造幣局 (日本)

日本の大阪府大阪市北区にある独立行政法人

独立行政法人造幣局(ぞうへいきょく、: Japan Mint)は、硬貨製造勲章褒章および金属工芸品等の製造、地金鉱物の分析および試験、貴金属地金の精製、貴金属製品の品位証明(ホールマーク)などの事業を行う日本独立行政法人行政執行法人)。

独立行政法人造幣局
造幣局本局(創設時の門、大阪府大阪市)
造幣局本局(創設時の門、大阪府大阪市
平成31年製造の貨幣セット
平成31年製造の貨幣セット
正式名称 独立行政法人造幣局
日本語名称 独立行政法人造幣局
英語名称 Japan Mint
略称 造幣局
組織形態 独立行政法人
本局所在地

日本の旗 日本
530-0043
大阪府大阪市北区天満1丁目1番79号

地図
北緯34度41分48.6秒 東経135度31分16.3秒 / 北緯34.696833度 東経135.521194度 / 34.696833; 135.521194座標: 北緯34度41分48.6秒 東経135度31分16.3秒 / 北緯34.696833度 東経135.521194度 / 34.696833; 135.521194
法人番号 6120005008509 ウィキデータを編集
予算 336.3億円(2020年(令和2年)度)[1]
* 業務収入 334.6億円
* その他収入 1.7億円
資本金 596.9億円(2020年(令和2年)度)[2]
負債 367.0億円(2020年(令和2年)度)[2]
人数 役員6人・職員864人[3]
理事長 後藤健二
活動内容 硬貨の製造、勲章の製造など
設立年月日 1871年4月4日
独立行政法人化は2003年(平成15年)4月1日
前身 財務省造幣局
所管 財務省
関連組織 日本銀行
国立印刷局
拠点 大阪本局(造幣博物館
広島支局
さいたま支局
ウェブサイト https://www.mint.go.jp/
テンプレートを表示
OAPタワーから南望する造幣局本局
広島支局
さいたま支局

職員の身分国家公務員である。なお、紙幣日本銀行券)の製造は行わず、これは独立行政法人国立印刷局で行われる。

概要 編集

本局は大阪市北区天満に位置し、構内に造幣博物館がある。支局はさいたま市大宮区広島市佐伯区の2か所に位置する。

1871年の創設時(創設当時の名称は「造幣寮」)以来、工場内および近隣周辺に貨幣鋳造時の余剰発生ガスでガス灯を灯しており、当初は日本初のガス灯による街灯で見物人が多数訪れている。1964年東京オリンピック1972年札幌オリンピック1998年長野オリンピックパラリンピック2020年東京オリンピックパラリンピックの金・銀・銅の各メダル名古屋城金鯱なども製作され、大阪造幣局とも俗称される。

沿革 編集

明治新政府は1868年5月16日(慶応4年4月24日)に旧金座および銀座を接収し、6月11日(慶応4年4月21日)に貨幣司を設けて二分判および一分銀などの鋳造を引き継がせている。1869年3月17日(明治2年2月5日)に貨幣司が廃止されて太政官に造幣局が設置され、8月15日(明治2年7月8日)に造幣局は造幣寮へ改称されて大蔵省所属となる。

1868年(慶応4年)に参与会計事務官三岡八郎、外国事務局判事五代才助らが同年に廃止されたイギリス帝国香港造幣局の造幣機械を6万で購入する契約を結び、11月1日(明治元年9月17日)に英国建築技師トーマス・ウォートルスが雇用され局舎設計および機器購入などを担当している。1869年にはオリエンタル・バンクとの間で貨幣鋳造条約が締結された。1870年3月3日(明治3年2月2日)に旧香港造幣局長トーマス・ウィリアム・キンダー(キンドル)[注 1]が造幣寮首長に任命[4][5]されている。

大阪本局は1871年1月17日(明治3年11月27日)に銀貨製造を開始し、4月4日(明治4年2月15日)に大蔵省造幣寮として創業式を挙行している。6月27日(明治4年5月10日)に新貨条例および造幣規則布告がされて近代的貨幣制度が開始される。

