進水式

新造船の進水
進水から転送)

進水式(しんすいしき)は、造船において造船台で組み立てられた新造船舶を初めて水に触れさせる作業・儀式のこと。進水式の場合はそれがたとえ量産型の船舶であっても必ず一隻ごとに催す。

山雲の進水式。1937年7月24日、藤永田造船所

進水式と同時に船の命名式が行われるのが通例[注釈 1][注釈 2]。進水命名式とも呼称する[3]。 ただし大型船でドックにて建造された場合、進水はドックへの注水となるため命名式のみとすることがある[4]。 式典自体は、船台進水もドック進水もほぼ同様である[注釈 3]。 なお進水式の時点では、船殻が完成しているに過ぎない。艤装が開始され[6]、それが終了すると性能試験をおこない、ようやく竣工して船主に引き渡される[7][注釈 4][注釈 5]

大型船の進水式では地元民を招待したり一般公開するなど、イベント的な要素もある[13][14]。進水式典拝観者のために臨時列車を走らせたり、造船所周辺の市民が進水を祝って提灯国旗を掲げたこともあった[注釈 6]

日本海軍軍艦の進水式には、天皇[16]皇族が臨席することもあり、盛大な式典が催された[17][18][注釈 7]。 諸外国でも国王[20]、大統領[21]、総統[22][注釈 8]総書記など[24][25]、国家の指導者が主賓として軍艦や大型船の進水式に参加することもある。

起源 編集

西洋で行われていた進水を祝う催しが装飾や儀式に変化していったという説がある[26]ヴァイキングは進水式において人間を生贄として捧げていたとされ、後には生贄ではなくを連想させる赤ワインを使う風習となり、さらに白ワインからシャンパンに変化したのが通説とされる[26]

シャンパン 編集

 
ニール・アームストロング (調査船)の命名進水式でシャンパンボトルを割るカリ・アームストロング(ニールの孫娘)

前述のように進水式ではシャンパンボトルを船体に叩きつけて洗礼とする儀式が行われるが[注釈 9][注釈 10]、法律で規定されているわけではないのでワインやウイスキーなど他の酒類が使われることもある[29]

2014年に行われた英海軍空母クイーン・エリザベスの命名式では、同艦がスコットランドロサイスで建造され本人も訪問した経験があることからボウモア蒸溜所スコッチ・ウイスキーが選ばれ、エリザベス女王自ら命名とともにギミックのボタンを押し、無事にボトルが割られた[30]

日本では日本酒を使う場合もある[31][注釈 10]

1811年、当時のイギリス皇太子・ジョージ4世が軍艦の進水で、その役目を女性にあてるよう決めたことから、西欧では女性がボトルを割るのが慣習化し伝統として確立した。有名人や船主[1][注釈 11]、船名(艦名)と関係のある女性が招待される事もある[注釈 12][注釈 13]。 進水式の際に、船に当たったボトルが割れないと、その船は難破沈没などの不幸に見舞われると言われている[34]現代では、ボトルが跳ね返ったK-19が多数の事故に遭遇したことが例としてあげられることが多い。

内容 編集

 
造船台から横方向へ川に滑り落とす進水式の様子。
 
ルーマニア海軍 潜水艦 マルスィヌル 進水式
 
アメリカ海軍 戦艦ワシントン (BB-47) 」の進水と、艤装工事中の姉妹艦「コロラド」。これから艦体に砲塔、舷側装甲、上部構造物などを設置する。
 
艦尾より進水するドイツ海軍の「ビスマルク

造船所の船台(もしくは船渠)にて起工式が行われ、竜骨が据えつけられて、船の建造が本格的に始まる[注釈 14]。船体が概ね完成すると、進水式にむけて準備をおこなう[36]。進水式には大別して2種類ある。

進水する方法には、造船台に乗ったままドックに水を注入して進水式とする「ドック進水」と、造船台から進水台を滑り水面に入水する「船台進水」がある[注釈 15]。 このうち、造船台から進水台を滑り水面へと入る進水式の場合、通常は船側または船尾から水に入る[36]。横方向に進水する方法は、アメリカ合衆国など川沿いの造船所で行われた[36]。これは、船首側から進水すると勢いが付きすぎてしまい、場合によっては転覆してしまう恐れがあるためである。また船尾側から進水したとしても、事故が発生する事もあった[注釈 13]

