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遠山 一行(とおやま かずゆき、1922年7月4日 - 2014年12月10日)は、日本の音楽評論家実業家である。日興證券会長遠山元一長男。

とおやま かずゆき
遠山 一行
生誕 (1922-07-04) 1922年7月4日
日本の旗 日本 東京市麻布区笄町(現港区西麻布
死没 (2014-12-10) 2014年12月10日(92歳没)
日本の旗 日本 東京都
出身校 成城学園
東京帝国大学    
職業 実業家、音楽評論家
配偶者 遠山慶子
子供 遠山公一
遠山明良
遠山元一
親戚 遠山信二(弟)
遠山直道(弟)
遠山元道(甥)
遠山正道(甥)

略歴編集

日興證券会長遠山元一の長男として東京市麻布区笄町(現在の港区西麻布)に生まれ育つ。クリスチャンの家庭であり、一行自身もプロテスタントの信仰で育った。

1929年昭和4年)、成城学園小学校[1]に入学。同級に加藤一郎がいた。1933年(昭和8年)、澤柳政太郎没後の学園経営をめぐるトラブル、いわゆる成城事件(成城騒動)により小学6年時に自主退学し、第2学期から麻布区立南山小学校に転校。1935年(昭和10年)、府立高等学校尋常科に入学。第1学年2学期からピアノを朴啓成(後の属啓成)に師事。1939年(昭和14年)、府立高等学校文科乙類に進学。酒井悌(やすし)にチェロ和声学を学ぶ。1940年(昭和15年)から成城学園の合唱団に加わり、ジョゼフ・ローゼンストックの指揮のもとにハイドンオラトリオ『四季』、モーツァルトレクイエム』、バッハマタイ受難曲』などを演奏。1942年(昭和17年)、東京帝国大学文学部美学美術史学科に進み、属啓成のもとで一時中断していたピアノのレッスンを再開。1943年(昭和18年)12月、第1回学徒出陣により東部第6部隊に編入され、戦時中は1945年(昭和20年)7月から甲府の連隊で暗号教育の教官を務めるなど、同年9月に復員するまで内地で軍隊生活を送る(この間、1944年9月、入隊中に帝大美学科を卒業)。

1946年(昭和21年)4月、東京大学大学院に進み、音楽美学を専攻。同年、『音楽する心』が『音楽之友』誌の7・8月合併号に掲載されたところ野村光一に注目され、野村の勧めで10月から毎日新聞に音楽時評を執筆。1948年4月、慶應義塾高等学校講師となり、西洋音楽史を担当(1949年3月まで)。当時の受持ちのクラスに林光がいた。同年9月、齋藤秀雄たちの発議により子供のための音楽教室が開かれたことに伴い、同教室で音楽理論と音楽史を講じる(1951年夏まで)。同年、遠山偕成会長に就任。1949年から1950年まで日興證券監査役を務める。この間、1949年(昭和24年)4月にフェリス女学院短期大学音楽部助教授となる(1957年3月まで)。同年5月から東京藝術大学音楽学部講師を兼任。

1951年(昭和26年)に渡仏し、聴講生としてパリ音楽院パリ大学に入学。前者ではジャック・シャイエのもとで、後者ではノルベール・デュフルクのもとで音楽史を学ぶ。1957年に帰国。1959年から桐朋学園短期大学教授( - 1974年)。この間、1960年12月まで讀賣新聞で音楽時評を担当。

1962年(昭和37年)、遠山音楽財団を設立し理事長に就任、同時に付属図書館を東京都港区に開設、1987年に「日本近代音楽館」に改称。近現代日本の作曲家の自筆譜面10万点をはじめ、書簡、原稿、プログラム、録音資料など、資料は全50万点を所蔵していた。2010年3月自身の高齢と財政事情により閉館され、資料は明治学院大学に寄贈された。

1962年(昭和37年)、妻子と共に再渡仏。翌年5月に、母が脳腫瘍で歩行困難となったため帰国。1967年江藤淳高階秀爾と『季刊藝術』(-1979年)を創刊(古山高麗雄が編集長)。1976年『ショパン』で第18回毎日芸術賞受賞。1979年フランス文芸勲章オフィシエ章を受ける。

1983年(昭和58年)、民間人として初めて東京文化会館館長となる。1985年紫綬褒章および中島健蔵音楽賞を受ける。1987年京都音楽賞受賞。1991年東京芸術劇場館長を兼務。日本音楽コンクール委員長などを歴任。1993年勲三等旭日中綬章受章。1995年から1996年まで桐朋学園大学の学長を務める。1998年文化功労者に選ばれる。2010年に明治学院大より名誉博士号を授与された。

その他の著書に『私の音楽手帳』『いまの音むかしの音』(講談社)や『遠山一行著作集』全6巻(新潮社)などがある。季刊芸術出版社長、東京音楽ペンクラブ会長、日本近代音楽財団理事長、遠山偕成の代表取締役相談役を務めた。

2014年12月10日、脳梗塞のため死去[2]。92歳没。

家族編集

妻ともども愛猫家であり、自宅の庭に住みついた野良猫たちに「トンデレラ」「シンデレラ」(1977年当時流行していたキンチョールのテレビCMに因む)などの名を付けて可愛がっていたことがある[3]ジャズ愛好家でもあり、ジョン・コルトレーンマイルス・デイヴィスのファン。特にマイルスについては「アメリカ人のクラシック奏者で、これだけの音楽家を私は知らない」と発言している[4]

