金相姫
金 相姫(キム・サンヒ、1954年5月18日 - )は、大韓民国の女性活動家、女性政治家。第18・19・20・21代国会議員で、第21代国会前半国会副議長。同国初の女性国会副議長となった[1]。韓国女性民友会常任代表、大統領諮問持続可能発展委員会委員長などを歴任。
金相姫 김상희(キム・サンヒ) | |
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生年月日 | 1954年5月18日(68歳) |
出生地 |
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出身校 | 梨花女子大学校 |
所属政党 |
(大統合民主新党→) (民主統合党→) (民主統合党→) 共に民主党 |
称号 |
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在任期間 | 2020年5月30日 - 2022年5月29日 |
大統領 | 文在寅 |
選挙区 |
(比例代表→) (京畿道富川市素砂区→) 京畿道富川市丙 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 2008年5月30日 - |
金相姫 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 김상희 |
漢字: | 金相姬 |
発音: | キム・サンヒ |
経歴編集
1954年に忠清南道公州市で生まれた。朴正煕政権下の梨花女子大学校に入学した。在学中には学生運動に参加し、卒業後も女性運動・環境運動に参加した[1]。1987年には韓国女性民友会の設立に貢献した[1]。性暴行特別法などの女性関連法の制定と改正、戸主制の廃止に貢献したとして、2005年7月7日に国民勲章冬柏章を受賞した[2]。大統領政策企画委員会委員を経て、2006年には盧武鉉大統領によって大統領諮問持続可能発展委員会委員長に任命された[3]。2007年に同委員長を辞任し[4]、新たに結党された大統合民主新党に参加し、共同最高委員に選出された[5]。
2008年に実施された第18代総選挙で、大統合民主党と民主党が結合してできた民主統合党の比例区から立候補し当選した[6]。
2012年に行われた第19代総選挙では、民主統合党候補として京畿道富川市素砂区から出馬し、ハンナラ党現職候補の車明進を破り当選し[7]、女性家族委員会委員長に選出された[8]。
2016年に行われた第20代総選挙では、共に民主党候補として出馬し、当選し[9]、民生経済特別委員会委員長に選出された[10]。同年11月には青瓦台が大量のバイアグラを購入していたことを明らかにした[11]。
2020年に新型コロナウイルスが流行した際には、共に民主党コロナ19国難克服委員会防疫対策本部本部長に就いた[12]。同年4月に行われた第21代総選挙で再選を果たし[13]、党内の副議長には女性を送るべきという認識から副議長候補に選出された[12]。6月5日に韓国で初めての女性国会副議長に選出された[14]。
2020年、日本福島第一原子力発電所事故により生じたトリチウムを含む処理水の海洋投棄を強行する場合、日本産水産物の輸入を全面中止すべきだという意見を表明した[15]。
脚注編集
- ^ a b c 프로필4선 김상희, 헌정사상 첫 여성 국회부의장 東亜日報 2020年6月5日
- ^ 이낙영-김상희-홍은희씨, 여성주간 맞아 국민훈장 東亜日報 2005年6月30日
- ^ 청와대 안보실장 송민순씨 사회수석 김용익씨 東亜日報 2006年1月26日
- ^ 김상희 지속가능발전위장 사의 東亜日報 2007年7月25日
- ^ 元ウリ党議員らで作る新党が正式発足 ウリ党との統合も推進 東亜日報 2007年8月6日
- ^ 비례대표 뚜껑 열어보니… 한나라 ‘실망’ 민주 ‘안도’ 東亜日報 2008年4月10日
- ^ 약속 2012 4·11총선女風당당… 44명 당선 ‘최다’ 東亜日報 2012年4月12日
- ^ 국회 국방위원장에 유승민…상임위원장 인선 완료 東亜日報 2012年7月6日
- ^ 노총출신 12명 당선… 더 험난해진 노동개혁 東亜日報 2016年4月15日
- ^ 여야 7개 특위 위원장 인선 東亜日報 2016年7月6日
- ^ 大統領府がバイアグラ購入 「高山病に備えて」と説明 購入動機に疑念 産経ニュース 2016年11月23日
- ^ a b 21대 첫 女 국회부의장 나오나…與 여성 의원, 김상희 추진 東亜日報 2020年5月4
- ^ ‘막말 논란’ 후보들 참패…“화난 국민은 투표소로 향했다” 東亜日報 2020年4月16日
- ^ 韓国国会副議長に初の女性 聯合ニュース 2020年6月5日
- ^ “韓国国会副議長「韓国の原発汚染水評価を拒絶すれば、日本産水産物の輸入を全面中止すべき」” (2020年10月21日). 2021年4月21日閲覧。