さらに船台から滑り進水する場合、船台の異常により進水中止になる事例があった[38]。例えば浦賀船渠で建造していた駆逐艦初霜」は1933年(昭和8年)10月31日に進水式をおこなったが、船体が滑らず式典中止[39]。やり直しとなる[40]。11月4日、今度は進水に成功した[41]。 手違いや事故により主賓や現場責任者が支綱を切断するまえに船台から滑り出してしまう事もあり、ドイツ海軍のポケット戦艦「ドイッチュラント[42]、イギリス海軍の空母フォーミダブル」などの事例がある[43]。「フォーミダブル」の事故では船台の破片が見物席に飛び散り、死傷者が出た[注釈 16]

現代では大型船は安全性が高いドック進水が一般的である[45][注釈 17]。 日本海軍においてドック進水を最初に実施したのは、呉海軍工廠で建造された戦艦扶桑」であった[注釈 18]。ドックに注水して新造船を浮かせ、扉船 (Dock Gate) を開放し、タグボートをつかって洋上に引き出す[注釈 3]

キリスト教圏では聖職者による聖別も同時に行われることが多い。

日本における進水式では、まず命名式が行われた後、支綱切断の儀式を行う[注釈 2]明治時代日本海軍フランス人イギリス人などお雇い外国人より指導を受けており、進水式典もヨーロッパの影響を受けた[注釈 19]。 支綱切断の時に使われるハンマー小刀はさみの場合もある)はその艦船ごとに新しく作られる。戦後日本においてはの斧が使われ、特に刃の左側に3本、右側に4本の溝が彫られているものがよく見られるが、これは日本独自のものである[47][48]。日本で初めて斧が使われたのは1891年(明治24年)3月24日、フランス技師ルイ=エミール・ベルタンの設計および指導下で横須賀造船所で建造された松島型海防艦橋立[注釈 20]の進水式であったが(明治天皇臨席)[50]、その後数十年は当時西洋で一般的だったのみによる支綱切断と併用された[51]

銀の斧は古くから悪魔を振り払うといわれている縁起物で、1907年(明治40年)10月24日佐世保海軍工廠における防護巡洋艦利根」の進水式で最初に用いられた。この「利根」の進水式は、大正天皇皇太子昭和天皇)や有栖川宮威仁親王東郷平八郎大将が出席するなど、盛大な儀式であった[52]。当時工廠の造船部長であった小山吉郎が、日本の軍艦の進水式なのだから西洋式の槌とのみではなく、日本古来の長柄武器である「まさかり」様の器具を支綱切断に用いるべきとして、新たな斧を発案したのがはじまりである[51]。また鑿では支綱を一度で切断できない事例もあり、刃が広い斧が普及したという理由もあった[注釈 19]。なおの斧を使用した事例もあった[17]

この時の進水斧では[51]、左側に彫られた3本の溝はアマテラス(中央)・イザナギイザナミ、右側に彫られた4本の溝は八幡神春日神豊受大神猿田彦を示すとされていた[53]。現在では、左側の3本の溝は三貴子(みはしらのうずのみこ:アマテラスツクヨミスサノオ)、右側の4本の溝は四天王を表すと考えられている[54][34]

この支綱はくす玉シャンパンなどに繋がれており、切断と連動してシャンパンなどが船体に叩きつけられる[36]。それと同時に船名を覆っていた幕が外れ、くす玉が割られ、くす玉本体とその周辺から大量の紙テープ紙吹雪風船などが舞う中、進水台を滑り(またはドックに注水し)進水となる[54][注釈 21]。 くす玉には[56][注釈 6]、「新船の誕生と、その前途の多幸を祝福するもの」という意味が込められている[57]。 日本海軍において進水式の方法が概ね確立したのはスループ武蔵」(横須賀造船所)で、 1886年(明治19年)3月30日の進水式には皇后陛下が出席している[58][59]。進水と共にくす玉が割れると、ハトや五色の紙が散らされた。

海上自衛隊では、命名式を行った後、続けて造船会社による進水式を行うため『命名・進水式』と称している[60]

神道式で進水式を斎行する時の一例として、まず手水修祓、降神、献饌、祝詞奏上を行ってから、神職が米や塩や酒や切麻などで船を清める。次に神職は命名書を船主に進め、船主は舳にて命名書を読む。次に玉串拝礼、撤饌、昇神を行い、神職は忌斧を船主に渡す[61]

