金弘植

大韓民国の政治家

金 弘植(キム・ホンシク、1909年3月1日 - 1974年2月21日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国政治家官僚

生涯編集

忠清南道牙山郡にて誕生[1]。1931年に京城法学専門学校卒業。1932年に朝鮮弁護士試験合格。1932年に高等文官試験司法科および行政科に合格。朝鮮総督府の官吏として勤務し、1938年に平安南道陽徳郡郡守、続いて京畿道富川郡郡守[2]を務めた。

第二次世界大戦終戦後は、京畿道鉱工局長(1945年)、司法委員(1956年)、忠清南道知事(1960年-1961年)、法制処次長(1961年)、民主共和党ソウル市事務局長(1963年)、無任所長官(1963年-1964年)、逓信部長官(1964年-1965年)、ソウル新聞社長(1965年)、民主共和党中央委員(1965年)を歴任。

脚注編集

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外部リンク編集

公職
先代:
金鶴應
忠清南道知事
1960年4月 - 1961年1月
次代:
金亮鉉
先代:
金溶植
大韓民国無任所長官
1963年12月17日 - 1964年7月22日
次代:
元容奭
先代:
洪憲杓
大韓民国逓信部長官
1964年7月2日 - 1965年5月15日
次代:
金炳三