鉄道の歴史(てつどうのれきし)では、鉄道の創始以来の主要な歴史について述べる。

目次

概要編集

 
蒸気機関車サラマンカ号(1812年)

18世紀後半より、イギリスでは、蒸気機関を中心とする産業技術上の変革、すなわち「産業革命」とよばれる変化が経済の諸方面に多大な影響をおよぼし、社会生活の様相を根本的に変えていった。産業革命は人間や物資の移動手段にも変革をもたらした。綿工業は機械化され、そのために大量の物資の輸送が必要となって道路運河の建設・整備を不可欠としたが、とりわけ蒸気機関車鉄道蒸気船の登場は単に輸送時間を短縮して輸送量を増大させたのみならず、石炭蒸気という新しい時代のおとずれを人びとに印象づけた。鉄道はまた、遠隔地に新産業の成果を運び、時刻表を通して各地の時間を中央に結びつけた。

イギリスで最初に旅客輸送をおこなった鉄道は、1807年に開業したウェールズ地方のオイスターマス鉄道で、既存の路面軌道を用いた馬車鉄道であった。1804年リチャード・トレビシックが、世界初の軌道上を走る蒸気機関車を製作した。最初の商業的に成功した蒸気機関車は、1812年に製作されたサラマンカ号(The Salamanca)で、ラック・アンド・ピニオン式の機関車であった。その後も蒸気機関車は改良が重ねられ、ジョージ・スチーブンソン1814年、初めてフランジが1方向のみである車輪を用いた機関車を開発した。1821年 イギリスのヘンリー・ロランソン・パーマーによりモノレールが考案され、1825年には、世界初の鉄道としてストックトンダーリントンを結ぶストックトン・アンド・ダーリントン鉄道が開業した。以後、欧米各地で鉄道の建設が活発になり、1827年アメリカ合衆国1832年頃にフランス1835年にはドイツでも鉄道が開業した。ただし、ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道は、運賃を定めて毎日定期的に運行する商業運転はおこなわず、線路もまた一般に公開され、通行料金さえ支払えばだれでも機関車や鉄道馬車を乗り入れることができた[1]

1830年に開業したイギリスのリバプール・アンド・マンチェスター鉄道は工業都市マンチェスターと貿易港リヴァプールの間を蒸気機関車が走り、時刻表をともない定期運行する世界初の営利事業としての鉄道である[2][3][注釈 1]馬車とちがって季節天候に左右されず、大量、迅速かつ確実に輸送し、移動することのできる鉄道は交通事情を一変させた(交通革命)。この鉄道を走る機関車を公募で選んだところ、5件の応募があり、ジョージ・スチーブンソンの機関車が採用された[2]。機関車製造の技術者であり、鉄道会社の主任技師、そして経営者でもあったスチーブンソンは、各鉄道の接続のためにはすべての鉄道が同じゲージ(軌間)であるべきだと主張し、そして実際、1,435ミリメートルの軌間が採用された[2]。これが、今日でいう「標準軌」となっている。

1830年代後半から始まったこの鉄道網の整備は、「鉄道狂時代」と呼ばれる投資熱を生み出す一方、新たな旅行文化をもたらした。禁酒論者であったイギリスのトーマス・クックは、1843年に世界最初のパッケージツアーを考案して事業化し、大きな成功をおさめて「近代ツーリズムの父」と呼ばれる。近代ツーリズムは欧州各地を経て世界各地に急速に広がる一方、対象地域を拡大して利害関係者を増大させ、マスツーリズムを生み出すなど旅行形態の多様化が進んだ[4]

初期の鉄道建設には、地域的にみて大きな偏りがあった。1850年には、西洋諸国では4万キロメートル弱の鉄道が開業していたものの、アジアラテン・アメリカアフリカの地域では全部合わせても約4,000キロメートルの鉄道しか有しなかった[3]

