那覇市立真和志中学校

沖縄県那覇市にある中学校

那覇市立真和志中学校(なはしりつまわしちゅうがっこう)は、沖縄県那覇市字大道158にある公立中学校戦後沖縄県の歴史地理的事情により、かなり独特な沿革と発展を遂げた中学校である。

那覇市立真和志中学校
地図北緯26度12分53.597秒 東経127度41分54.852秒 / 北緯26.21488806度 東経127.69857000度 / 26.21488806; 127.69857000座標: 北緯26度12分53.597秒 東経127度41分54.852秒 / 北緯26.21488806度 東経127.69857000度 / 26.21488806; 127.69857000
国公私立の別 公立学校
設立年月日 1948年
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
学校コード C147220100047 ウィキデータを編集
所在地 902-0066
沖縄県那覇市字大道158番地[1]
外部リンク 那覇市立真和志中学校
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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那覇市立大道小学校のほぼ全員、那覇市立松川小学校、泊小学校、壺屋小学校の一部卒業生が入学する。

なお、米軍統治下にあった1960年代には生徒数3,000人超の、沖縄一のマンモス中学校であった(当時の日本本土の中学校と比較しても、おそらく全国一、二を争うほどだったといわれる)。

しかし校地が狭いのを理由に、周辺に幾つかの中学校を分離した事もあって、現在、市内では生徒数の少なめの中学校である

歴史 編集

沿革 編集

解説 編集

  • 戦後復興期に開校した新制中学校で、那覇でもっとも歴史の古い中学校の一。旧真和志村では最初に出来た新制中学校。
  • 開校2年目までに校舎が台風で3度も全壊した。
  • かつて生徒数が非常に多い時代には、既存の敷地では間に合わなかったので、1961年ごろまで授業を昼・夜などのような二部編成にしていた頃があった。生徒の過密を防ぐために、1965年までに近隣地区に5つの中学校に分離した。安岡中学校を除くほかの中学校は、半径約2km前後に位置している。
  • 校地が非常に狭く、かつ生徒が多いという事情から、開校から20年間運動場が、また、開校から27年間体育館がなかった。運動場などのない時代には「中庭」とよばれる広場で全体集会などを行ったが、生徒数の多さに広場に集まるのが限界なほどであり、整列の際は「小さい前ならえ」をすることが特徴。この方法は現在でも継承されている。
    また、生徒は卒業後も進学先で「小さい前ならえ」をしてしまうというエピソードもしばしば耳にする。
    • なお、運動場が確保されたとはいえ、現在も運動場の面積は沖縄県の中学校で一番狭いといわれるほどで、一辺が50mもない。そのため、50m走をする際は、運動場の対角線を利用して行う。
    • 体育館棟は、1階が那覇の中学校では数少ない温水プールで、2階が各部活動の部室、3階が体育館となっている。
    • 現在は建て替えが行われ、1階に温水プール、2階に体育館と武道場となっている。校舎自体も建て替えが行われて4階建てとなっている。運動場と体育館棟の位置が建て替え前と逆の配置になり、新校舎が生徒数減少によって旧校舎より面積が小さくなったため、運動場が前より拡大されている。

学校の特徴 編集

  • 那覇市内の中学校では一番狭い。一般的に中学校の敷地は小学校より広いが、真和志中学はたいていの小学校の敷地よりも狭く、向かいの那覇市立大道小学校の半分以下(大道小学校は師範学校の跡地に出来たのでほかの小学校より比較的広い)。
  • 運動場は先述したとおりかなり狭い。
  • 体育館建設のため、既存の住宅を何軒か立ち退かせた。
  • 住宅地に校舎が囲まれていて、風通しが良くないため、1991年にほかの学校に先駆けて普通教室にクーラーを設置。

通学区域 編集

  • 字安里(147番地~154番地、162番地を除く)
  • 安里1丁目~3丁目(全部)
  • 字大道(全部)
  • 字松川265番地~266番地、274番地~279番地、295番地~301番地、303番地~317番地、321番地~327番地
  • 松川1丁目1番~6番
  • 松川2丁目1番~7番
  • 三原1丁目(全部)
  • 三原2丁目7番~30番
  • おもろまち1丁目(全部)

区域内の小学校 編集

著名な出身者 編集

関連項目 編集

脚注 編集

  1. ^ 那覇市立学校設置条例 別表第3(第4条関係) 平成26年11月現在

外部リンク 編集