酒泉 温忠(さかいずみ あつただ[1]1847年弘化4年[1]〉 - 没年不明[2])は、明治時代の政治家茨城県那珂郡湊町長、水戸市長。幼名は餘三郎[1]

経歴 編集

水戸藩士酒泉新三郎の三男[1]、水戸の長老である酒泉直の実弟[3]。はじめ陸軍省に出仕し、のち警視庁に移り、茨城県警部となり、一旦辞職したのちに茨城県典獄となった[4]。ついで福井県典獄から台南県典獄に転じたが、病を理由に帰郷した[4]

1894年(明治27年)那珂郡湊町長となり1年務め[5]、1899年(明治32年)3月、水戸市長に就任し、茨城県農学校(水戸農学校の前身)の設立、茨城県高等女学校や水戸市立下市幼稚園の創立、水戸農学校の移転新築などに尽力した[3]

親族 編集

  • 兄 酒泉直(水戸町会議員)[1]
  • 長男 酒泉真一(書家)[6]

脚注 編集

参考文献 編集

  • 日本現今人名辞典 訂正2版』日本現今人名辞典発行所、1901年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/782772 
  • 弘文社 編『茨城人名辞書』弘文社、1930年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1187062 
  • 那珂湊市史 : 写真集』那珂湊市、1974年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9642689 
  • 歴代知事編纂会 編集『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み 第1巻』歴代知事編纂会、1983年。 
  • 水戸市史編さん近現代専門部会 編『水戸市史 下巻 1』水戸市、1993年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3038719 
  • 日外アソシエーツ 編集『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。ISBN 4816929304