酒梅組
大阪府大阪市西成区に本部を置く博徒系指定暴力団
酒梅組(さかうめぐみ[2])は、大阪府大阪市西成区に本部を置く博徒系指定暴力団 [3]。構成員数は2019年末の時点で約30人[4]。
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設立 | 明治時代 |
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設立者 | 鳶梅吉 |
本部 |
〒557-0002 大阪府大阪市西成区太子1-3-17[1] |
首領 | 吉村光男[1] |
活動範囲 | 1県[1] |
構成員数 (推定) | 約30人(2019年末時点) |
来歴編集
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1873年(明治6年)生まれの初代・鳶梅吉は10代後半頃から賭場に出入りし、会津小鉄の若頭であった長谷川伊三郎に師事したのち、3人の実弟を率いて大阪難波を中心に勢力を拡大。1933年(昭和8年)に鳶は病没、田中勇吉が二代目を襲名するも、それからわずか2年後の1935年(昭和10年)に田中が死去。諸派鼎立するなか戦後に松山庄次郎が三代目を継承した。松山は山口組の田岡一雄組長と五分の兄弟の関係(対等な兄弟分の関係)を結び、全日本プロレス協会の会長も務め、1961年(昭和36年)に63歳で没するまで田岡と親交関係にあった。松山亡き後の四代目を中納幸男が継承、さらに1979年(昭和54年)に谷口正雄が五代目を襲名している[5]。
1993年(平成5年)の5月26日、大阪府公安委員会は酒梅組を指定暴力団に指定した。
2003年(平成15年)には保守新党の代議士松浪健四郎の私設秘書の給与275万円を酒梅組系の建設会社が肩代わりしていたことが発覚している[6]。
詳細は「松浪健四郎#暴力団組員及び暴力団関連企業との関係」を参照
2010年(平成22年)、南喜雅が八代目を継承した。
2013年(平成25年)、八代目の南喜雅が病気療養のため引退し、五代目谷口正雄の子飼いの若衆であり、自らは天龍会を率いて五代目体制では若頭補佐、八代目体制では舎弟頭を務めてきた吉村光男が九代目を継承した。
歴代組長編集
- 初 代:鳶梅吉
- 2代目:田中勇吉
- 3代目:松山庄次郎
- 4代目:中納幸男
- 5代目:谷口正雄(谷政組組長)
- 6代目:大山光次(本名は辛景烈・三代目阪口組組長)
- 7代目:金山耕三朗(本名は金在鶴・金山組組長)[7]
- 8代目:南喜雅(本名は南與一・三代目森下連合会長)
- 9代目:吉村光男(天龍会会長)
- 10代目:木下政秀(木政組組長)
その他編集
7代目組長・金山耕三朗(金在鶴)は韓国の暴力団である七星派の頭目・李康桓と義兄弟の契りを交わしていた[8]。
出典編集
- ^ a b c 令和元年上半期における組織犯罪の情勢 図表1-20 指定暴力団一覧表(24団体) - 警察庁 組織犯罪対策 2019年9月
- ^ 『Police of Japan 2011, Criminal Investigation : 2. Fight Against Organized Crime』 2009年 警察庁 (英語) ― p.21 “ナナダイメ・サカウメグミ”(Nanadaime Sakaume-gumi)
- ^ 『暴力団』 : “二二の指定暴力団” (p.19) 溝口敦 2011年 新潮新書 ISBN 978-4-10-610434-3
- ^ “令和元年における組織犯罪の情勢【確定値版】”. 2020年10月4日閲覧。
- ^ 『実話時代 2012年6月号』 : “五代目酒梅襲名披露御芳名録” (p.34-37) 2012年6月1日 メディアボーイ
- ^ 2003年04月15日の読売新聞東京及び大阪朝刊一面、2003年05月22日の読売新聞東京朝刊一面
- ^ 『松江八束建設業暴力追放対策協議会』のHPの「指定暴力団」
- ^ “韓国に進出した国際ヤクザ組織の一覧表! (高野孟の「極私的情報曼荼羅」)”. www.the-journal.jp. 2020年5月6日閲覧。