鈴鹿野風呂

1887-1971, 俳人。本名は登。

鈴鹿 野風呂(すずか のぶろ、1887年4月5日 - 1971年3月10日)は、俳人。本名・登。

京都生まれ。鹿児島第七高等学校造士館 (旧制)を経て、1916年京都帝国大学文学部国文科卒。高濱虚子に師事、「ホトトギス」同人。大学卒業後、鹿児島の川内中学校(現・鹿児島県立川内高等学校)教諭となる。1920年京都に戻り、大日本武徳会武道専門学校 (旧制)の教授となる(戦後、同校最後の校長に就任)。「京大三高俳句会」を母体として日野草城らとともに「京鹿子」創刊。同誌はのちに野風呂が主宰となり、関西におけるホトトギス派の中軸となっていった。俳諧活動の傍ら学校でも教鞭をとり、戦後は大阪成蹊女子短期大学教授を務める。1968年京都市文化功労者。句集に『野風呂句集』『浜木綿』 『俳諧大矢数』ほか多数。1971年に83歳で死去した。「京鹿子」発行所でもあった生家は現在は京鹿子社により野風呂記念館として運用されている。

参考文献 編集

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