金城 基泰(かねしろ もとやす、1952年10月16日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手投手)。在日朝鮮人として生まれ、後に日本人帰化した。日本プロ野球(NPB)韓国プロ野球(KBO)の双方で活動。帰化前の本名およびKBOでの登録名金 基泰(キム・ギテ、김기태、きん もとやす)。

金城 基泰
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府
生年月日 (1952-10-16) 1952年10月16日(64歳)
身長
体重
178 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1970年 ドラフト2位
初出場 NPB / 1972年5月31日
KBO / 1986年
最終出場 NPB / 1985年10月24日
KBO / 1987年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

目次

来歴・人物編集

1970年秋、此花商業高校から翌春の法政大学への進学がほぼ決定していたが、広島東洋カープスカウトの木庭教による熱心な口説きに折れ、ドラフト2位で入団。サブマリン投手で下から浮き上がるような速球を武器に、1973年に10勝(6敗)を挙げ、防御率2.54をマーク。1974年には外木場義郎安仁屋宗八佐伯和司とともに先発ローテーションの中心として奮闘し、チームは最下位ながら20勝を挙げて最多勝、207奪三振で最多奪三振のダブルタイトルを獲得。

しかし、同年オフの10月に交通事故に遭い、失明危機の大怪我を負う。薬の副作用に合併症まで生じ、医師から「日常生活への復帰も、期待しないでくれ」と宣告される程であったが、眼を手術しなんとか失明はとりとめた。半年間の入院生活の末、1975年に退院。医師の反対を押し切り、夏場から抑えとして奇跡の復活を果たして、広島の初優勝に貢献。胴上げ投手になり阪急ブレーブスとの1975年の日本シリーズでも先発や中継ぎにフル回転。翌1976年は僅か2勝に終わり、野村克也選手兼任監督の希望もあり松原明夫との交換トレード南海ホークスに移籍。当時広島監督の古葉竹識(南海の選手・コーチとして野村に仕えた経験がある)は、後年「ノムさんだから金城を渡した」と語っている。

移籍初年度の1977年江夏豊のリリーフ転向により、先発に復帰し10勝を挙げ、防御率は南海先発投手陣唯一の2点台(2.51)を記録。1978年より再度、抑えに転向。チームは低迷する中、リリーフエースとして活躍。1979年には4勝16セーブ、1980年には6勝13セーブで2年連続最優秀救援投手に輝いた。同い年の同胞で本来法大野球部でチームメイトになるはずだった新井宏昌と仲が良く、後に読売ジャイアンツ(巨人)へトレード移籍する際にも彼に相談したという。1984年7月4日の対近鉄戦では加藤英司に通算10本目の被満塁本塁打となる逆転サヨナラ満塁本塁打を打たれたが、それまでの被満塁本塁打の日本プロ野球記録を更新するものとなった[1]1984年オフ、中条善伸とのトレードにより巨人に移籍するものの、登板機会に恵まれず1985年限りで自由契約となる。日本プロ野球通算セーブ数(92)は当時歴代5位。

1986年、韓国プロ野球界の青宝ピントゥスに入団。42試合登板で9勝5セーブ。1987年サムスン・ライオンズに移籍。オールスターゲームにも出場し、7勝を挙げる。同年限りで現役引退

引退後は、大阪市平野区でそば屋を経営していた[2]

アンダーハンドから威力のある直球でグイグイ押す投球スタイルが持ち味であり、後藤正治著の『スカウト』によると、金城は現役を引退するまで変化球は『僅かに変化する程度のチェンジアップ』しか投げることができなかったという。同著では、上記の交通事故から奇跡の復活を遂げるまでの経緯についても触れられている。

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
1972 広島 27 7 2 0 0 3 3 -- -- .500 261 70.2 60 9 44 1 3 62 2 0 36 31 3.95 1.47
1973 40 15 3 2 0 10 6 -- -- .625 525 131.1 99 12 35 1 7 106 1 0 42 37 2.54 1.02
1974 44 36 11 2 1 20 15 0 -- .571 1033 252.0 214 34 71 6 9 207 1 0 107 102 3.64 1.13
1975 16 2 0 0 0 1 0 4 -- 1.000 116 27.0 19 2 13 1 2 24 0 0 8 8 2.67 1.19
1976 43 10 1 0 0 2 9 4 -- .182 456 102.1 101 21 44 5 11 97 1 1 59 55 4.84 1.42
1977 南海 31 25 10 2 2 10 11 1 -- .476 779 189.2 149 21 65 1 15 123 2 0 72 53 2.51 1.13
1978 19 0 0 0 0 0 4 3 -- .000 126 30.1 29 4 6 3 2 29 1 0 16 14 4.15 1.15
1979 53 0 0 0 0 4 5 16 -- .444 384 98.1 66 14 35 5 5 69 1 0 36 36 3.29 1.03
1980 31 0 0 0 0 6 4 13 -- .600 234 56.2 45 13 17 0 4 43 0 0 25 23 3.65 1.09
1981 23 0 0 0 0 2 0 7 -- 1.000 119 30.0 19 1 7 2 3 35 0 0 7 6 1.80 0.87
1982 57 0 0 0 0 6 9 21 -- .400 313 78.1 61 6 23 10 2 65 1 1 24 23 2.64 1.07
1983 40 0 0 0 0 4 4 15 -- .500 217 54.0 46 11 18 2 1 28 1 0 22 22 3.67 1.19
1984 20 0 0 0 0 0 1 8 -- .000 90 21.0 16 3 10 1 3 15 1 0 9 9 3.86 1.24
1985 巨人 17 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 91 20.1 17 4 14 1 0 16 0 0 12 11 4.87 1.52
1986 青宝 42 12 6 1 -- 9 14 5 -- .391 746 175.1 158 12 66 5 17 109 6 0 73 62 3.18 1.28
1987 三星 17 15 5 1 -- 7 5 0 -- .583 418 95.0 89 8 48 5 12 46 3 0 57 50 4.74 1.44
NPB:14年 461 95 27 6 3 68 71 92 -- .489 4795 1162.0 941 155 402 39 67 919 12 2 475 430 3.33 1.16
KBO:2年 59 27 11 2 -- 16 19 5 -- .457 1164 270.1 247 20 114 10 29 155 9 0 130 112 3.73 1.34
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル編集

NPB

記録編集

NPB初記録
NPBその他の記録

背番号編集

  • 27 (1971年 - 1976年)
  • 21 (1977年 - 1984年)
  • 19 (1985年)

登録名編集

  • 金城 基泰 (かねしろ もとやす、1971年 - 1985年)
  • 金 基泰 (キム・ギテ、김기태、1986年 - 1987年)

脚注編集

  1. ^ 講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」454ページ
  2. ^ 『プロ野球人名事典2001』(2001年5月、日外アソシエーツ発行・紀伊國屋書店発売。編著者:森岡浩。ISBN 4816916695

関連項目編集

外部リンク編集

※いずれも、KBOでの成績を掲載。