金毓嶂(きん いくしよう、1942年5月 - )[2]は、中華人民共和国地質学者であり、愛新覚羅氏の当主である。よって皇位請求者ということになるが、本人は皇位の請求はしておらず、愛新覚羅でなく漢名のの姓を名乗っている[1]

金毓嶂
プロフィール
出生: 1942年5月??
出生地: 中華民国の旗 中華民国北平市 醇親王府[1]
各種表記
繁体字 金毓嶂
拼音 Jīn Yùzhàng
和名表記: きん いくしょう
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彼は、中国の最後の皇帝である溥儀の弟・溥任(金友之)の長男である[3][4]。1937年に採択された愛新覚羅氏の家長の継承規則では、継承順位を長男、同母兄弟、異母兄弟の順と規定している[5]。溥儀には子がおらず、次弟の溥傑の子も女子のみだったため、1994年の溥傑の死後は溥任が家長の座を受け継いだ[6]。2015年に溥任が亡くなり、長男の毓嶂が当主となった。

北京地質学院を1968年に卒業し、青海省地質鉱物資源局に勤務した。1985年、北京市崇文区環境保護局に異動した。1999年には、北京市政協常任委員会と崇文区政協の副主席、および北京市民族事務委員会副主任を務めた[1]

彼の子は娘の金鑫(1976年 - )のみであり、女子は当主を継承できないため、当主の継承者は弟の金毓峑中国語版(1946年 - )になる。

脚注編集

  1. ^ a b c 清朝皇室后裔ウェブアーカイブ、2006年10月18日) - http://www.bj.xinhuanet.com/bjpd_sdwm/2006-07/04/content_7422818.htm
  2. ^ Spencer, Richard (2008年11月30日). “The Chinese man who would be emperor”. The Daily Telegraph. 2016年6月4日閲覧。
  3. ^ Heir to China's throne celebrates a modest life, The Age, Nov. 27, 2004
  4. ^ "Life of Last Chinese Emperor's Nephew", People Daily, Dec. 11, 2000.
  5. ^ "Law Governing Succession to the Imperial Throne", March 1, 1937, The Manchoukuo Year Book 1941, Tōa Keizai Chōsakyoku (Japan). "Among the Imperial brothers and the remoter Imperial relations, precedence shall be given, in the same degree, to the descendants of full blood over those of half blood." (Article 8, p. 905.)
    Buyers, Christopher, The Royal Ark, "China"
  6. ^ ただし、溥儀の遠縁の毓嵒が溥儀から継承者に指名されたと主張している。