郡山城(こおりやまじょう)は、福島県郡山市西ノ内一丁目、もしくは駅前一丁目にあった日本の城。跡地は開発により破壊され、わずかに地形にその痕跡が残るのみである。

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郡山城
福島県
別名 郡山館
城郭構造 平城
築城主 郡山氏(伊東氏)
築城年 不明
主な城主 郡山氏(伊東氏)
廃城年 不明
遺構 土塁?
指定文化財 未指定
位置 北緯37度24分28.1秒 東経140度22分28.4秒 / 北緯37.407806度 東経140.374556度 / 37.407806; 140.374556
地図
郡山城の位置(福島県内)
郡山城
郡山城
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概説 編集

郡山城は、戦国時代三春城田村氏に仕えた郡山氏(伊東氏)の居城。築城年不詳。郡山館と呼ばれることも多い。

城主、郡山朝祐の主である田村氏が伊達政宗に従ったため、政宗の勢力下に入るが、天正15年(1587年)、政宗と対立する蘆名義広相馬義胤連合軍に包囲され、政宗が救援のために兵を出したことで郡山合戦が起こる。

城跡については、市内西ノ内一丁目付近を通るうねめ通りの若葉町せせらぎこみち入口付近の丘[1]とする説と、駅前一丁目の寿泉堂綜合病院が入るシティタワー郡山[2]付近とする説がある。 遺構は開発によりほぼ破壊され、地形等にわずかに名残があるのみではあるが、清水台にある善導寺には郡山氏に従って合戦で戦死した横山氏について書かれた石碑が残る。

脚注 編集

  1. ^ 郡山まちなか文化遺産 WEB GUIDE - 郡山城はまぼろしか
  2. ^ 垣内和孝『郡山の城館』歴史春秋社、2015年、26頁。ISBN 978-4-89757-848-4 

参照文献 編集

  • 垣内和孝『郡山の城館』(歴史春秋社、2015年) 26頁参照。

関連項目 編集