出典 編集

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  1. ^ イギリス海軍の戦艦「ロドニー」(1925年12月17日)と戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」(1939年5月4日)はメアリー王女(プリンセス・ロイヤル)によって進水し、王女は「すてきな名付け子を二人も持てた」と喜んでいたという[1]
  2. ^ a b 一、十月十五日海軍省ハ去ル十九年三月發布セシ新造艦船命名式第一條ヲ次ノ如ク改正セリ[2] 第一條 新造ノ艦船進水ノ準備整フトキハ更ニ其名號ヲ確定シ左ノ如キ命名書ヲ作ル 〔 命名書 本艦(船)何年何月何月構造ヲ始メ今船體成ルヲ告ク依テ何何ト命名シ進水ス 年 月 日 〕
    一、十月五日本日新造軍艦高雄號ノ命名式ヲ執行ス 皇后陛下ニハ當日午前七時三十分宮城御出アラセラレ新橋停車場ヨリ汽車ニ召シ横濱ニ箸御横濱ヨリ御乗船午前十一時半當軍港ニ御箸艦アラセラレ本所官廰前ヨリ御上陸官廰ニ御休憩アラセラル此ノ間鎭守府司令長官以下奏任官以上ハ拝謁ヲ賜ヒ鎭守府司令長官ハ新艦構造ノ明細表寫眞圖面等ヲ奉呈シ台覽ニ供ス午後零時三十分鎭守府司令長官以下命名式準備成レル旨奏上シ西郷海軍大臣中牟田鎭守府司令長官遠武造船所長御先導式場ニ臨御皇族大臣以下一同座席ニ就ク此時 皇后陛下命名書ヲ海軍大臣ニ下シ玉ヒ大臣之ヲ朗讀シ本艦ヲ高雄艦ト命名セリ茲ニ於テ造船所長ハ進水台ノ錘紐ヲ切斷シ艦體忽チ船臺ヲ滑走シテ水上ニ進行シ茲ニ式終リ 陛下ニハ午後二時三十分ヲ以テ御出發還御アラセラレタリ(高雄要目略、明治21年10月15日進水)
  3. ^ a b 日本近信(四月一日) ◎戰艦扶桑進水式の大椿事 ▲七萬の群衆雨に驚ける大混雑 ▲四十餘名の死傷者を出したり[5]▲盛んなる進水式 戰艦扶桑の進水式は二十八日午前十時の高潮時を以て擧行されたり(中略)是より先午前五時半船渠の扉を開き海水を侵入せりめ滿艦飾を施したる新艦は僅に艦首の繋留索と兩舷の支柱に支へられ居るのみにて進水の準備全く成れり是に於て野間口海相代理は第二號戰艦成るを告げ扶桑と命名すと命名書を朗讀す呉工廠長乃ち繋留索を切斷すれば三萬六百噸超弩級戰艦扶桑は汽艇六隻に曳かれ海軍々樂隊の吹奏裡に徐々と進行し始め拝觀者の拍手雷の如き間に凡そ十五分にして船渠の外に引出され茲に目出度く進水式を終了し伏見宮博恭王殿下には午後三時七分廣島驛發滊車にて御歸京相成りたり ▲式後大椿事(群衆事故の詳細は省略)
  4. ^ 就役前、洋上に出て試験航海を行う[8]。戦艦「大和」の有名な写真は竣工前の1941年(昭和16年)10月30日に撮影された(大和の就役は1941年12月16日)。
  5. ^ ただし「竣工式」や「引渡し式」を行って完成船(艦)となったが、諸事情により、実際は未完成だった事例がある。ワシントン海軍会議時に完成艦か否かで問題となった戦艦「陸奥[9]、未完成のまま「竣工」したことにした空母「加賀」(名目上の竣工1928年3月31日、艤装工事完了1929年秋)[10]潜水母艦大鯨[11]、戦局悪化の中で未完成のまま竣工式を行った空母「信濃」など[12]
  6. ^ a b 東京近信 ◎名も懐かしき處女艦「山城」 ▲本日進水式擧行[15] 横須賀海軍工廠に於て建造せる巨艦『山城』の進水式は愈々三日午后一時御名代伏見若宮博恭王殿下を迎え奉りて盛大に執行する事となれり