19世紀中葉にあっては、ヨーロッパの工業化が飛躍的に進み、各国は先行するイギリスに対抗しながら殖産興業を進展させていった。諸国の経済はこうして相互に連関しあうようになり、世界的な資本制が形成されていった。鉄道は大量の人や物資の移動を可能にし、こうした状況に対応して、多くの国が共通の関心をもつ事象について共同処理する機関ががつぎつぎに設立された。1865年に設立された万国電信連合は世界最古の国際機関といわれ、1874年には万国郵便連合が設立された。赤十字国際委員会が組織されたのも1863年のことである。

北アメリカ大陸を横断する鉄道を建設しようという考えは合衆国で鉄道が実用化された当初から存在していたが、同時に新聞社説などでは批判の対象ともなっていた[5]。これが、1848年メキシコからのカリフォルニア割譲、1850年カリフォルニア州成立によって事情が一変した[5]1853年アメリカ連邦議会アメリカ陸軍省に対して15万ドルの予算を支出し、どのルートが最も適切であるのかを調査させた[5]。その結果、南部に1本、北部に1本、中央には1本以上が可能であると報告された[5]1854年成立のカンザス・ネブラスカ法も、元来はシカゴを起点とする中央部の大陸横断鉄道建設を目標としたものであった[5]1862年ユニオン・パシフィック鉄道会社が創立され、ネブラスカ州からカリフォルニアまでの鉄道建設が議会によって認可され、一方、カリフォルニア州ではサクラメントを起点にセントラル・パシフィック鉄道が東に向けて鉄道を建設することとなった[5]

 
開業当時(1874年)の横浜駅(3代目歌川広重画)

日本も明治維新後は殖産興業政策を推し進めていった。日本の鉄道建設は伊藤博文大隈重信の熱心な主張で始まり、政府は建設費にあてるため100万ポンドの外国債をイギリスで募集した。工部省によって京浜間の測量が始まったのは1870年3月、日本の鉄道開業1872年(明治5年)、新橋横浜(現、桜木町駅)間においてであった。1885年の工部省廃止後の鉄道事業は内閣直属となった。1890年前後になると東海道線の新橋・神戸間や日本鉄道上野青森間が全通した。また、1890年代から1900年代には、京都市はじめ大都市では都市内の交通機関として市街電車が開通した。

1880年、西洋諸国の鉄道線路は延長35万キロメートルに達したが、他地域ではすべて合わせても3万5,000メートルにすぎなかった[3]。しかも、その割合はイギリス人インドで建設したものが多くを占めた[3]。インドでは1853年にアジア初の鉄道が開業している。中国大陸初の鉄道は1876年のことであるが、これはヨーロッパ人によって建設されたものであり、しかも翌年清国政府によって破壊されてしまった[3]。したがって、1880年段階では清帝国はわずか1本の鉄道も保有していなかった[3]ペルシア初の鉄道1888年にようやく建設され、首都テヘランとそこから約10キロメートル南のイスラーム聖地を結んだもので、ベルギーの会社によって建設されたものであった[3]。このように、欧米における鉄道普及とそれ以外の地域のそれとでは大きな格差があったが、自国で鉄道建設を進めた日本は、アジアのなかにあっては例外的な存在といえる[3]

以下は、各年次ごとの世界の大陸別鉄道の延長距離であり、単位は1,000キロメートルである[6]

年代 世界 ヨーロッパ アメリカ アジア アフリカ オーストラリア
1870 210 105 93 8 2 2
1880 372 169 175 16 5 8
1890 617 224 331 34 9 19
1900 790 284 402 60 20 24
1910 1,030 334 526 102 37 31
1913 1,102 347 567 108 44 36
1870-1900の増加分 580 179 309 52 18 22
1900-1913の増加分 312 63 165 98 24 12

19世紀後葉から20世紀初頭にかけては、世界システム論が唱える「世界システム」の「周辺」地域での鉄道建設がめざましいことが、上の表からもうかがわれる[注釈 2]。たとえば、メキシコでは1876年には650キロメートルだったものが1911年の鉄道総延長は2万4,000キロメートルに達し、その増加率は37倍にもおよんだ[7]