1875年明治8年)1月31日限りでキンドルらお雇い外国人10人を解雇して寮務全般が改革され、試験分析局のディロンおよび冶金室のウィリアム・ゴーランド(ガウランド)[注 2]に造幣頭の顧問役を兼任させている。

1877年(明治10年)1月11日に造幣局へ改称される。

1879年(明治12年)9月16日に大蔵省内で東京出張所が開設され貨幣製造のための地金受け入れ業務を開始する。1889年(明治22年)大阪本局の土地の一部が宮内省(現:宮内庁)の所管へ移され、その後三菱合資会社(現:三菱マテリアル)へ払い下げられる。東京支局は1907年(明治40年)5月17日に廃止されるが、1929年昭和4年)7月1日に東京市麹町区内幸町へ東京出張所が再設され、1939年(昭和14年)11月20日に豊島区西巣鴨へ移転し、1943年(昭和18年)9月1日に造幣局東京支局へ改称され、1945年(昭和20年)4月13日に空襲で全焼し事業を停止している。同年6月7日に大阪本局も空襲で被災し工場の一部を焼失している。

1945年(昭和20年)2月1日に広島県佐伯郡五日市町へ造幣局広島支局が開設される。8月6日に広島市への原子爆弾投下により被災するが、1946年(昭和21年)1月15日に貨幣製造を再開し、同月に東京支局も貨幣製造を再開している。

1949年(昭和24年)6月1日に大蔵省の外局であり、長官を長とする造幣庁となる。

1952年(昭和27年)8月1日に大蔵省の附属機関である造幣局となる。

国家行政組織法の改正により、1984年(昭和59年)7月1日に位置づけが、大蔵省特別の機関となる。

2003年(平成15年)4月1日に独立行政法人化された。

2012年(平成24年)9月、東京支局がさいたま市さいたま新都心隣接地(三菱マテリアル所有地を取得)へ移転することを発表[6]2016年(平成28年)10月3日に移転開局するとともに、さいたま支局に改称された。