    ▲淡紅色 同艦は去大正二年十一月廿日起工式を擧げ爾來八千有餘の職工が熱血を注ぎて幾多の犠牲を拂ひ工事に從事せるものにて呉工廠建造の扶桑と姉妹艦なり。横須賀工廠にては右起工式のため茲數日來殆ど徹宵の姿にて其準備を急ぎたる甲斐ありて第二船臺上に巍然として横はれる山城の巨艦は淡紅色を以て見事に塗られ、艦首には金色燦然たる菊花御紋章の外海神の鉾及藥玉等既に取附を終り尚艦側兩舷には杉の葉を以て装飾され、一段高き式場には二間に六間の御座所を設け式場側なる來賓入口に當てたる工廠南東門及び白券入口なる東門にはアーチを設け準備をさ〱怠りなく今や起工式を待つ許りになりぬ來賓▲千餘名一方鎭守府にては先年擧行したる『比叡』進水式當日の雜沓に鑑み鐡道院と交渉の末、下り三回、上り四回の臨時列車を増發する事となり別に御用船由良川丸を横濱横須賀間通ひとして來賓の乗用に充つる筈。而して横須賀市民は此空前の盛儀を祝すべく毎戸國旗提灯を提掲し、尚市内各旅館は一兩日前よりこれが拝觀者地方より續々乗込み何れも滿員の盛況を呈し居れり。因に當日東京よりの來賓の主なる者は關野侍從武官、本多東宮侍從を始め、東郷井上兩元帥其他海陸諸星並に貴衆兩院議員等無慮一千餘名なりと(記事おわり)
  7. ^ 横須賀海軍工廠で実施された重巡妙高」の進水式は、昭和天皇高松宮宣仁親王などの臨席もあり、拝観者は30万人を越えた[19]
  8. ^ 新獨航空艦昨日進水す[23] キール八日 獨逸海軍最初の航空母艦グラーフ・ツエペリン號の進水式は八日朝キール軍港に於てヒトラー総統、ゲーリング空相、レーダー海軍總司令官等臨れ席約十万の觀衆の歡呼裡に盛大に擧行された(以下略)
  9. ^ 1940年6月1日、戦艦ワシントン (BB-56) 」進水式のニュース映像に、ヴァージニア・マーシャル(ジョン・マーシャル直系の子孫)がシャンパンを割るシーンが写る(NHKアーカイブスポータル[27]
  10. ^ a b 神酒の洗禮[28] 外國では進水式に際し、その船の舳先より式臺に取る綱に三鞭酒を結び置き、船の滑り出しの直前か又は之と同時に其の綱を截り壜を船首に打當て、之を破裂させて船首に濺ぎ洗禮の意を表する式がある。日本に於ても商船の進水式には此の行事を行ふを例とするが、三鞭酒の代りに日本酒を用ひて居る。(終)
  11. ^ 1950年5月20日、デンマーク向け貨物船の進水式をおこなう駐日デンマーク公使の令嬢(NHKアーカイブスポータル[32]
  12. ^ 一例として、ポケット戦艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」の場合、フォークランド沖海戦で戦死したマクシミリアン・フォン・シュペー提督の令嬢が命名式をとりおこなった[33]
  13. ^ a b 進水式椿事 新獨巡洋艦防壁に衝突[37](九日キール發)今朝ドイツ新興海軍の威力として竣成の二隻目の二萬六千噸級戰闘巡洋艦グナイゼナウ號がヒトラー總統を初めプロムベルグ元帥、レダー提督その他數千人の列席のもとに進水式を擧行しフオークランド島沖の海戰に沈没した前グナイゼナウ號の艦長未亡人メルケル夫人によつて命名され、國歌合唱の中にスルスルと海中に滑走すると見るや勢ひ余つて向ふ側の防壁に衝突するといふ椿事を起した/防壁は長さ十八呎、深さ七呎に亙る破損を受け、グナイゼナウ號は直ちに破損の有無取調べのため他に曳航された(記事おわり)
  14. ^ 起工式[35] 建造に先立つて起工式が行はれる。これは陸における建築でいへば地鎭祭に當るもので、非常に嚴かに擧行される。更に造船臺に置かれた龍骨盤木上に龍骨を据ゑ、起工式にはその第一鋲を船主の代表者が打つのが例になつてゐる。
