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進め!青春』(すすめ せいしゅん)は、東宝制作、テアトル・プロ共同制作によって日本テレビ系で1968年に放送された浜畑賢吉主演の学園ドラマ。「でっかい青春」に続く東宝青春学園シリーズの第4弾で、初のカラー放送作品。

作品解説編集

青春とはなんだ』以来の青春学園シリーズの日本テレビ側プロデューサー・岡田晋吉の証言によれば、前作までの夏木陽介竜雷太が演じた生徒たちを引っ張って指導していくスーパーマン教師から生徒と共に成長していく身近な教師像をめざしたという[1]。放映開始がメキシコオリンピック開催時期に重なってしまったために視聴率[2]が伸びずに全11回の短期終了となり、『青春とはなんだ』以降、4作続いた東宝、テアトル・プロ、日本テレビ製作の青春学園シリーズはいったん終了する。当時「劇団四季」に在籍していた浜畑賢吉は、いたずら心のある茶目っ気たっぷりの生徒とともに歩んでいく新米教師像を見事に演じた。この教師像は、後年再開した青春学園シリーズでの村野武範が演じた河野武(『飛び出せ!青春』)や中村雅俊が演じた沖田俊(『われら青春!』)らの教師像の原形ともいえるものだった。

養護教員として出演した岡田可愛は、青春学園シリーズの第1作『青春とはなんだ』以降、『これが青春だ』、『でっかい青春』からこの『進め!青春』までの全132本すべてに出演しており、番組終了後に皆勤賞を貰っている。これについて著書『失敗なんかこわくない』(KSS出版、1998年)にて、自立して生活していたため1本でも欠けると給与に響くため、出番がない時には監督に頼み込んで出演シーンを作ってもらっていたと告白している。

あらすじ編集

高木進(浜畑賢吉)は、半年の浪人を経て晴れて私立日東高校の社会科教師になることが出来た。だが、初日から学生服を着て登校するハメになったりとやることなすこと裏目に出て、散々な渾名を付けられたりして生徒たちに舐められてしまう。一発逆転を狙って言った「180年前に生れていたら俺はけっしてナポレオンに引けをとらなかっただろう。青春の辞書に不可能という言葉はない!」という言葉から“ナポレオン”先生と称され、サッカー部の部長にも就任して生徒たちと一緒になって学園生活を送ることになる。何かと口うるさい英語教師、河野真知子(亀井光代)やお節介な養護教諭の熊木愛子(岡田可愛)という二人の女性と江島教頭(平田昭彦)ら先輩教師たちの間を持ち前のいたずら心で渡り合っていく。

出演者編集

スタッフ編集

放送データ編集

サブタイトル編集

放映日 各話 サブタイトル 脚本 監督 ゲスト
1968年
10.20
第1話 ナポレオン先生 須崎勝弥 高瀬昌弘 松原マモル
10.27 第2話 ゴーゴー・レッツゴー 須崎勝弥 高瀬昌弘 上田吉二郎木村豊幸、久里みのる、宇野晃司
11.3 第3話 若者よ!恋をしろ 上條逸雄 竹林進 野口元雄、三田村賢二山崎猛、石黒高志
11.10 第4話 勝て!勝て!勝て! 田波靖男 竹林進 藤田進、木村豊幸、久里みのる、うえずみのる
音羽久米子、浦島千歌子
11.17 第5話 彼と彼女 鎌田敏夫 高瀬昌弘
11.24 第6話 サッカー部危機一髪 上條逸雄 高瀬昌弘 亀谷雅彦
12.1 第7話 げんこつの報酬 桜井康裕 竹林進 北川理沙、見明凡太郎
12.8 第8話 悲しきカナリヤ 鎌田敏夫 竹林進 夏八木勲南美江
12.15 第9話 壊れた優勝盃 上條逸雄 高瀬昌弘 片岡光雄三崎千恵子
12.22 第10話 ハプニング合宿 桜井康裕 高瀬昌弘 益田喜頓
12.29 第11話 勝利者 須崎勝弥 高瀬昌弘 柴田昌宏、梅田智子

主題歌・挿入歌編集

3曲いずれも作詞:岩谷時子 作曲・編曲:いずみたく

  • 主題歌:浜畑賢吉「進め!青春」
  • 挿入歌:浜畑賢吉「走れゴーゴー」
  • 挿入歌:岡田可愛「悲しきカナリア」 

小説・漫画編集

  • 脚本:須崎勝彌、小説化:相葉一博『進め!青春』ルック社、1970年12月25日刊
  • 横山まさみちと横山プロダクション「進め!青春」、小学館の『小学六年生』1968年10月号 - 1969年3月号(全6回)に掲載。未単行本化。

参考文献編集

  • 岡田可愛著『失敗なんて怖くない』(KSS出版、1998年10月)ISBN 4-87709-289-7
  • 岡田晋吉著『青春ドラマ夢伝説-あるプロデューサーのテレビ青春日記』(日本テレビ放送網、2003年9月)ISBN 4-8203-9863-6
  • 高瀬昌弘著『昭和千本のドラマたち』(廣済堂出版、2007年11月15日)ISBN 978-4-331-51242-5

出典・脚注編集

  1. ^ 『青春ドラマ夢伝説』日本テレビ、2003年。
  2. ^ 第1話は女子バレーボールの中継とぶつかったため11%前後にとどまり、後半は15%前後で一つの目安の15%に近い数字を残したが、前三作より低い視聴率だったため早々と打ち切りに決まったという。(高瀬昌宏『昭和千本のドラマたち』68ページ)

関連項目編集