硬貨製造量 編集

年銘別貨幣製造枚数[7]による。

年銘別製造枚数
年銘 一円硬貨 五円硬貨 十円硬貨 五十円硬貨 百円硬貨 五百円硬貨 合計
1948年(昭和23年) [注 3]- [注 4]74,520 - - - - 74,520
1949年(昭和24年) [注 3]- [注 5]291,588 - - - - 291,588
1950年(昭和25年) [注 3]- 181,824 [注 6]- - - - 181,824
1951年(昭和26年) - 197,980 [注 7][注 8]101,068 - - - 299,048
1952年(昭和27年) - 55,000 486,632 - - - 541,632
1953年(昭和28年) - 45,000 466,300 - - - 511,300
1954年(昭和29年) - 0 520,900 - - - 520,900
1955年(昭和30年) [注 9]381,700 0 123,100 [注 10]63,700 - - 568,500
1956年(昭和31年) 500,900 0 0 91,300 - - 592,200
1957年(昭和32年) 492,000 10,000 50,000 39,000 [注 11]30,000 - 621,000
1958年(昭和33年) 374,900 50,000 25,000 18,000 70,000 - 537,900
1959年(昭和34年) 208,600 [注 12]33,000 [注 13]62,400 [注 14]23,900 [注 15]110,000 - 437,900
1960年(昭和35年) 300,000 34,800 225,900 6,000 50,000 - 616,700
1961年(昭和36年) 432,400 61,000 229,900 16,000 15,000 - 754,300
1962年(昭和37年) 572,000 126,700 284,200 50,300 0 - 1,033,200
1963年(昭和38年) 788,700 171,800 411,300 55,000 45,000 - 1,471,800
1964年(昭和39年) 1,665,100 379,700 479,200 69,200 10,000 - 2,603,200
1965年(昭和40年) 1,743,256 384,200 387,600 189,300 62,500 - 2,766,856
1966年(昭和41年) 807,344 163,100 395,900 171,500 97,500 - 1,635,344
1967年(昭和42年) 220,600 26,000 158,900 [注 16]238,400 [注 17]432,200 - 1,076,100
1968年(昭和43年) 0 114,000 363,600 200,000 471,000 - 1,148,600
1969年(昭和44年) 184,700 240,000 414,800 210,900 323,700 - 1,374,100
1970年(昭和45年) 556,400 340,000 382,700 269,800 237,100 - 1,786,000
1971年(昭和46年) 904,950 362,050 610,050 80,950 481,050 - 2,439,050
1972年(昭和47年) 1,274,950 562,950 634,950 138,980 468,950 - 3,080,780
1973年(昭和48年) 1,470,000 745,000 1,345,000 200,970 680,000 - 4,440,970
1974年(昭和49年) 1,750,000 950,000 1,780,000 470,000 660,000 - 5,610,000
1975年(昭和50年) 1,656,150 970,000 1,280,260 238,120 437,160 - 4,581,690
1976年(昭和51年) 928,850 200,000 1,369,740 241,880 322,840 - 3,063,310
1977年(昭和52年) 895,000 340,000 1,467,000 176,000 440,000 - 3,318,000
1978年(昭和53年) 864,000 318,000 1,435,000 234,000 292,000 - 3,143,000
1979年(昭和54年) 1,015,000 317,000 1,207,000 110,000 382,000 - 3,031,000
1980年(昭和55年) 1,145,000 385,000 1,127,000 51,000 588,000 - 3,296,000
1981年(昭和56年) 1,206,000 95,000 1,369,000 179,000 348,000 - 3,197,000
1982年(昭和57年) 1,017,000 455,000 890,000 30,000 110,000 [注 18]300,000 2,802,000
1983年(昭和58年) 1,086,000 410,000 870,000 30,000 50,000 240,000 2,686,000
1984年(昭和59年) 981,850 202,850 533,850 29,850 41,850 342,850 2,133,100
1985年(昭和60年) 837,150 153,150 335,150 10,150 58,150 97,150 1,490,900
1986年(昭和61年) 417,960 113,960 68,960 9,960 99,960 49,960 760,760
1987年(昭和62年) 955,775 631,775 165,775 [注 19]775 193,775 2,775 1,950,650
1988年(昭和63年) 1,269,042 396,120 618,112 109,112 363,112 148,218 2,903,716
1989年(昭和64年) 116,100 67,332 74,692 0 0 16,042 274,166
1989年(平成元年) 2,366,970 960,660 666,308 245,000 369,000 192,852 4,800,790
1990年(平成2年) 2,768,953 520,953 754,953 274,953 444,953 159,953 4,924,718
1991年(平成3年) 2,301,120 517,120 632,120 209,120 375,120 170,120 4,204,720
1992年(平成4年) 1,299,130 301,130 538,130 49,130 211,130 88,130 2,486,780
1993年(平成5年) 1,261,240 413,240 249,240 51,240 82,240 132,240 2,189,440
1994年(平成6年) 1,040,767 197,767 190,767 65,767 81,767 105,772 1,682,607
1995年(平成7年) 1,041,874 351,874 248,874 111,874 92,874 182,869 2,030,239
1996年(平成8年) 942,213 207,213 546,213 82,213 237,213 99,213 2,114,278
1997年(平成9年) 783,086 239,086 491,086 150,086 272,086 173,090 2,108,520
1998年(平成10年) 452,612 172,612 410,612 100,612 252,612 214,608 1,603,668
1999年(平成11年) 67,120 60,120 359,120 59,120 179,120 165,120 889,720
2000年(平成12年) 12,026 9,030 315,026 7,026 172,026 [注 20]595,969 1,111,103
2001年(平成13年) 8,024 78,025 542,024 8,024 8,024 608,051 1,252,172
2002年(平成14年) 9,667 143,662 455,667 11,667 10,667 504,661 1,135,991
2003年(平成15年) 117,406 102,406 551,406 10,406 98,406 438,405 1,318,435
2004年(平成16年) 52,903 70,903 592,903 9,903 204,903 356,903 1,288,418
2005年(平成17年) 30,029 16,029 504,029 10,029 300,029 345,030 1,205,175
2006年(平成18年) 129,594 9,594 440,594 10,594 216,594 381,593 1,188,563
2007年(平成19年) 223,904 9,904 388,904 9,904 129,904 409,903 1,172,423
2008年(平成20年) 134,811 9,811 362,811 8,811 93,811 432,811 1,042,866
2009年(平成21年) 48,003 4,003 338,003 5,003 115,003 343,003 853,018
2010年(平成22年) 7,905 [注 19]510 328,905 [注 19]510 67,905 406,905 812,640
2011年(平成23年) [注 19]456 [注 19]456 255,936 [注 19]456 178,936 301,936 738,176
2012年(平成24年) [注 19]659 [注 19]659 279,211 [注 19]659 402,211 267,211 950,610
2013年(平成25年) [注 19]554 [注 19]554 100,892 [注 19]554 608,892 137,892 849,338
2014年(平成26年) 124,013 87,538 171,013 7,538 445,013 167,013 1,002,128
2015年(平成27年) 82,004 105,004 203,004 47,004 410,004 143,004 990,024
2016年(平成28年) [注 19]574 35,064 198,064 46,064 461,064 221,064 961,894
2017年(平成29年) [注 19]477 33,927 124,927 20,927 518,927 426,327 1,125,512
2018年(平成30年) [注 19]440 17,960 178,960 56,960 567,960 286,192 1,108,472
2019年(平成31年) [注 19]566 16,946 197,594 1,118 302,006 126,164 644,394
2019年(令和元年) [注 19]502 20,574 137,026 42,502 58,614 76,956 336,174
2020年(令和2年) [注 19]528 29,528 276,428 58,428 453,428 143,928 962,268
2021年(令和3年) [注 19]845 10,133 139,133 9,133 366,133 [注 21]354,933 880,310
2022年(令和4年) [注 19]574 [注 19]574 129,874 [注 19]574 293,274 302,474 727,344
2023年(令和5年) [注 19]463 [注 19]463 27,927 [注 19]463 192,927 362,527 584,770
単位千枚、端数は四捨五入。記念貨幣は含まず。

