金木山 弥一郎(かなぎやま やいちろう 1870年10月22日(明治3年9月28日) - 1945年(昭和20年)1月12日)は、明治時代の大相撲力士。本名:藤山(のち岡村)吉蔵。

最高位幕下43枚目。

略歴 編集

越中国礪波郡高波村出身。1892年雷部屋に入門。 横綱梅ヶ谷の同時期の入門で、のちに付け人となる。1894年1月高木山吉三で序ノ口

1896年5月三段目で白猫弥市。その後は三段目が長く、1902年1月金木山に。1905年1月幕下に昇進。1907年1月三段目に落ち、1911年6月幕下復帰を最後に40歳で引退、年寄鏡山静太夫を襲名する。年寄としては雷部屋の番頭格であった。[1]のち雷部屋が消滅し、力士たちは四散する。その後八角部屋(元関脇・大鳴門)や中川部屋(元幕内・鬼鹿毛)を引き継いだ武蔵川部屋(元幕下・鴨緑江)の力士をまとめて、1932年10月から鏡山部屋経営を始め、番神山三熊山の二人が幕内に昇進している。その後新十両を決めた信濃川が徴兵から帰還しないうちに1944年11月限り高齢のため部屋を閉じ、1945年1月12日死去、享年76。

出典 編集

  1. ^ 「年寄名跡の代々 鏡山代々の巻」 月刊相撲 1990年12月号 ベースボール・マガジン社

関連項目 編集