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金勝寺

金勝寺(こんしょうじ)は、滋賀県栗東市荒張にある天台宗の寺院。山号は金勝山。本尊は釈迦如来。開基は良弁と伝える。古くは大菩提寺と称し、湖南地方の仏教の一大拠点として栄えた大寺院であった。

目次

歴史編集

概要編集

寺は栗東市の南方、金勝山(こんぜやま)の山中に位置する。金勝山は単独の峰ではなく、竜王山(605m)、鶏冠山(491m)などの山系を指す名称で、東北方に位置する阿星山、東方に位置する飯道山とともに、金粛菩薩(こんしょうぼさつ)の霊地とされている。金粛菩薩とは東大寺の開山・初代別当とされる良弁のことで、この地域には他にも長寿寺常楽寺などの金粛菩薩(良弁)開基を伝える寺院群がある。金勝寺の開基も金粛菩薩とされ、往時は山中に36坊、付近に25別院を有する、湖南地方の仏教の中心寺院であった。現在も近隣には金勝寺二十五別院の一であったとされる寺院が点在する。また、金勝寺の西方の山中には平安時代初期の作とされる狛坂磨崖仏(国の史跡)があり、この地域の仏教文化の歴史の古さがわかる。金勝寺は初期には法相宗系の寺院であったが、近江地方は比叡山が存在する関係で天台宗の勢力が強く、この寺も平安時代後期頃から天台系となる。

創建編集

金勝寺は、寺伝では天平5年(733年)、聖武天皇の命により、紫香楽宮の鬼門鎮護のため良弁が創建したという[1]。創建については、他の伝えもある。中世の記録である『興福寺官務牒疏』(嘉吉元年・1441年)によると、この寺は天武天皇白鳳元年(672年)、役小角(役行者)の修行した霊跡であり、養老元年(717年)、金粛菩薩が開基。平城京の鬼門(北東)を守る寺となったという。一方、寛平9年(897年)6月23日の太政官符(『類聚三代格』所収)によると、金勝寺は金粛菩薩の霊地であり、ここで修行していた興福寺の伝燈大法師位願安が弘仁年中(810 -824)、国家のために伽藍を建立した。その後、承和聖帝(仁明天皇、在位833 - 850)の時に勅額を賜って金勝寺と号したという。

仁明天皇の治世の歴史を記した『続日本後紀』によれば、天長10年(833年)「金勝山大菩提寺」が定額寺(官寺に準ずる国家公認の寺院)に列せられている。寛平9年(897年)には前述の太政官符により金勝寺に年分度者(国家から年間に許可される得度者数)2名が許可されている。

中世以後編集

建武2年(1335年)には後醍醐天皇の綸旨により同天皇の祈願所となっている。前述の『興福寺官務牒疏』によると、往時は山上に36坊を数えたというが、天文18年(1549年)の火災で焼失し衰退した。その後再建され、近世には徳川家康が30石を与えているが往時の規模を取り戻すことはなかった。

境内編集

山上には仁王門、本堂(本尊釈迦如来像を安置)、二月堂(軍荼利明王像を安置)、虚空蔵堂(虚空蔵菩薩像、毘沙門天像、地蔵菩薩像を安置)などが建つ。他に、山麓の春日神社の近くに里坊がある。

文化財編集

  • 木造釈迦如来坐像 - 像高218cm、平安時代。
  • 木造軍荼利明王立像 - 像高360.5cm、平安時代。
  • 木造虚空蔵菩薩半跏像 - 像高194cm、平安時代。
  • 木造毘沙門天立像 - 像高168cm、平安時代。
  • 木造地蔵菩薩坐像 - 像高84cm、平安時代。(栗東市荒張にあった山口寺の旧蔵)

所在地・アクセス ・拝観編集

本坊 滋賀県栗東市荒張1394

JR草津駅から帝産湖南交通バス金勝公民館行き(所要35分)終点下車。

くりちゃんバスに乗り換え成谷下車徒歩1時間30分。(くりちゃんバスはタクシー車両を使用、事前予約制)

名神高速道路栗東インターチェンジから車で25分

拝観料 500円(20名以上 450円)

拝観時間 9時~17時(12月~3月 9時~16時30分)

里坊 滋賀県栗東市荒張670-1

JR草津駅から帝産湖南交通バス金勝公民館行き(所要35分)終点下車、徒歩15分。

拝観料 無料(要 電話予約)

参考文献編集

  • 田中日佐夫『仏像のある風景』、駸々堂、1989
  • 『日本歴史地名大系 京都府の地名』、平凡社
  • 『角川日本地名大辞典 京都府』、角川書店
  • 『国史大辞典』、吉川弘文館

脚注編集

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  1. ^ 一般に「鬼門」とは北東の方角を指すので、この説では方角が合わない

座標: 北緯34度57分22.1秒 東経136度2分4.5秒