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酒井 忠重(さかい ただしげ)は、出羽国村山郡白岩領8000石領主。旗本寄合酒井家次の三男。酒井忠次の養子。

 
酒井忠重
時代 江戸時代前期
生誕 慶長3年(1598年
死没 寛文6年9月24日1666年10月22日
改名 忠重、巳斎(号)
別名 九八郎(通称)
戒名 光岳院殿従五位前長刕大守鏡誉宗円大居士
墓所 山形県鶴岡市
官位 従五位下、長門守
幕府 江戸幕府 旗本
氏族 酒井氏
父母 父:酒井家次、養父:酒井忠次
兄弟 忠勝直次忠重酒井勝吉了次
忠時政時
忠広

目次

略歴編集

  • 慶長3年(1598年) 酒井家次の三男として生れる。
  • 慶長7年(1602年) 既に亡き祖父・酒井忠次の養子となる。
  • 元和元年(1615年徳川家康秀忠に拝謁し、小姓に召出される。
  • 元和3年(1617年) 従五位下長門守に叙任。
  • 元和8年(1622年) 出羽国村山郡白岩4000石領主となる(のちに8000石に加増される)。
  • 寛永10年(1633年) 1000人余りの餓死者を出すなどの苛政をしいたため、白岩領の農民が一揆を起こして江戸奉行所に訴える(白岩一揆)。
  • 寛永15年(1638年) 江戸奉行所の判決により白岩領主を改易となり庄内藩主・酒井忠勝に預けられる。
  • 寛永19年(1642年) 忠勝の娘と長男九八郎(忠広)を結婚させて、庄内藩主家の後嗣にしようとする、お家乗っ取り計画が発覚。
  • 承応元年(1652年) 忠勝の遺言分配金に自分の名前が無かったため幕府に提訴し、庄内藩主・酒井忠当より金2万両を贈られて義絶される。
  • 寛文5年(1665年) 息女の結婚の件で相手と論争したこと等が、幕府の知ることとなり、改易される。
  • 寛文6年(1666年)9月24日、夜中、何者かに襲われて死亡する。享年69。

登場作品編集

  • 藤沢周平「長門守の陰謀」(立風書房・新潮文庫)

関連項目編集

出典・参考文献編集

  • 「庄内人名辞典」