中国においても、1900年には470キロメートルにすぎなかったものが、1913年には21倍の9,858キロメートルへと21倍に急増したが、これは列強が競って鉄道建設の利権を求めた結果であった[7]。そして、これは単に鉄道敷設権だけではなく、鉄道沿線地域での資源の開発や独占を可能にする鉱業特権・採掘権、関税ほか租税における免税特権、場合によっては治安維持のための警察権・駐兵権などをもともなっており、この国の半植民地化をむしろ推進させたのである[7]。そして、鉄道建設は沿線農民の田畑墓地を破壊し、伝統的な運送業者の仕事を奪い、さらに輸入された外国産の繊維製品はじめ工業製品は、伝統的な手工業者のしごとを圧迫した[7]。こうした国内に所在する外国経営の鉄道への反感が排外主義として現れることも少なくなく、1900年の北清事変(義和団の乱)でも、義和団は西洋人や中国人キリスト教信者、舶来物を扱う商店、電線などとともに鉄道も攻撃対象として襲撃した[7]。日本もまた、日露戦争後のポーツマス条約1905年)で長春以南のロシア東清鉄道南部支線を獲得し、戦争中に清国の抗議を退けて臨時軍用鉄道監部が建設した安東(現、丹東)・奉天(現、瀋陽)間の軍用軽便鉄道安奉線)とあわせて1907年設立の南満州鉄道会社(通称、満鉄)の経営下に置かれた[8][注釈 3]

 
1870年当時のインドの鉄道敷設状況

英領インドではすでに1850年代に鉄道建設ラッシュが始まり、20世紀初頭には総延長4万キロメートルに達し、これはアメリカ合衆国、カナダロシア帝国につぐ世界第4の距離であった[7]インド亜大陸で急速に鉄道交通が発展したのには、デカン高原など比較的平坦な高原状の地形が広がっていることやガンジス川を除くと乾季河川での舟運がほとんど不可能になること、大量の貨物の輸送には不向きな道路事情などの理由が考えられる[7]。鉄道建設はしたがってインドに新しい生活様式と近代産業の勃興を生み出すものと一部では期待されたが、実際には必ずしもそうならなかった[7]。鉄道は内陸で生産された綿花、小麦ジュートアヘンなどをムンバイ(ボンベイ)、チェンナイ(マドラス)、コルカタ(カルカッタ)などの輸出港に運び、外国とくにイギリスからの輸入品を内陸各地に輸送するために建設された[7]。したがって、インドにまとまりのある国内市場をつくることには寄与せず、その一方で、鉄道会社は経費節減等のため路線ごとに異なるゲージ(軌間)を用いたので、国内市場はむしろ分断されたのであった[7]。また、ロンドン金融市場で募集されたインド鉄道債には通常より高い利子率がインド帝国政府によって保証され、その利子は鉄道が赤字であってもインド人の支払う税金によって支払われた[7]。さらに、インド農業は自給目的の食糧生産を中心とするものから次第に輸出用の商品作物生産にシフトしてきたので、いったん不作になると、しばしば深刻な飢饉に襲われた[7]。総じて、インドの鉄道はインド経済を低開発状態のままに固定する役割を果たしたのである[7]。もとより、鉄道が道路事情のわるいインドに交通革命をもたらしたのも事実であり、都市巡礼地にはインド各地から多くの人びとが流入した[7]。しかし、鉄道会社における人びとの職種や列車における客室の等級などにおいては、人種的な差別がインド人同士のカースト間の差別よりもいっそう露骨で明瞭なかたちをとったのであり、インドにおける反英運動が鉄道建設と同時に始まったのは必ずしも偶然ではなかった[7]

 
レオポルドヴィルに到着した最初の蒸気機関車(1898年)

