金策工業総合大学
座標: 北緯39度00分09.7秒 東経125度44分47.4秒 / 北緯39.002694度 東経125.746500度
金策工業総合大学(キムチェクこうぎょうそうごうだいがく、김책공업종합대학)、朝鮮民主主義人民共和国平壌直轄市中区域にある大学である。同国の英雄である金策(副首相兼産業相)にちなんで命名された。
金策工業総合大学 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 김책공업종합대학 |
漢字: | 金策工業綜合大學 |
発音: | キムチェッコンオプジョンハプテハク |
日本語読み: | きんさくこうぎょうそうごうだいがく |
英語表記: | Kim Chaek University of Technology |
概説 編集
平壌の中心部、栄光通りの無軌条電車「栄光通り」停留場付近より南へ約500mの場所にある。平壌駅からもわずか1kmである。正面玄関は大同江沿いに通る「鳥灘江岸通り」寄りにある。
平壌の中心部で、大同江に位置している金策工業総合大学は、北朝鮮での科学ㆍ技術教育の上の殿堂として、科学技術、特に工業分野での高度な専門家を養成する総合的な中心の大学である。
1948年9月に金日成総合大学から工学部が分離され、これを母体として平壌工業大学が設立された。 朝鮮戦争中、教員と学生のほとんどが前線に出かけ、残りは平安北道に避難しており、停戦後に再び平壌に移り復旧事業が終了した後に再開した。
1951年1月31日、北朝鮮の第201号令によって平壌工業大学の名称を、朝鮮人民軍の前線司令官として朝鮮戦争中に死亡した金策の名にちなんで、金策工業大学と変更した。
1956年には科学技術関連の学部を紡績工学部と運輸工学部、機械工学区、冶金工学部などに分離し、これを母体として平壌軽工業大学、平壌鉄道大学、平壌機械工業大学、鋼線工業大学、平壌建設建材大学など8つの大学を創設した。
1988年に大学創立40周年を記念して、金策工業総合大学と改称した。
1990年に朝鮮コンピューターセンターの労働者を養成する金策工業総合大学・江東校が創設された。
組織 編集
現在の金策工業総合大学には3つの学部、11の学部と100以上の講座、3,000人余りの教員、そして13,000人の学生が在籍している。このほかにも、職場の勤務や、除隊兵士で構成されている予備の学生がおり、修業年限は5年6ヶ月である。大学の総長は洪瑞憲。
- コンピュータ科学大学 - コンピュータ学科、人工知能講座
- 機械科学技術大学 - 動力機械学科、機械生産工学講座
- 情報科学技術大学 - マイクロエレクトロニクス学科、放送工学講座、情報処理学講座
- 企業経営学部
- 鉱業工学部 - 鉱山オブジェクト講座、石炭のオブジェクト講座、石油オブジェクト講座、岩石採取講座、原油採取機械講座
- 金属工学部 - 冶金理論講座、黒色金属講座、純金の中の講座、炉工事、金属材料や金属の自動化講座
- 自動工学部 - 情報計測工学講座
- 動力機械学部 - 流体機械講座
- 材料工学部 - 溶接工学講座、金属材料講座、圧延設備講座、棚設備講座、ベアリング設備講座、融合設備講座
- 電子工学部 - 企業の電子講座、計算機講座、乾季の治療器具講座、ボディーチェック講座、半導体講座、電子部品講座、真空電子機器講座、プロの施設や集積回路講座
- 電気工学部 - 電動機工程講座、電動機械講座、精力的な自動装置講座、提携やケーブルの講座、電気応用講座、専門技術学講座
- 海洋工学部 - 船舶設計講座、朝鮮講座、船舶の動力設備や船舶の自動化講座
- 逓信学部
- 熱球学部
- 核物理学部 - 核燃料講座、自動的に原子炉の講座、核の電子講座、物理的な工事の講座、応用数学講座、原子炉工学講座
また、4年制大学には、技術の教員の育成がある。このコースは、中学校での科学技術教育を担当する中学校教員を養成するために、大学や他の技術大学で基礎科目を履修した後にこの育成では教職科目を履修し、『技術教育史』の資格を得るようになる。 金策工業総合大学には、北朝鮮の最も顕著な科学技術の教育研究の中心として、電子計算機研究所、金属研究所、半導体研究所、樹脂の超宗教研究所など10 の研究所と50以上の研究室がある。 ここには、科学研究史の教授、専門家1000人がいる。
校内施設 編集
歴史 編集
周辺 編集
平壌中心街の一角にある。大同江の中洲・羊角島の羊角島国際ホテルが向かいにそびえ、対岸東平壌には平壌ゴム工場がある。
- 平壌医科大学病院
- 国際文化センター
- 朝鮮対外文化連絡協会
- 中区域市場
- 鳥灘児童公園
- 平壌大劇場
- 総合印刷工場
- 鉄道博物館