酒列磯前神社
酒列磯前神社(さかつらいそさきじんじゃ)は、茨城県ひたちなか市にある神社。式内社(名神大社)。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
酒列磯前神社 | |
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所在地 | 茨城県ひたちなか市磯崎町4607-2 |
位置 | 北緯36度22分56.5秒 東経140度37分24.5秒 / 北緯36.382361度 東経140.623472度座標: 北緯36度22分56.5秒 東経140度37分24.5秒 / 北緯36.382361度 東経140.623472度 |
主祭神 | 少彦名命 |
社格等 |
式内社(名神大) 旧国幣中社 別表神社 |
創建 | 斉衡3年(856年) |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 8月25日 |
地図 |
概要 編集
茨城県の東部、太平洋に面した岬の丘上に鎮座する。那珂川対岸の大洗町にある大洗磯前神社と深い関係にあると言われ、2社で1つの信仰を形成している。
祭神 編集
主祭神
- 少彦名命(すくなひこなのみこと)
- 大名持命とともに国造りを行ったとされる。
配祀神
国造りにおいて『古事記』・『日本書紀』・『風土記』などの神話では大名持命と少彦名命の2神が併せて登場することから、当社に限らずこの2神の組み合わせで祀る神社は多い。また、当社では少彦名命を七福神のえびす、大名持命を大黒天とも見なしている。
歴史 編集
創建 編集
『日本文徳天皇実録』によると、斉衡3年(856年)に常陸国鹿島郡の大洗磯前に神が現れたとされる。
常陸国上言。鹿嶋郡大洗磯前有神新降。初郡民有煮海為塩者。夜半望海。光耀属天。明日有両怪石。見在水次。高各尺許。体於神造。非人間石。塩翁私異之去。後一日。亦有廿餘小石。在向石左右。似若侍坐。彩色非常。或形像沙門。唯無耳目。時神憑人云。我是大奈母知少比古奈命也。昔造此国訖。去徃東海。今為済民。更亦来帰。
ある夜、製塩業の者が海に光るものを見た。次の日、海辺に二つの奇妙な石があった。両方とも一尺ほどだった。さらに次の日には20あまりの小石が怪石の周りに侍坐するように出現した。怪石は彩色が派手で、僧侶の姿をしていた。神霊は人に依って「われは大奈母知(おおなもち)・少比古奈命(すくなひこなのみこと)である。昔、この国を造り終えて、東の海に去ったが、今人々を救うために再び帰ってきた」と託宣した。
— 『日本文徳天皇実録』斉衡3年12月戊戌条
そして、大己貴命(大奈母知)が大洗に、少彦名命(少比古奈命)が酒列に祀られ、両社の創建となったと伝えられている。
当社周辺海岸の岩石群は南に約45度に傾斜して並んでいるが、その内の一部の北に傾いた部分、すなわち「逆列(さかつら)」の地名が社名の由来とされる。のちに酒の神様を祀るところから「酒列」となったとされる[1]。
概史 編集
『延喜式神名帳』には「常陸国那賀郡 酒烈礒前薬師菩薩神社」と記載され、名神大社に列している。
中世には廃絶し社殿もなくなっていた。近世になって水戸藩2代藩主・徳川光圀により造営の起工がなされ、3代藩主・綱條により現在地に遷座がなされ再興された。旧鎮座地は一の鳥居の辺りと伝えられている。
明治18年(1885年)、近代社格制度において国幣中社に列した。現在では公称を「酒列磯前神社」としている。
神階 編集
境内 編集
拝殿正面上部のリスとブドウの彫刻は、左甚五郎の作とされる。また、二の鳥居左右の狛犬は、昭和の石工・飯塚兵吉の作である。参道の樹叢は椿・タブノキ・スダジイなどからなる広葉樹林で、茨城県の天然記念物に指定されている。
なお現在の一の鳥居近く、比観亭跡周辺が元の社地とされている(現在は小祠が鎮座)。
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本殿
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拝殿
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水戸斉昭公腰かけの石
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二の鳥居
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参道の樹叢(県指定天然記念物)
摂末社 編集
文化財 編集
茨城県指定天然記念物 編集
- 酒列磯前神社の樹叢 - 参道両側や境内周辺に広がる広葉樹林(椿やタブノキ、スダジイなど)。平成17年指定。
現地情報 編集
所在地
交通アクセス
周辺
- 比観亭跡 - 水戸藩が建てた東屋跡。ひたちなか市指定史跡。
- 観濤所 - 水戸藩主が選定した景勝地。ひたちなか市指定名勝。
- 川子塚古墳 - ひたちなか市指定史跡。
- 平磯白亜紀層 - 周辺海岸。県指定天然記念物。
脚注 編集
関連図書 編集
関連項目 編集
外部リンク 編集
- 酒列磯前神社(公式サイト)
- 酒列磯前神社(茨城県神社庁)
- 酒烈礒前薬師菩薩神社(國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」)