アフリカは、鉄道の普及に関しては他大陸と比較していっそう遅れていた。ただし、19世紀後葉にはエジプトアルジェリアなど植民地化が比較的早く進んだ北部アフリカや鉱産資源の豊富な現在の南アフリカ共和国の地域(ケープ植民地オレンジ自由国トランスヴァール共和国など)では鉄道建設が始まった[7]。しかし、1880年代以降ヨーロッパ人が殺到したサハラ砂漠以南の熱帯アフリカでは、たとえ有望な鉱産資源が見つかっても鉄道建設にすぐに結びついたわけではなかった[7]。吸血性のツェツェバエアフリカ睡眠病を媒介するため荷物運搬用の大型役畜を用いることができず、荷物を運ぶには人力に拠るしかなかったからである[7]。もっぱら人力に頼るこのような交通事情を克服するために着手された鉄道建設に際しても、最初、すべての資材・機材の運搬を人力に頼らざるを得ないというディレンマに陥った[7]。ベルギー王レオポルド2世の私的植民地であったコンゴ自由国では、1890年マタディ・レオポルドヴィル鉄道の建設に着手し、建設労働者の多くは険しい地形やマラリア赤痢などの感染症脚気などで命を落とし、やがてアフリカ各地、カリブ海沿岸地域、中国などからも人夫を集めたが、暴動が起こったり、逃亡する者や病死者が相次いだりして建設は遅々として進まず、ようやく8年後の1898年に完成している[7][注釈 4]。これは一例であるが、このように現地の人びとの多大な犠牲のもとに建設された鉄道も、内陸部に大都市のほとんどない熱帯アフリカ各地にあっては旅客輸送で収益をあげることができず、ヨーロッパ人による資源の収奪に役立つのみであり、アフリカ人自身にはほとんど恩恵をもたらさなかった[7]

鉄道技術の歴史年表編集

ここでは、主要な項目を列挙し、詳細は別にゆずる。

  • 馬車道上の切石を用いた軌道を牽引される最初の車両は、少なくとも2000年前にギリシャ、マルタとローマ帝国の一部に登場した。
  • 16世紀半ば 木製のレールが使用されはじめる。
イギリスの炭鉱で車の轍(わだち)のあとに丸太を設置して、その上に車を走らせた。また、ドイツの鉱山でも木製レールが使用され、ポイント(分岐)も備えていた。
鉱山などで鉄製のレールを使った運搬が行われた。馬や人の力で運搬する。
  • 19世紀初頭 蒸気機関を用いた鉄道の研究・開発がはじまる。
トレビシック1804年に鉄製レール上を走る蒸気機関車の走行に成功したが、この頃は馬車鉄道用のもろい鋳鉄レールを使用していたため線路が折れやすく、本格的な実用化までには至らなかった。その後、ナポレオン戦争による軍馬の需要の増加で馬の価格が高騰し、運搬の代替手段としてレールと蒸気機関車を用いた鉄道の研究が一段と進んだ。
イギリスのストックトン・ダーリントン間を結ぶ鉄道が開業した。これが世界初の商用鉄道とされている。以後、欧米各地で鉄道の建設が活発になり、1827年にアメリカ、1832年頃にフランス、1835年にドイツで鉄道が開業した。また、当時、イギリスの植民地化が進んでいたインドでも1853年に鉄道が開業した。
蒸気機関車を用いた地下鉄。
ベルリン博覧会で公開運転を行った。
東京・新大阪間4時間運転。1年ほどの後の1965年11月1日には所要時間が3時間10分になった。

鉄道建設の歴史年表編集

ここでは、世界各地域の主要な項目を列挙し、詳細は各地域の鉄道の説明にゆずる。

イギリスで初めて登場した鉄道は、すぐにその有用性が認められ、北アメリカヨーロッパ各地でも鉄道建設がはじまった。地域によっては猛烈な勢いで総延長距離を伸ばす時期もあり、鉄道狂時代あるいは鉄道建設狂時代と呼ばれる時期もある。たとえば、アメリカの場合、1880年代頃から年間1万kmのペースで鉄道が敷設され、1920年頃までに総延長は40万kmにも達した。

また、19世紀半ばには、当時進行していたヨーロッパの植民地政策と歩調をあわせるようにヨーロッパの影響の大きい地域から鉄道が敷設されていった。インド英領インド帝国)や中近東でも比較的早い時期から鉄道の建設が始まっている。

