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遼東省(りょうとう-しょう)は第二次国共内戦期に中国共産党が設置した中国共産党革命根拠地(解放区)であり、中華人民共和国建国後も行政区域として短い期間ではあるが存続しその省政府は行政を行った。本省は先行して成立していた革命根拠地(解放区)の遼寧省及び安東省1949年民国38年)4月21日に合併して成立した。中華人民共和国建国後数年を経た1954年6月19日に遼西省と合併して現在の遼寧省が成立し遼東省は廃止された。

中国共産党 遼東省
1949年4月 - 1954年6月
遼東省の位置
遼東省の位置
簡体字 辽东
繁体字 遼東
拼音 Liăodōng
カタカナ転記 リャオドン
国家 中国共産党
行政級別
政府所在地 安東市
建置 1949年4月21日
廃止 1954年6月19日 
面積
- 総面積({{{area_metro_as_of}}}) km²
人口

ここでは前身の革命拠点としての遼寧省及び安東省についても述べる。

目次

遼寧省編集

解放区政府としての遼寧省は、同一名称であることから現行の遼寧省と混同される事があるが、その行政範囲、政府組織が大きく異なる別の行政区画であるため、当時の史料に接するさいには注意が必要である。

1945年(民国34年)10月、満州国奉天省地域に奉天省自治政府が成立、省会を瀋陽市に設置した。国共内戦の戦況に伴い、同年11月25日には本渓市に、翌1946年(民国35年)4月には安東市に移転し安東省政府との合同公署が成立した。同年7月、再び遼寧省政府が通化市で組織されたが、11月の通化陥落に伴い臨江県に移転、 1947年(民国36年)には再び梅河口に移転している。1948年(民国37年)7月、遼南行署と合併、下部に4市14県を管轄するようになった。同年12月には解放区の拡大に伴い万福、青城、牛庄の各県が廃止となった。

1949年(民国38年)4月21日、安東省と合併し遼東省に統合された。

安東省編集

1945年(民国34年)11月、満州国安東省地域に安東省自治政府が成立、省会を安東市に設置した。国共内戦の戦況に伴い、1946年(民国35年)10月21日に安東を放棄、1947年(民国36年)6月10日に再び実効支配下に置き安東省会が設置され、下部に1市17県を管轄した。

1949年(民国38年)4月21日、遼寧省と合併し遼東省に統合された。

遼東省編集

中華人民共和国建国後も行政区域として短期間ではあるが存続し、その省政府は行政を行った。また域内にある旅大市(1945年から1951年までソビエト連邦軍が管理)、鞍山市撫順市本渓市は中央直轄市として省と同格の地位が与えられ遼東省と独立して行政が行われた。1954年6月19日に隣接する遼西省と合併し新たに遼寧省が成立し遼東省は廃止された。遼東省北部の一部の県は吉林省に編入された。

行政区画編集

関連項目編集