外国硬貨の製造 編集

保有する高度な通貨偽造防止技術を活かし、諸外国の通貨・記念硬貨やメダル製造も手掛けている。

戦前は、1901年(明治34年)2月20日に台湾銀行兌換券の引換基金として日本一円銀貨踏襲の「台湾銀行兌換引換用圓銀」製造を請け、1905年(明治38年)4月8日に韓国金貨銀貨銅貨[4]製造を請け、1916年(大正5年)2月9日にロシア15カペイカおよび10カペイカ銀貨[5]製造を契約している。

近年は、スリランカニュージーランドの記念硬貨[8]や、2012年(平成24年)11月に戦後初の外国一般流通貨幣製造[9]となるバングラデシュステンレス製2タカ貨幣5億枚を5億2千万円で落札し受注[10]するなど、電子マネー普及などの貨幣流通量減少による余剰設備活用と技術力維持のため外国からの貨幣製造[8]に注力している。

日本の民間向け事業 編集

試験検定事業 編集

貴金属製品の品位証明、地金・鉱物の分析、貴金属地金の精製など、造幣で培った技術を利用した企業・個人向けの事業を有償で行っている。

勲章 編集

造幣局では勲章に関して製造以外にも、受章者が勲章を紛失・破損した場合、内閣府賞勲局から発行される「勲章調製通知書」や「勲章修理通知書」を提示すれば自費で修理・調製ができる[11]。また受章者向けに、本勲章の代わりに左胸に着用する略小勲章も販売している[12]

国の勲章以外にも、オリンピックメダル、地方自治体の功労賞メダル、高校野球の優勝牌、大相撲の優勝杯など金属工芸品の製造も受注している[13][14]

土産品 編集

造幣局内売店の土産品「造幣せんべい」は、神戸亀井堂総本店が製造して煎餅両面に1円 - 500円硬貨の図案が焼かれ、造幣局の他財務省内売店でも販売し、旧:東京支局が豊島区に所在した縁で2004年(平成16年)に豊島区選定名品・名産品となる。桜の通り抜け期間中に順路沿い特設売店での販売時期もあるが、現在京阪シティモール地下入口前で販売している。

