鈴木 忠治(すずき ちゅうじ、1875年2月2日 - 1950年12月29日)は、日本の実業家。鈴木商店(現味の素)創業者二代目鈴木三郎助の弟で、同社代表取締役社長や、昭和電工代表取締役社長、電気化学協会会長、内閣顧問などを務めた。

鈴木忠治

人物・経歴 編集

神奈川県堀内村(現三浦郡葉山町)出身[1]耕余塾を経て[2]、1894年横浜商業学校卒業[1]。外国貿易商店に勤めたのち[2]、鈴木商店(現味の素)創業者である兄鈴木三郎助とともに、味の素の製造・販売を進めた。1931年から兄の後任として鈴木商店および東信電気代表取締役社長を務め、多角化を進めて、昭和酒造(現メルシャン)や宝製油(現J-オイルミルズ)、宝製薬社(現味の素ヘルシーサプライ)の設立を行った。1939年電気化学協会会長。1940年昭和電工代表取締役社長[3][1][4][2]。1943年内閣顧問[1]。戦後、公職追放となる[5]

子供 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d 「鈴木 忠治(読み)スズキ チュウジ」コトバンク
  2. ^ a b c 「「ぶっ食らわしてみろよ」「勇気を出せ」工場現場マンの心をつかんだ二代社長 鈴木忠治」味の素
  3. ^ 鈴木忠治, 「昭和16年度通常総会に於ける会長挨拶」『電氣化學』 1941年 9巻 6号 p.159-160, , doi:10.5796/denka.9.159
  4. ^ 鈴木忠治(読み)すずき ちゅうじコトバンク
  5. ^ 公職追放の該当事項は「昭和電工社長朝鮮電工社長」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、598頁。NDLJP:1276156 
先代
二代目鈴木三郎助
鈴木商店(味の素)社長
第2代:1931年 - 1940年
次代
三代目鈴木三郎助
先代
森矗昶
昭和電工社長
第2代:1940年 - 1945年
次代
森曉