釈尊正風会(しゃくそんしょうふうかい)は、真言宗の僧侶釈興然によって組織された僧団である。上座部仏教の僧侶を養成し、その戒律を研究し、これを広めることなどを目的としていた。

概要 編集

南方仏教僧団では、5人以上の比丘によって僧団が組織されることによって、はじめて比丘戒を授けることができるとされていたため、青年僧侶をセイロン(現在のスリランカ)に派遣し、5人以上に比丘戒受戒させることを当初の目標としていた。

数次にわたり、主に真言宗の僧侶をセイロンに派遣したが、派遣した僧侶の還俗や死亡などで、当初の目的であった5人の僧侶の養成を達することができなかった。

年表 編集

関係する僧侶 編集

漢字氏名の前にあるカタカナの名は、上座部仏教の法名

  • グナラタナ 釈興然
  • 釈雲照(1827年 - 1909年
    上座部仏教の修行と比丘養成を発願した本人であったが、興然の帰国後、真言宗の戒律などと異なる立場をとる興然との間で意見の対立が起こった。
  • パンニャーケートゥ 釈宗演(1859年 - 1919年
    臨済宗僧侶。セイロンで得度。帰国後、神奈川県久良岐郡宝林寺の住持。後に臨済宗円覚寺派管長
  • 阿刀宥乗
    真言宗僧侶。四谷(現・新宿区若葉愛染院。釈雲照の弟子。
  • 稲村英隆(1836年 - 1910年
    埼玉県出身。真言宗僧侶。明治26年に釈興然らとセイロン、インドを巡礼。帰国後、西明寺 (京都市)住持。
  • ゴンダンニャ 小島戒宝
    セイロン派遣1期生。セイロンで比丘となったが、帰国後、黄衣を脱いで真言宗の僧侶となった。
  • パンニャーサーラ 比留間宥誡(日間宥海)
    セイロン派遣1期生。真言宗僧侶。セイロンで受戒、比丘。
  • ソービタ 釈仁度
    セイロン派遣2期生。派遣時の氏名・鳥家仁度。 帰国後は、神奈川県都筑郡新治村猿山(現・横浜市緑区上山町)光照山萬蔵寺の住職[3]。向山亮雲没後は、三会寺住職。昭和26年8月4日遷化まで持戒
  • グナーナンダ 工藤敬慎
    セイロン派遣2期生。埼玉出身の比丘。セイロン・マータラで死亡。
  • 向山亮雲
    派遣3期生。山梨県出身。比丘。セイロン在留中に還俗し、帰国後日露戦争に応召。釈興然の遷化後は、三会寺住職。
  • アーナンダ 吉松快裕
    セイロン派遣4期生。比丘。帰国後、島根県八束郡川津霊感寺住職。遷化まで持戒。

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ 奥山直司「日本仏教とセイロン仏教との出会い : 釈興然の留学を中心に」『コンタクト・ゾーン = Contact zone』第2巻、京都大学人文科学研究所人文学国際研究センター、2008年、23-36頁、NAID 120005307113 
  2. ^ 東元慶喜「釈尊正風会のひとびと」『駒澤大學佛教學部研究紀要』第40号、駒澤大学、1982年3月、NAID 110007014839 
  3. ^ 東元慶喜「ソービタ長老釈仁度和上招来の貝多羅葉について」『印度學佛教學研究』第31号、日本印度学仏教学会、1983年3月、486-492頁。