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金竹小(こんちくしょう)は、1980年代後半から1990年代初頭にかけて自由民主党内の派閥である経世会(竹下派)幹部であった金丸信竹下登小沢一郎の頭文字をとって評された言葉。「ニューリーダー」世代の代表を称して安竹小(「小」は小沢ではなく小坂徳三郎)と呼び習わされたことに倣っている。

概要編集

もともと、竹下と金丸は国対族として野党とのパイプを築いており、自民党が参議院で過半数を割りねじれ国会となった局面でその重要性を増し、党幹事長の小沢をして公明党民社党との折衝に当たらせ、自公民路線を固めて政権運営の道筋をつけた。この野党両党とのつながりと、当時他派より結束力が強いと言われていた最大派閥の経世会を背景に、政権の死命を制する位置にあった。

3者は縁戚関係で結ばれ相互扶助の関係によって日本の政治を動かしていたが、世代交代に否定的な竹下と小沢を会長にして政界再編を見据える金丸・小沢との間に次第に隙間風が吹くようになる。また、海部内閣退陣表明後に小沢が金丸を背景に後継出馬を模索し、小沢が断念すると当時一般人気の高かった派内の橋本龍太郎を差し置いて他派の宮澤喜一を推すことを金丸・小沢主導で決定するなどしたことから、両名に反発する機運が派内にも生じた。金丸が東京佐川急便事件で議員辞職すると、竹下と小沢の間で派閥の実権を争って経世会は分裂に至った。

最大派閥として政府与党に対して影響力を保持していたことへの揶揄(こん畜生)した意味が含まれている。東京佐川急便事件に絡んで3人とも国会から証人喚問をされている(金丸は病気療養中を理由に出張尋問となった)。

関連項目編集