鄧 方(とう ほう、? - 222年?)は、中国後漢末期から三国時代の武将・政治家。字は孔山荊州南郡の人。

鄧方
蜀漢
安遠将軍・庲降都督
出生 生年不詳
荊州南郡
死去 章武2年(222年)?
拼音 Dèng Fāng
孔山
主君 劉備
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事跡 編集

鄧方に関する史料は、陳寿が『三国志』を編纂した頃には散逸してしまっていたため、同蜀書では立伝されていない。楊戯の『季漢輔臣賛』に取り上げられている。

荊州従事として劉備の入蜀に随従し、益州平定後は犍為属国都尉に任命された。犍為属国が朱提郡となるのに伴い朱提太守となった。その後、安遠将軍・庲降都督に任命され、南昌県に駐屯した。章武2年(222年)[1]、死去。庲降都督の後任には李恢が就いた(李恢伝)。

『季漢輔臣賛』では、鄧方の人物像について「強い意志を持ち、真に立派で節操が堅く、財を軽んじて果断にして勇ましく、艱難に惑わず、少数をもって多数を防ぎ、異域において職務を全うした」と記述している。

小説『三国志演義』には登場しない。

脚注 編集

  1. ^ 楊戯伝の引く『季漢輔臣賛』より。なお、『三国志』蜀書李恢伝には章武元年(221年)死去とある。

参考文献 編集

  • 三国志』蜀書13李恢伝、15楊戯伝