金沢 碧(かなざわ みどり、1953年11月27日[3] - )は、日本の元女優。本名:金沢みどり[1]埼玉県川口市出身[1][2]。身長164cm(1976年2月)[1]

かなざわ みどり
金沢 碧
本名 奥居 みどり
生年月日 (1953-11-27) 1953年11月27日(70歳)
出生地 日本の旗 日本埼玉県川口市出身[1][2]
血液型 A
職業 女優
ジャンル テレビドラマ映画舞台
活動期間 1975年 - 2017年
主な作品
テレビドラマ
北都物語
俺たちの旅
大都会 PARTIII
テンプレートを表示

人物・略歴

編集

兄・姉がいる末っ子[4]。高校の文化祭では舞台の裏方をやったぐらいで[4]芸能界には全く興味がなく[4]東京家政学院高等学校卒業[2][4]後、精神科医を目指していた[4]。二する間に疲れて、友人からオーディションを勧められ[4]、気分転換に参加しスカウトされ[4]、精神科医は断念[2][4]サラリーマンの父は芸能界入りに猛反対したが、自身で「わがままで我が強い」という性格から、かえって闘志に火がつき、「自分の力が一番よく分かる世界じゃないか」と無関心だった芸能界入りする決意を固める[4]、その後、語学を勉強している時にテレビドラマ北都物語』(1975年)のオーディションを受けて5000人の中で合格し[4]、ヒロイン・布部絵梨子役でデビューした[2][3]日比谷スタジオで1975年1月にあった製作発表会見では「恋愛も演技もまだ経験はありません」「芸能界に一生を懸けるという肩肘張った気持ちで仕事をやりたくない。もしダメだったら、自分の人生を考えるという柔軟な姿勢で」などと述べた[4]。森開逞次プロデューサーは、金沢選出の理由について「インテリジェンスとフォトジェニックな容姿が魅力です。アングルによって表情は色々変わるというのもいい」などと評した[4]

同年『東京湾炎上』で映画初出演[5]。同作品ではベッドシーンにも挑んだ[3]。『俺たちの旅』でのカースケ(中村雅俊)に想いを寄せるヨーコ役で人気を博す[3]

本名のみどりに「碧」の字をあてて芸名にしたのは、「小学生時代の習字の先生がよくこの字を使っていたことで自分も気に入って、中学生時代から手紙を出す時などには自分の名前に碧の字を使っていた」からだったという[6]

1997年文化庁新進芸術家海外派遣制度によりイギリスに留学。

後年、放送大学に入学、同教養学部教養学科人間の探究専攻卒業、放送大学大学院文化科学研究科修士課程修了。

一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構では、連絡先を求めている[7]

出演

編集

映画

編集

テレビドラマ

編集

ラジオドラマ

編集

舞台

編集

その他のテレビ番組

編集

ほか多数

脚注

編集
  1. ^ a b c d 「決定!保存版 '76 ALLスタアLIST 金沢碧」『スタア』1976年2月号、平凡出版、91頁。 
  2. ^ a b c d e 週刊テレビ番組(東京ポスト)1977年11月18日号 p.22
  3. ^ a b c d 東宝特撮女優大全集 2014, p. 146, 文・中村哲「まだまだいる!忘れえぬ東宝特撮女優たち<2>」
  4. ^ a b c d e f g h i j k l 『北都物語』(日本)のヒロイン 金沢碧 恥ずかしながら女医志願 二浪にくたびて転身 さめてる現代っ子一生かける気持ちない”. デイリースポーツ (神戸新聞社): p. 8. (1975年1月23日) 
  5. ^ 「東京湾炎上」『ゴジラ画報 東宝幻想映画半世紀の歩み』(第3版)竹書房、1999年12月24日(原著1993年12月21日)、190頁。ISBN 4-8124-0581-5 
  6. ^ 週刊テレビ番組(東京ポスト)1979年7月20日号 52 - 53頁「読者とスターのスタジオでこんにちは」
  7. ^ 一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構 放送番組に出演された金沢碧様をさがしています
  8. ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 538, 「主要特撮作品配役リスト」

参考文献

編集

外部リンク

編集