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遠藤 竜也(えんどう たつや、1972年2月9日 - )は、ニッポン放送報道部のディレクター、報道部記者。

遠藤 竜也
(えんどう たつや)
生誕 (1972-02-09) 1972年2月9日(47歳)
日本の旗 日本 大阪府
国籍 日本の旗 日本
教育 明治大学政治経済学部経済学科
職業 放送記者
ラジオプロデューサー
ラジオディレクター
活動期間 1998年 – 現在
代理人 ニッポン放送
代表経歴 ニッポン放送報道副部長
肩書き 報道記者
ラジオプロデューサー
配偶者

来歴編集

大阪府生まれ。その後、4歳の時に大分県別府市石垣に転居し、高校卒業時迄過ごす[1]。1988年3月、別府市立鶴見台中学校、1991年3月、大分県立別府鶴見丘高等学校1995年3月、明治大学政治経済学部経済学科卒業。学生時代のゼミは、基礎マスコミ研究室に所属していた。 台風の中継を見てマスコミで働くことを決意し、就職活動では地元である大分県所在テレビ局のアナウンサー職試験も合格していたが、東京で働くことに拘って就職活動を行った結果、宝くじばりの倍率で内定を得て、同年4月、ニッポン放送へ入社[1]

7月付人事の本配属にて、営業局営業部に配属される。1998年4月人事にて、編成局報道部に異動。国会記者クラブのキャップとしてあらゆる政治家の取材を行っており、地震レポーターも担当していた。

2004年5月22日、当時:内閣総理大臣であった小泉純一郎の2度目の北朝鮮来訪の際の同行取材を行った[2]。同年8月に開催された、アテネオリンピックでは、スポーツ部アナウンサーである煙山光紀とともに、パーソナリティを務めた[3]

プライベートでは、同年秋、6歳年下の女性と結婚。先輩である松本秀夫が披露宴の司会を務め[4]、共演者であった森永卓郎がスピーチを行った。

2006年4月人事にて、制作部に異動。ディレクターとしてオールナイトニッポン等を担当し、制作部担当副部長を務める。

2016年7月人事にて報道部に復帰し、役職が副部長となる[5]。報道番組のプロデューサー、ディレクター業の傍ら、ニュースデスクとして番組にも出演している

人物編集

  • 仮面ライダーのファン[6]。初代ライダー役の藤岡弘とエレベーターで一緒になったことを「入社以来一番嬉しかったこと」と言っており、『ザ・ボイス』の聴取率週間の番組宣伝では特撮のBGMを使用していた時期があった。
  • 大学を卒業してからも出身サークルに指導を行っていた時期があり、母校の学生から「エンタツさん」と呼ばれていたため、共演者である塚越孝からもこの呼称で呼ばれていた[7]
  • 政治家へのぶらさがり取材では政治家の後ろに立つなどテレビカメラに映る位置に立つことを意識し、記者会見でも同様の動きをしていた。
  • 梶山静六に突っ込んだ取材をしたため、本人に胸倉をつかまれたことがある
  • 『テリー伊藤のってけラジオ』のディレクターを担当していた際、報道部で政界担当だった経験を活かして、自身の番組に元内閣総理大臣であった中曽根康弘と当時:東京都知事であった石原慎太郎をゲストにブッキングして「対談企画」を実現させる辣腕を見せた[8]
  • ディレクターデビューである『アンダーグラフのオールナイトニッポン』の初回放送ではキューを振り忘れた。また、ディレクター業務以降、10kg以上体重ダウンした。

出演番組編集

現在編集

過去編集

ニュースリーダーとして

制作番組編集

現在編集

過去編集

テレビ編集

ラジオ編集

脚注編集

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  1. ^ a b Myふるさと 別府市 大分合同新聞 2017年7月3日付 夕刊
  2. ^ 1287291723の投稿(10208611813434589) - Facebook
  3. ^ がんばれ!日の丸!ニッポン放送アテネ・オリンピックレポート
  4. ^ 松本秀夫のやぎメール 11月9日(火)『仲良し同期』
  5. ^ [1]
  6. ^ 1287291723の投稿(10204146196036945) - Facebook
  7. ^ 森永卓郎ブログ「モリタク日記」 エンタツ 2005年04月22日
  8. ^ 12月16日(火)『中曽根元総理・石原都知事・テリー氏3者対談』”. 田代優美の幸せ探して(ニッポン放送) (2003年12月16日). 2018年3月14日閲覧。
  9. ^ 取材報告やニュースデスクとして出役で番組出演する場合有
  10. ^ 第8話「おこだわりのない男」出演している八嶋からの依頼で「八嶋智人 今夜もオトパラ!」の再現演出のため,
  11. ^ [2]

外部リンク編集