  15. ^ 進水式[36] さて一切の準備が整ふと、吉日を卜し、滿潮の直前を期して、進水式が行はれ、同時に命名式も行はれる。儀式用に取り附けられた綱が切られ、滑り止め装置を外すと、船首に吊してあるシャンペンの瓶が船首にあたつてくだけ、山のような巨體が靜かに動き始める。そして、嚠喨たる奏樂と歡呼のうちに船は徐々に速度を加へ、船首の藥玉がパッと開いて、五式の紙片が舞ひ、平和の使なる鳩が數羽嘻々として飛び出すうちに、船の速度はますます加はり、やがて巨體がはじめて海に浮かぶ。その光景こそ實に壮觀を極めるものである。進水は僅かに十籔秒の瞬間のもので、その最大速度は設計、温度、その他の條件によつて相違するが、まづ大型船で十浬から十五浬の間と見られる。
     船の進水は前後、即ち船首尾の方向に降すのが普通であるが、横に進水せしめる方法もある。これはアメリカで河に面した造船所などで行つてゐる。小船ではわざわざ進水臺を設けず、丸木を船の下に敷き、これをころがして進水せしめるのである。船渠内で建造する場合には、船殻が出來でば船渠内に漲水して船を水に浮かばせることになるが、この場合には船渠内で機關、その他の重量物を積載することが出來るから、船が完成してから水を漲ればよいので、進水式と同時に竣工式を兼ねる場合が多い。
  16. ^ 不吉の進水式 英新空母フォ號[44](十七日ロンドン發ルーター)四百萬磅の巨費を投じて建造した英國最新航空母艦フォーミダブル號は十七日ベルファストで進水式を擧行したが、愈々進水式といふ際に滑架の支材が裂け、飛び切る木材に下に居た職工は生命からがら難を避けたが、木の破片、鐡材等が見物席へとび散り、死者一名(婦人)負傷者二十名を出す一大不祥事が惹起された なお同艦は損傷なく進水した(記事おわり)
  17. ^ 姉妹艦でも、建造(進水)方法が違う事例がある。大和型戦艦の場合、呉海軍工廠で建造された大和111号艦はドック式建造(111号艦は進水前に解体)、横須賀海軍工廠の信濃ドック式三菱重工業長崎造船所武蔵のみ船台進水式であった。
  18. ^ ◎大戰艦扶桑工程 ▲本邦嚆矢の進水式[46](中略)前記扶桑の工程は其後着々進捗(該艦は船臺建造にあらず特設造船内船渠内にて建造)既に七分方工事を終りたれば豫定の如く本年十月中には本邦嚆矢の進水式(船臺滑走にあらずして扉船を開放海水誘入)を擧行し得べき見込みなりと(記事おわり)
  19. ^ a b [28] 進水船を支へる支綱は或る時代に於ては、鑿を以て切斷したものであるが、鑿は幅が狭きため往々にして一回にては切斷されず、二回叩くといふ例もあつたので、刄幅の廣き斧を使用することに變更された。此の斧はその兩面に圖示如き矢形の溝があり、神國日本の神々様を御祭りしその御神助を仰いて居るものであります。
     日本國内に於て建造せらるゝ艦船の進水式典は、海軍造船所の先驅横須賀造船所に於て、明治初年頃佛人造船指導の下に行われたものに、其の後多少の變革が加へられ、今日見るが如き藥玉、斧使用の行事となつたもので、之が又民間造船所の先蹤となつて居るのである。
  20. ^ 松島型(三景艦)の1番艦「松島」と2番艦「厳島」はフランスで建造され、日本に回航された[49]
  21. ^ 『日本ニュース』第188号 1944年1月6日、三菱重工業神戸造船所における第一号海防艦進水式の映像(NHKアーカイブスポータル[55]