歴代局長・理事長等 編集

氏名 在任期間 前職 後職
大蔵省造幣局長
松田篤之 1990.6.29 - 1991.6.11 大蔵省理財局次長(国有財産担当) 退職 
田中寿 1991.6.11 - 1992.7.20 大蔵省理財局次長(国有財産担当) 退職 
吉本修二 1992.7.20 - 1993.6.25 大蔵省理財局次長(国有財産担当)
→大蔵省大臣官房
退職 
井坂武彦 1993.6.25 - 1994.6.15 大蔵省大臣官房金融検査部長 退職 
西方俊平 1994.7.1 - 1995.5.26 大蔵省大臣官房審議官証券局担当)
関東財務局東京証券取引所監理官
退職 
花野昭男 1995.5.26 - 1996.7.12 大蔵省大臣官房審議官(銀行局担当) 退職 
志田康雄 1996.7.12 - 1997.7.15 国土庁長官官房審議官(計画・調整局担当) 退職 
戸恒東人 1997.7.15 - 1998.7.1 大蔵省理財局次長(国有財産担当) 退職
堀田隆夫 1998.7.1 - 1999.7.8 大蔵省証券取引等監視委員会事務局長 退職
山本晃 1999.7.8 - 2000.6.30 大蔵省大臣官房審議官(金融企画局担当) 退職
筑紫勝麿 2000.6.30 - 2001.1.6 大蔵省大臣官房審議官(関税局担当) 財務省造幣局長
財務省造幣局長
1 筑紫勝麿 2001.1.6 - 2003.3.31 大蔵省造幣局長 退職
独立行政法人造幣局理事長
1 西原篤夫 2003.4.1 - 2008.7.18 元・国際復興開発銀行理事(1992.6退職)
東京証券取引所常務
退職
2 新原芳明 2008.7.18 - 2015.3.31 元・金融庁証券取引等監視委員会事務局長(2004.7.2退職)
一般社団法人信託協会専務理事
退職
3 百嶋計 2015.4.1 - 2018.3.31 造幣局理事 退職
4 川嶋真 2018.4.1 - 2021.3.31 財務省大臣官房参事官
大臣官房審議官(大臣官房担当)
退職
5 山名規雄 2021.4.1 - 2023.3.31[15] 財務省大臣官房審議官(大臣官房担当)
6 後藤健二 (官僚) 2023.4.1 - 大阪国税局長

桜並木一般公開 編集

大阪本局 編集

大阪本局にはカンザンフゲンゾウなどの遅咲きのヤエザクラを中心に137品種336本(2021年(令和3年)時点)のサクラが植栽されており、日本さくら名所100選に選定されている。毎年4月中旬のヤエザクラの開花時期の7日間に敷地内の一部が花見客に一般公開される「桜の通り抜け」が行われており、多品種のサクラを見ることができる春の伝統行事となっており、夜間照明により日没後も夜桜鑑賞ができる[16][17]

大阪市北区の大川沿いに位置する本局は藤堂家大坂屋敷の敷地を明治期に再整備して開業した経緯があり、その際、同家の敷地に植栽されていた樹木約120品種、約400本も造幣局へ引き継がれて大川の川岸通りに移植され、造幣局敷地内には1870年(明治3年)以降に新たに桜の若木が並木として植えられた。

1883年(明治16年)に当時の造幣局長遠藤謹助が「役人だけが花見をしていてはいけない」と桜並木の一般公開を始めたのが「桜の通り抜け」の始まりであり「桜の通り抜け」の呼称は1907年(明治40年)頃に定着した。1943年(昭和18年)から1946年(昭和21年)までは太平洋戦争による被災で中止され、大阪大空襲では多くの桜を焼失したが、戦後に職員らの蒐集により多品種の桜並木が復元された。