日本でも明治時代の1870年代に入って鉄道の建設が始まり、遅れて中国)や朝鮮半島大韓帝国)でも鉄道建設が活発化した。ロシアロシア帝国)からもシベリア鉄道の延長が進み、20世紀初頭には極東地域とも結ばれるようになった。

19世紀前半編集

イギリスのストックトンダーリントン間を結ぶ鉄道が開業した。
  • 1830年 アメリカ初の鉄道開業
ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道。1846年にはアメリカの代表的な鉄道会社の一つであるペンシルバニア鉄道が開業した。
リヨンサン=テティエンヌ間。なお、馬車鉄道はそれ以前から存在した。フランスでは1842年頃から鉄道建設が活発化した。
ニュルンベルク - フュルト 間。
1840年代頃からイギリスで鉄道の建設が一段と活発化した。アメリカでも1848年に西部のカリフォルニア州がアメリカ領となり、同時期にはじまる金採掘ブーム(ゴールドラッシュ)を機に鉄道建設が一段と活発化した。

19世紀後半編集

  • 1850年代 中近東地域で鉄道が開業。
ヨーロッパ列強の中近東地域進出とともにこの地域でも鉄道が建設されるようになった。1855年にエジプト初の鉄道が登場した。イギリス資本で建設され、アレクサンドリアカイロ間を結んだ。1858年にはカイロ・スエズ間が開通した。この頃、スエズ運河の建設の動き(こちらはフランス資本)も進行している。また、1858年にはトルコオスマン帝国)初の鉄道(イズミル・セイディキョイ間)が開業した。
  • 1850年代後半 南米で鉄道が開業。
中米のパナマでは1850年からパナマ・コロン地峡横断鉄道の建設が始まり、1855年に完成した。
ボンベイターネー間。当時、インドはイギリスの植民地化が進みつつあり、イギリスの資本で鉄道が建設された。インドの鉄道アジアでは最初のものであった。
オセアニア初の鉄道となる。
アメリカの東海岸と西海岸が結ばれた。開通より少し前の1865年頃(当時、南北戦争の時代でもある)には、アメリカではすでに約56,000kmの鉄道網があったという記述も見られる。
新橋横浜間を結んだ。日本では、1854年にペリーが蒸気機関の鉄道模型を紹介し、その後、明治時代に入ってイギリスの指導で鉄道の建設が始まった。旧新橋駅は現在の汐留にあり、昭和時代には広大な貨物ターミナル駅があったが現在は高層ビル群となっている。また、旧横浜駅は現在の桜木町にあり、現在の横浜駅はまだ海で、沖に堤が築かれ線路が敷設されていた。
  • 1876年 中国にも鉄道が敷設される。
イギリスが上海呉淞間に鉄道を敷設するが反対運動で撤去された。1880年代には欧米列強による鉄道建設が本格化した。
ロシアがコーカサス鉄道を建設し、1887年にはサマルカンドに達した。
  • 1880年代 日本、各地で鉄道の建設が進む。
北海道四国九州にも初の鉄道が敷設された。また、1889年には東海道線(新橋・神戸間)が全通した。
以後、世界各地で建設。ドイツ・ブッパータール懸垂式モノレールヴッパータール空中鉄道)は1901年に開業。
  • 1888年 ドイツがアナトリア(トルコ)鉄道の建設を開始。
1893年に開通した。また、1899年にはバグダート鉄道敷設権を獲得し、イラク地方への鉄道建設を進める。バクダード鉄道敷設権の獲得は、ヨーロッパの植民地主義政策(3B政策3C政策)でしばしば取り上げられる項目である。→ヒジャーズ鉄道
露仏協商によりフランス資本を導入して進められ、日露戦争の頃の1905年に開通した。また、これより前の1901年には、シベリア鉄道が中国の東清鉄道と結ばれた。
初の電化式地下鉄。以後、西欧や北米を皮切りに世界の各都市で地下鉄建設が進行。
  • 1896年 スイスで世界初の交流電化鉄道が開業。
その後の開発は難航し、高速運転の実用化は1950年代以降。
  • 1899年 韓国初の鉄道開業。
鷺梁津(現・ソウル特別市・鷺梁津)と濟物浦(現・仁川広域市)を結ぶ京仁鉄道が1899年創業した。最初はアメリカ人が朝鮮より鉄道敷設権を得て着工したが、途中で日本人の合資会社が敷設権を引受、完成した。