妻の遠山慶子アルフレッド・コルトーに師事したピアニスト。弟の遠山信二は指揮者。末弟の遠山直道ダヴィッド社社長。長男の遠山公一は西洋美術史家で、慶應義塾大学文学部教授。次男の遠山明良は遠山偕成株式会社の代表取締役及び水海道ゴルフクラブ理事長。甥(直道の息子)に、工学者の遠山元道と「スープストックトーキョー」の遠山正道

放送編集

NHK・FMラジオの「名演奏家を聴く アルフレッド・コルトー集」[注釈 1]」を担当し、主要ディスクを紹介した。「コルトーは『指の腹をつかって弾きなさい、こうしないと本当の音が出ない』と教えていました」、「コルトーはなぜかショパンのタランテラを生徒によく弾かせていた」、「コルトーはマズルカをほとんど録音できなかった、マズルカを公開の場で弾いたこともあったが、筋違いのように感じました」など軽妙なエピソードを添えた。フランス語の後置装飾の通りに、あえて幻想即興曲即興幻想曲と発言して紹介していた。

著書編集

  • 名曲のたのしみ 新潮社 1967
  • 音楽=ヨーロッパ=東京 音楽之友社 1968
  • 現代と音楽 講談社 1972
  • 音楽有愁 音楽之友社 1976
  • ショパン… 新潮社 1976/講談社学術文庫 1991.9
  • 音楽とともに 小沢書店 1981.9
  • 古典と幻想 音楽におけるマニエリスム 青土社 1983.7
  • ヨーロッパ近代 クラシック音楽史 ロマン派のはじまりとその終焉 東京音楽社 1984.10
  • 遠山一行著作集 全6巻 新潮社 1986-1987
  1. 「ショパン」、「ワーグナー」、「ストラヴィンスキー」、「日本の作曲家」
  2. 「名曲の楽しみ」、「音楽とともに」、「古典と音楽」、「初期論考」
  3. 「現代と音楽」、「古典と幻想」、「美術と音楽」
  4. 「ルネサンス音楽散歩」、「フランス音楽を歩く」、「随筆」
  5. 「東京日記」集成
  6. 「音楽時評」集成、年譜
  • カラー版作曲家の生涯 ショパン 新潮文庫 1988.7。図版解説
  • 考える耳 考える目 青土社 1990.1
  • 河上徹太郎私論 新潮社 1992.9
  • 日付のある批評 1992~94・東京日記 音楽之友社 1995.6
  • 「辺境」の音 ストラヴィンスキー武満徹 音楽之友社〈音楽選書〉1996.2
  • 私の音楽手帖 講談社 1996.7
  • 猫好きの話 西麻布雑記 小沢書店 1996.7
  • マチスについての手紙 新潮社 1999.7
  • いまの音 むかしの音 講談社 2000.10
  • 芸術随想 彌生書房 2003.6
  • モーツァルトをめぐる十二章 春秋社 2006.5
  • 語られた自叙伝 作品社 2015.12 長谷川郁夫編(遺稿集・エッセイ集)

共編著編集

  • ワーグナー変猊 内垣啓一共編 白水社 1967
  • 芸術と思想 シンポジウム 江藤淳・高階秀爾共編 講談社 1969
  • 世界の名画 17 ピカソ 中山公男・高階秀爾共著 中央公論社 1973
  • 世界美術全集 34 ミロ・カンディンスキー 木村重信共著 小学館 1977.12
  • 音楽の森 名随筆選2 ピアノによせて 音楽之友社 1989.6
  • ラルース世界音楽作品事典 海老沢敏共編 福武書店 1989.11
  • ラルース世界音楽事典 海老沢敏共編 福武書店 1989.11
  • ラルース世界音楽人名事典 海老沢敏共編 福武書店 1989.11
  • 日本の名随筆 別巻13 名曲 作品社 1992.3

翻訳編集

  • 現代音楽への道 バッハよりシェーンベルクまで R.レイボウィッツ 平島正郎共訳 ダヴィッド社 1956
  • ストラヴィンスキー ロベール・ショアン 白水社 1969 (永遠の音楽家)
  • アンセルメとの対話 クロード・ピゲ 寺田由美子共訳 みすず書房 1970
  • クープラン ピエール・シトロン 白水社 1970 (永遠の音楽家)
  • フランス音楽史 ノルベール・デュフルク 平島正郎、戸口幸策共訳 白水社 1972
  • 現代の絵画 12 ドイツ表現主義 エーヴァルト・ラトケ 平凡社 1974
  • アルフレッド・コルトー ベルナール・ガヴォティ 徳田陽彦共訳 白水社 1982.2

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ もともと名演奏家を聴くはアナウンサーが担当しており、パーソナリティを設けることはしていなかったが、アルトゥール・ルービンシュタイン集の時に岩城宏之が担当してからパーソナリティを置くようになった。

出典編集

  1. ^ 幼稚園の後半から成城学園。柴田巌著『戦中の「マタイ受難曲」』(2009年、みやび出版)123ページ。
  2. ^ 遠山一行さん死去 音楽評論家・文化功労者 朝日新聞 2014年12月13日
  3. ^ 遠山一行『猫好きの話』p.44(小沢書店1996年
  4. ^ 遠山一行『猫好きの話』p.171(小沢書店1996年

関連項目編集

外部リンク編集

先代:
(新設)
東京芸術劇場館長
初代:1991年 - 1993年
次代:
小田島雄志