒をこめて絶望の海を渡れ』
    • (91-159頁)"海の真剣勝負に勝ち抜いた栄光の武勲艦の記録田口康生『愛しの「雪風」わが忘れざる駆逐艦』
  • 『海軍造船技術概要』牧野茂、福井静夫編、今日の話題社、1987年。ISBN 4-87565-205-4
  • 『帝国海軍真実の艦艇史2』〈歴史群像〉太平洋戦史シリーズ Vol.51、学習研究社、2005年8月。ISBN 4-05-604083-4
  • 歴史群像編集部編『帝国海軍真実の艦艇史2 史料の精査と傍証の積み重ねで解き明かす定説の真偽と知られざる逸話の実相』第51巻、学習研究社〈歴史群像 太平洋戦史シリーズ〉、2005年8月。ISBN 4-05-604083-4
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    • 『昭和18年1~8月達/昭和18年7月』。Ref.C12070119200。
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    • 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030050800。

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 第二補給部隊の指揮官は首席指揮官と定められ、5月15日時点の第二補給部隊編成(第一軍隊区分)は玄洋丸、國洋丸、清洋丸、速吸、秋霜、早霜、海防艦1隻だった。
  2. ^ 第21駆逐隊所属の初霜は、4月14日より佐世保海軍工廠で修理をおこなっていた。6月6日、速吸護衛のため佐世保を出撃[50]
  3. ^ 『戦史叢書12巻』付表第4「油槽艦行動表」の速吸項目では「5月11日呉出発(初霜行動参照)」と記載する。しかし『戦史叢書12巻』付表第1の初霜行動では5月11日時点で佐世保に在泊しており「6月6日より速吸護衛」と記載する。
  4. ^ 『戦史叢書12巻』572頁では、速吸船団を速吸・初霜・栂とし、夕凪を加えていない。夕凪については「軽巡名取と一緒に行動と推定」とする。
  5. ^ 名取は6月11日から16日までダバオに滞在。16日出発しパラオへ移動、17日同地出発。補給船団を護衛し、22日マニラに到着した。
  6. ^ 小沢長官以下機動部隊司令部は、駆逐艦若月を経由して重巡洋艦羽黒に移乗した。20日昼頃、空母瑞鶴に移乗して将旗を掲げた。
  7. ^ マリアナ沖海戦時の機動部隊補給部隊の編成は、頻繁に変更されている。一例として、ギマラス出撃時の第二補給部隊の護衛は浦風と雪風だったが、17日に変更された[55][69]。記事本文中の編成は、あくまで6月20日時点の補給部隊である。
  8. ^ 木俣滋郎『日本空母戦史』654頁の補給部隊陣形図(世界の艦船55集「雪風」横井忠俊より)では、護衛艦艇を「雪風、早霜、卯月」とする。だが早霜は機動部隊乙部隊(第二航空戦隊)護衛である。
  9. ^ 『戦史叢書12巻』付表第4「油槽艦行動表」の速吸項目では「6月24日呉着」と記載する。
  10. ^ 梶岡定道少将は、太平洋戦争開戦時の第六水雷戦隊司令官。軽巡夕張を旗艦とし、ウェーク島攻略戦ラエ・サラモア上陸戦等を指揮。
  11. ^ 木俣滋郎『日本空母戦史』696頁では、永洋丸を撃破したのはブルーフィッシュとする。
  12. ^ #SS-222, USS BLUEFISH, Part 2p.10 記載時間
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出典編集

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  113. ^ #SS-222, USS BLUEFISH, Part 2p.10, pp.23-25
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  116. ^ a b #SS-222, USS BLUEFISH, Part 2pp.30-31
  117. ^ 大井篤 2014, pp. 321-322.
  118. ^ #内令(秘)昭和19年10月(2)、p.35〔内令第一一六〇號 特務艦類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十九年十月十日 海軍大臣 運送艦、知床型ノ項中「、鶴見」ヲ、同「| |速吸|」ノ項ヲ削ル〕
  119. ^ #内令(秘)昭和19年10月(2)、pp.36-37〔内令第一一六五號|呉鎮守府在籍 軍艦 白鷹|佐世保鎮守府在籍 軍艦 大鷹|舞鶴鎮守府在籍 軍艦 長良、軍艦 名取|右帝國軍艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 朝風、驅逐艦 五月雨|呉鎮守府在籍 驅逐艦 敷波|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 夕凪|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 松|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(中略)佐世保鎮守府在籍 特務艦 速吸|舞鶴鎮守府在籍 特務艦 鶴見|右帝國特務艦籍ヨリ除カル|昭和十九年十月十日 海軍大臣〕
  120. ^ a b 『日本海軍史』第10巻、144頁。

関連項目編集