20世紀前半 編集

釜山と京城(現・ソウル)間を結ぶ京釜線が完成した。日本の資本によるもので、日露戦争が背景にあった。
  • 1910年 アルゼンチンとチリを結ぶトランス・アンデス鉄道が開通。
南米は北米に続いて2つ目の横断鉄道が開通した大陸となる(現在は廃線)。
  • 1916年 シベリア鉄道のロシア国内部分が完成し、全面開通。
  • 1917年 アメリカで鉄道の総延長距離が40万kmを超えピークに。
この頃がアメリカにおける鉄道の最盛期で、その後、次第に成長してくる自動車に押されることになった。
  • 1917年 オーストラリアで初の大陸横断鉄道が開業。
イギリスの直轄植民地時代に建設された規格がまちまちで、特に軌間が異なる各州境では台車交換が必要だった。大陸の東西が標準軌で結ばれたのは1969年。

20世紀後半編集

全線が超高速運転用の新幹線規格で建設。0系は最高時速210kmを記録し、営業運転の世界最高速度を大幅に更新。
新交通システム(AGT方式)では日本初の営業路線。以後、同種の軌条式中量輸送機関の建設が世界各国で進行。
最高時速260kmで新幹線を上回る。以後、世界各国での超高速鉄道開発競争が進行。
シベリア鉄道の北方、より酷寒の悪条件の地域に建設、全長約4300km。
バーミンガムで空港と駅を結ぶ交通機関として開業。最高時速54km。1995年廃止。
全長53.85km、うち海底部分は23.30km。最深部は海抜マイナス240m(海底下100m)で、当時世界最長の海底トンネル。
全長50.5km、うち海底部分は37.9kmで、海底部分の延長では世界最長。

21世紀編集

世界初の超高速磁気浮上式鉄道の営業路線。最高時速430km。
最高地点は唐古拉峠の海抜5072m、最高標高駅は唐古拉駅の海抜5068m と、世界で最も高い所を走る鉄道。

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ アメリカ合衆国(とくに南部)やインドから汽船でリヴァプールの港に運ばれた綿花は、鉄道によってマンチェスターに運ばれ、綿製品に加工され、今度はリヴァプール港から世界各地に輸送された。
  2. ^ 「世界システム論」は、アメリカの社会学者イマニュエル・ウォーラステインが提唱した巨視的歴史理論。それによれば、「世界システム」とは、一つの国家や民族の枠組みを超えて展開する単一の分業体制「世界経済」で、中央中核)・半周辺・周辺(周縁)の三要素から構成され、この三要素には流動性がある、とする。木谷(1997)pp.20-23
  3. ^ 南満州鉄道は、1911年完成の鴨緑江橋梁によって日本領朝鮮とも直結して一貫輸送体制が整備され、また、同年には日本国有鉄道(国鉄)がロシア帝国とのあいだに国際鉄道連絡運輸を開始したので、日本とアジア大陸とのあいだで連絡輸送体制が成立し、シベリア鉄道経由でヨーロッパに旅行することも可能となった。海野(1997)p.141
  4. ^ マタディコンゴ川河口近くの河港、ベルギー国王の名を冠したレオポルドヴィルはコンゴ自由国の首府で現在のキンシャサである。この鉄道の建設工事では1,800人もの労働者が命を落としたと記録されており、それにはヨーロッパ人技師や工夫頭の132人は含まれていない。苛酷な建設工事のようすはジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』に描かれている。建設現場では一時6万人もの労働者が運搬人などとして働いていたといわれる。木谷(1997)pp.36-38

出典編集

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集