金彦 任重(かねひこ たかしげ、韓国名:김영덕、金永徳、1937年1月27日 - )は、在日韓国人の元日本プロ野球選手(投手右投右打)[1][2]南海ホークスでプレーした。大韓民国に帰国後は、大韓民国のアマチュア野球球団やKBOリーグの球団で監督を務めた。

金彦 任重(金 永徳)
基本情報
国籍 大韓民国の旗 韓国
出身地 日本の旗 日本 京都府
生年月日 (1937-01-27) 1937年1月27日(83歳)
身長
体重
178 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1956年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督

また、日本在住時、1958年に金彦任重とする前の名前として金彦永徳を名乗っていた[3]

略歴編集

1936年1月27日、京都府に生まれる。

逗子開成高等学校を経て1956年南海ホークスに入団し[1][2]、背番号1を付ける[3]

1959年から1963年までに通算67試合(158.2イニング)に出場した。通算成績は7勝9敗、防御率3.57[1]

その後、大韓民国に帰国し、ソウル特別市奨忠高校朝鮮語版天安市北一高等学校英語版の野球部の監督を務め、OBベアーズサムスン・ライオンズで監督を務め、OBを1982年に、サムスンを1985年に優勝へ導いた。1986年、1987年と最下位争いをしていたピングレ・イーグルスに「優勝請負人」として監督に招聘され、1988年までとは違う好成績を残した。しかし、ピングレでは韓国シリーズに進出するものの準優勝に終わることも多く、最終的にはリーグ優勝を果たせず、1993年のシリーズをもって、戦績不振の責任を取り、契約切れとなって退団した。

1996年LGツインズの投手指導員、1997年よりLGツインズの2軍監督を務めるが、1998年をもって2軍監督の契約が更新されずに野球界から退いた。

ピングレ・イーグルス監督だった1988年4月7日にサムスン・ライオンズに勝利してKBOリーグ史上初の通算300勝を挙げた監督となった。

1971年アジア野球選手権大会では野球大韓民国代表コーチを務めている。

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
1959 南海 43 8 0 0 0 6 6 -- -- .500 417 102.0 93 8 19 1 2 54 2 1 45 35 3.09 1.10
1960 8 3 0 0 0 1 2 -- -- .333 98 23.2 19 3 11 1 2 6 0 0 9 9 3.38 1.27
1962 15 2 0 0 0 0 1 -- -- .000 136 32.0 39 4 5 1 0 15 0 0 23 19 5.34 1.38
1963 1 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 3 1.0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00 1.00
通算:4年 67 13 0 0 0 7 9 -- -- .438 654 158.2 152 15 35 3 4 75 2 1 77 63 3.57 1.18

背番号編集

  • 南海ホークス - 1(1956年-1960年), 20(1961年-1963年)
  • OBベアーズ - 40
  • サムスン・ライオンズ - 70, 60
  • ピングレ・イーグルス - 70, 99

出典編集

  1. ^ a b c 金彦任重”. 日本野球機構. 2018年4月16日閲覧。
  2. ^ a b 金彦任重”. 週刊ベースボールonline. 2018年4月16日閲覧。
  3. ^ a b ホークス歴代背番号1 秋山監督は9年間”. 日刊スポーツ (2011年11月29日). 2018年4月16日閲覧。

関連項目編集

外部リンク編集