金蓮寺 (京都市)

京都府京都市北区にある寺院

金蓮寺(こんれんじ)は、京都市北区鷹峯藤林町[1]に所在する、時宗四条派本寺の寺院。山号は錦綾山。本尊は阿弥陀如来四条道場とも呼ばれる。

錦綾山太平興國金蓮寺
金蓮寺
Konren-ji, Kyoto.jpg
所在地 京都府京都市北区鷹峯藤林町1-4
位置 北緯35度02分52.5秒 東経135度44分16.3秒 / 北緯35.047917度 東経135.737861度 / 35.047917; 135.737861座標: 北緯35度02分52.5秒 東経135度44分16.3秒 / 北緯35.047917度 東経135.737861度 / 35.047917; 135.737861
山号 錦綾山(きんりょうざん)
宗旨 時宗浄土教
宗派 四條派
寺格 本寺
本尊 木造地蔵菩薩立像
開山 (伝)空海
中興 佐々木道誉
正式名 錦綾山太平興國金蓮寺
別称 祇陀林寺釈迦堂、清和院釈迦堂、四條京極(の)釈迦堂、釈迦院、敬礼寺(きょうらいじ)、四條道塲
札所等 洛陽四十八願所地蔵めぐり(京都四十八願寺)36番札所
新京極8社寺
法人番号 7130005002344 ウィキデータを編集
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由緒編集

寺号の由来編集

歴史編集

応長元年(1311年)、浄阿真観後伏見上皇女御である広義門院の出産に際し、効があり、後の北朝初代光厳天皇が誕生したことから、上皇から四条京極、現在の下御霊神社の北部にあった祇陀林寺を賜り金蓮寺と改めたことに始まる。所在地から「四条道場」とも称される。『一遍聖絵』第七によると、祇陀林寺は境内の釈迦堂に一遍が訪れた一遍ゆかりの故地であった。応永31年(1424年)に四条派として独立し、錦綾山太平興国金蓮寺とも称していた。後には時宗十二派に数えられる。

延元元年(1356年)、佐々木道誉がその宅地を元弘以来の一族の戦死者を弔うために寄進した。元中4年/至徳4年(1387年)、足利義満は、佐々木道誉が寄進した寺地について、安堵の御教書も下して、外護の手を差し伸べる。中世において連歌立花等がなされ、芸能・文化の中心ともなっており[2]、大いに興隆していた。 また、長享3年(1489年)、足利義政の母日野重子の葬儀や、9代将軍足利義尚の葬儀が行われたり、翌年元6代将軍足利義教の荼毘が行われる等、足利将軍家との関係も深い。

しかし時宗遊行派の七条道場金光寺とどちらを本寺・末寺とするか、という確執は根深いものがあった。応永31年(1424年)金光寺との対立から、堂宇を焼失する。ここから「四条派」として独立していく。さらに足利義量没後、実質的に将軍とみられていた足利義持が、金蓮寺を金光寺の末寺とすべきだと勧告したため、信徒が7代浄阿を高野山に追放し、火を放つ。その後も、足利家の葬儀の際に対立を繰り返し、足利義尚の葬儀に金光寺側は参加せず、また足利義教の荼毘は金蓮寺で行われた後、金光寺で行われる。

堂宇は何度も焼失、再建を繰り返す。旧地での最後の火災は元治元年(1864年)の禁門の変の類焼であった。

 
染殿院
 
染殿院 東口

歴代住持浄阿弥陀仏を名乗る。18世紀末から寺域の切り売りがはじまった。売却地には料亭・飲食店・商店・見世物小屋が建ち、明治以降には繁華街(新京極)と化してしまい、寺自身も往時のおもかげを失って、寺運が傾いてしまった[3]。旧地である下京区中之町には、塔頭の染殿院(染殿地蔵院、そめどのさん)のみが残り、その前に「時宗開祖一遍上人念仏賦算遺跡」の石碑がある。1928年(昭和3年)現在の京都市北区鷹峯に移転している。この寺基移転に際し、本堂も移築のため解体されたものの、諸事情により再建には至らず長らく保管されたままになっていた。戦後、当時桑名空襲により全ての伽藍を焼失した真宗大谷派桑名別院本統寺が復興にあたりこの金蓮寺旧本堂を購入し、現在でも桑名別院の本堂として現存している。

『浄阿上人絵詞伝』等の多くの什宝を今でも有している。

塔頭編集

当時の塔頭子院):

  • 元正院
  • 梅林院
  • 後松庵
  • 照月院
  • 知足院
  • 南涼院
  • 寿福庵
  • 永福院
  • 宝珠庵
  • 長春庵
  • 尋牛庵
  • 興徳庵
  • 松林院
  • 放光庵
  • 真珠庵
  • 十住心院 – 現在の染殿院

文化財編集

重要文化財編集

  • 絹本著色阿弥陀如来像 - 南宋時代[4][5]

所在地編集

染殿院(染殿地蔵院)

外部リンク編集

染殿院

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ 地名は薬草園を管理した御典医(医官)藤林氏(藤林道寿綱久)所縁。藤林家は現在は織匠になっている
    藤林徳也の世界・作品
    藤林徳扇
  2. ^ 橘俊道梅谷茂樹一遍上人全集』(1989年、春秋社)、57頁注1。
  3. ^ 大橋俊雄『一遍と時宗教団』(教育社、1978年)249頁。
  4. ^ 文化審議会答申 ~国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定及び登録有形文化財(美術工芸品)の登録について~”. 文化庁. 2020年3月21日閲覧。
  5. ^ 令和2年9月30日文部科学省告示第118号