1967年(昭和42年)に観客の1人が転倒したことから将棋倒しとなり、女性1人が死亡し27人が負傷。これをきっかけとして、1968年(昭和43年)から川崎橋方向の南側ゲートから入場し桜宮橋方向の北側ゲートへ抜ける一方通行となった。1975年(昭和50年)からは毎年一品種が「今年の花」として紹介されるようになり[17]、また「通り抜け記念メダル」の販売も始まった[18]

平成23年(2011年)は東日本大震災に際する電力危機により内外からの開催反対意見があったが、夜桜ライトアップを取り止めて昼間のみ開催され、開催7日間で1000万円余が募金された[19]

2020年(令和2年)は新型コロナウイルス感染症の流行の影響を受け中止が発表された[20]。また、2021年(令和3年)は、防疫・拡大防止のため事前にはがきによる抽選申し込みに当選した方を対象として、1日当たり8400人(週末は9600人)、かつ、1時間当たり1200人を上限として、申込者に曜日と時間(午前・午後。1時間単位の入場指定については主催者で決定)を指定した入場を受け付けた上で[21]4月8日~14日に開催する予定になっていたが、変異種などによるコロナウィルス第4波の影響が広がっていること、また日本国政府が大阪市に対して、「蔓延防止等重点措置」を4月6日~5月5日(予定)に適用することを決めたことを踏まえ、「来場者の感染を防ぐため」に同年の開催も見合わせることが決まった[22]

2022年、2023年(令和4,5年)は事前のネット予約(費用無料 先着順)を申し込んだ人に限定して入場できるようになった。

観桜者数第1位は、2005年(平成17年)の114万7000人、第2位は1959年(昭和34年)の106万1780人[17]

支局 編集

1967年(昭和42年)に大阪から桜が移植された広島支局でも、1991年(平成3年)以降、毎年ヤエザクラの開花時期に「花のまわりみち」として一般開放されている。広島支局の桜は60品種220本である[23]。2020年(令和2年)は新型コロナウイルス感染症の流行の影響を受け中止が発表された[20]

2016年(平成28年)に東京支局から移転して開局したさいたま支局では、敷地内(博物館棟の北側)に200mほどに渡り、ヤエザクラ23種類、約100本の若木が植えられており、2021年(令和3年)以降、毎年開花時期に「桜のさんぽ道」として一般開放されている。通路の名称は、支局の職員から公募して決定した。

拠点 編集

節内の全座標を示した地図 - OSM
節内の全座標を出力 - KML
530-0043 大阪府大阪市北区天満1丁目1番79号北緯34度41分48.6秒 東経135度31分16.3秒 / 北緯34.696833度 東経135.521194度 / 34.696833; 135.521194 (大阪本局)
330-0835 埼玉県さいたま市大宮区北袋町1丁目190番地22北緯35度53分37.7秒 東経139度38分25.5秒 / 北緯35.893806度 東経139.640417度 / 35.893806; 139.640417 (さいたま支局)
731-5128 広島県広島市佐伯区五日市中央6丁目3番1号北緯34度22分40.6秒 東経132度21分26.8秒 / 北緯34.377944度 東経132.357444度 / 34.377944; 132.357444 (広島支局)

交通アクセス 編集

文化財 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 当時の『造幣寮首長報告書』や、造幣局関連の資料にはキンドルと記される。
  2. ^ 当時の『造幣寮首長報告書』や、造幣局関連の資料にはガウランドと記される。
  3. ^ a b c この年には一円黄銅貨が製造・発行されたが、小額通貨整理法により通用が停止されたため、製造枚数は掲載していない。
  4. ^ 無孔黄銅貨。
  5. ^ うち無孔黄銅貨179,692、有孔楷書体黄銅貨(愛称:フデ五)111,896。この年より有孔楷書体黄銅貨製造開始。
  6. ^ この年には十円洋銀貨が製造されたが、発行されなかったため、製造枚数は掲載していない。
  7. ^ この年よりギザ付き青銅貨(愛称:ギザ十)。
  8. ^ この年にはギザ付き十円青銅貨が製造される前に十円洋銀貨が製造されたが、十円洋銀貨は発行されなかったため、十円洋銀貨分の製造枚数は含まれていない。
  9. ^ この年よりアルミ貨。
  10. ^ この年より無孔ニッケル貨。
  11. ^ この年より鳳凰銀貨。
  12. ^ この年より有孔ゴシック体黄銅貨。
  13. ^ この年よりギザ無し青銅貨。
  14. ^ この年より有孔ニッケル貨。
  15. ^ この年より稲穂銀貨。
  16. ^ この年より白銅貨。
  17. ^ この年より白銅貨。
  18. ^ この年より白銅貨。
  19. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 全て造幣局販売の貨幣セット(ミントセット)に組み込まれており、一般流通用は存在しない。
  20. ^ この年よりニッケル黄銅貨。
  21. ^ うちニッケル黄銅貨184,711、バイカラー・クラッド貨170,222。この年よりバイカラー・クラッド貨製造開始。