脚注 編集

  1. ^ a b ミドルブック、戦艦 1979, p. 72.
  2. ^ 横須賀海軍船廠史(3巻) 1915, pp. 15–16原本27-28頁
  3. ^ 朝日新聞社編「軍事/海軍 進水・竣工」『朝日年鑑 昭和14年』朝日新聞社、1938年10月https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1072269/161 
  4. ^ 進水式のシャンパン割りはバイキング時代の生けにえの名残り(日本船主協会ホームページ)2014年7月7日閲覧
  5. ^ Nichibei Shinbun, 1914.04.23”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 02. 2023年9月16日閲覧。
  6. ^ 艦船の科学 1944, p. 95a(原本168頁)艤装
  7. ^ 船を造るI 2.建造(けんぞう)の工程”. 船の科学館 もの知りシート. 日本財団 (2000年). 2023年11月22日閲覧。
  8. ^ 艦船の科学 1944, p. 95b(原本168頁)試運轉
  9. ^ Manshū Nichinichi Shinbun, 1941.12.27 Edition 02”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 03. 2023年9月16日閲覧。
  10. ^ Burajiru Jihō, 1929.07.04”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 10. 2023年9月16日閲覧。〔 新航空母艦「加賀」今秋竣成 〕
  11. ^ 昭和9年4月5日(木)海軍公報第2137号 p.12」 アジア歴史資料センター Ref.C12070342900 〔 ○事務所變更 軍艦大鯨艤装員事務所ヲ横須賀海軍工廠内ニ設置中ノ處去月三十一日撤去シ當分ノ間同所ニ軍艦大鯨陸上事務所ヲ設置セリ 〕
  12. ^ 安藤日出男『幻の空母信濃』朝日ソノラマ文庫航空戦史シリーズ、1987年、129,231頁。ISBN 4-257-17093-X 
  13. ^ 常石造船 2018年9月20日、8万トン級ばら積み貨物船の進水式を一般公開(常石造船株式会社 プレスリリース) - 財経新聞
  14. ^ 【平成の長崎】漁船進水式を見学 諫早の有喜中生徒が歓声 平成4(1992)年 - 長崎新聞
  15. ^ Kororado Shinbun, 1915.12.02”. pp. 01. 2023年9月16日閲覧。
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  17. ^ a b Manshū Nichinichi Shinbun, 1927.04.17”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 03. 2023年9月3日閲覧。〔 聖上の行幸を仰ぎ「妙高」の進水式 十六日午後横須賀にて盛大に行はる 〕
  18. ^ Shin Sekai, 1930.05.13”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 01. 2023年9月3日閲覧。皇后陛下の行啓を仰ぎ高雄の進水式 わが一萬トン級の新鋭【東京十二日】 〕
  19. ^ Nichibei Shinbun, 1927.04.17”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 03. 2023年9月3日閲覧。〔 大巡洋艦妙高進水式 聖上陛下臨幸 〕
  20. ^ Shin Sekai Asahi Shinbun, 1938.09.25”. pp. 03. 2023年9月3日閲覧。〔 世界一の巨船「クイン、エリザヘス號」進水 英國兩陛下御臨席 〕
  21. ^ Nan’yō Nichinichi Shinbun, 1931.05.21”. pp. 02. 2023年9月3日閲覧。〔 獨逸海軍の誇り ポケツト戰艦進水 キール軍港のお祭騒ぎ(ドイッチュラントの進水式にヒンデンブルク大統領が参列) 〕
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  24. ^ 北朝鮮「水中核攻撃が可能な潜水艦、初めて進水」…金正恩委員長が訪露前に海軍力誇示”. 中央日報 (2023年9月9日). 2023年9月16日閲覧。
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  53. ^ 石川島技報、S14.10、2巻6号 1939, p. 26c(原本44頁)第2圖 斧
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  56. ^ Nichibei Shinbun, 1934.12.11”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 02. 2023年9月3日閲覧。〔 「鈴谷」晴れの進水式(鈴谷艦首のくす玉写真) 〕
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  58. ^ 明治19年4月01日官報第822号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ2
  59. ^ 海軍省報告(年報) 1887, pp. 98, 114.
  60. ^ 海上自衛隊:活動内容:命名・進水式
  61. ^ 出雲大社教教務本庁『出雲大社教布教師養成講習会』1989年9月全427頁中278頁

参考文献 編集

  • ゴードン・ウィリアムソン〔著〕、イアン・パルマ―〔カラー・イラスト〕『世界の軍艦イラストレイテッド2 German Pocket Battleships 1939-45 ドイツ海軍のポケット戦艦 1939 ― 1945』柄澤英一郎〔訳〕、株式会社大日本絵画〈オスプレイ・ミリタリー・シリーズ Osprey New Vanguard〉、2006年1月。ISBN 4-499-22899-9 
  • 硴崎貞雄「わが国の進水式─支綱切断と進水斧」 pp.53-56『日本船舶海洋工学会講演会論文集』第22号(2016年)
  • 世界の艦船』607号(2007年9月号) 特集『軍艦の進水』 - 海人社
  • M・ミドルブック、P・マーニー『戦艦 ― マレー沖海戦 ―』内藤一郎 訳 、早川書房、1979年6月。 

関連項目 編集

外部リンク 編集