出典 編集

  1. ^ 令和2年度事業計画 上位URL=年度目標・事業計画等 独立行政法人造幣局、2022年(令和4年)3月7日閲覧。
  2. ^ a b 令和2年度 事業報告書
  3. ^ 独立行政法人造幣局 役員一覧(2023年(令和5年)7月1日現在、2023年(令和5年)7月13日閲覧。)
  4. ^ a b 『造幣局六十年史』大蔵省造幣局、1931年(昭和6年)
  5. ^ a b 『造幣局百年史(資料編)』大蔵省造幣局、1974年(昭和49年)
  6. ^ さいたま新都心 開発再び 造幣局東京支局が移転方針 - 日本経済新聞、2012年(平成24年)9月26日、2020年(令和2年)11月5日閲覧。
  7. ^ 貨幣に関するデータ - 独立行政法人造幣局、2023年(令和5年)2月28日閲覧。
  8. ^ a b 財務省・造幣局、バングラデシュ貨幣の製造受注 - 日本経済新聞、2021年(令和4年)3月7日閲覧。
  9. ^ バングラデシュ中央銀行から2タカ貨幣の製造を受注しました(2012年11月13日) - 造幣局プレスリリース、2020年(令和2年)11月5日閲覧。
  10. ^ 造幣局、バングラデシュ貨幣製造を受注 海外進出重視へ [リンク切れ] - 朝日新聞、2012年(平成24年)11月13日、2020年(令和2年)11月5日閲覧。
  11. ^ 内閣府賞勲局 (2011年). “東日本大震災によって勲章等を紛失された方へ”. 2020年11月5日閲覧。
  12. ^ 独立行政法人 造幣局 : 略小勲章 - 2020年(令和2年)11月5日閲覧。
  13. ^ 独立行政法人 造幣局 : 金属工芸品の種類 - 2022年(令和4年)3月7日閲覧。
  14. ^ 「造幣局-ザ・バックヤード」【NHK教育】2023年6月7日付
  15. ^ 任命書
  16. ^ 桜の通り抜け(大阪) - 造幣局公式サイト、2020年(令和2年)11月5日閲覧。
  17. ^ a b c 桜の通り抜けのデータ - 造幣局公式サイト、2020年(令和2年)11月5日閲覧。
  18. ^ 「通り抜けの桜」造幣局泉友会、創元社、1985年(昭和60年)、p.78
  19. ^ 桜の通り抜けにおける募金について(報告)~来場者の皆様及び被災地の皆様へ~ - 造幣局サイト トピックス 2011年(平成23年)4月25日、2020年(令和2年)11月5日閲覧。
  20. ^ a b 独立行政法人造幣局 (2020年2月28日). “「桜の通り抜け」及び「花のまわりみち」の開催の中止について”. 2020年11月5日閲覧。
  21. ^ 独立行政法人造幣局 (2020年12月8日). “「令和3年桜の通り抜け」開催のお知らせ(2020年12月8日)”. 2021年4月5日閲覧。
  22. ^ 毎日新聞 (2021年4月3日). “造幣局桜の通り抜け、今年も中止 大阪市「まん延防止」適用で”. 2021年4月5日閲覧。
  23. ^ 花のまわりみちの沿革 - 造幣局、2020年(令和2年)11月5日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集