銚子 利夫(ちょうし としお、1961年8月24日 - )は、茨城県神栖市出身の元プロ野球選手内野手)。

銚子 利夫
法政大学野球部 助監督
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県神栖市
生年月日 (1961-08-24) 1961年8月24日(58歳)
身長
体重
179 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1983年 ドラフト1位
初出場 1984年4月6日
最終出場 1993年6月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

学生時代には、銚子市立銚子高等学校法政大学野球部で活躍。高校生時代には、自身の苗字と校名が同じことにちなんで、「銚子高校の銚子君」と呼ばれた。現役引退後は指導者となり2020年2月から、法政大学野球部の助監督を務めている[1]

来歴・人物編集

野球を始めたのは実兄(市立銚子高-早大で野球部)の影響で、最初は内野手だったが、銚子市立銚子高等学校2年時の秋に投手へ転向。翌1979年第61回全国高等学校野球選手権大会には、エース兼4番打者として、チームを初めて甲子園球場での全国大会出場に導いた(結果は初戦で敗退)。

高校3年時の1979年NPBドラフト会議近鉄バファローズから投手として4位で指名されたものの、入団を固辞したうえで法政大学へ進学。進学後に内野手へ再び転向した。3年時(1982年)には、東京六大学野球の春季リーグ戦で首位打者のタイトルを獲得。(2019年秋季終了時点で)チーム史上唯一のリーグ戦全勝(10勝)優勝に貢献したほか、後に進出した全日本大学野球選手権でも優勝を経験した[2]。在学中には、リーグ戦で通算49試合に出場。打率.305(174打数53安打)、4本塁打、35打点という成績を残したほか、三塁手としてベストナインに3度選ばれた。野球部での同期に小早川毅彦坂本桂一、1学年先輩に木戸克彦西田真二[2]、2学年先輩に川端順池田親興などがいる。

1983年のNPBドラフト会議で、横浜大洋ホエールズから1位指名を受けたことを機に入団。応援歌は、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』の劇中歌「時間通りに教会へ」より採譜された。

1988年三塁手のレギュラーに定着すると、一軍公式戦で自己最多の125試合に出場するとともに、三塁手としての失策数をわずか3個にとどめた。しかし、ゴールデングラブ賞セ・リーグ三塁手部門には、読売ジャイアンツ原辰徳(126試合の出場で10失策)が選ばれた。大洋ファンのやくみつる(はた山ハッチ)は、当時この件を自身の4コマ漫画で取り上げた。

もっとも、正三塁手として活躍したのは古葉監督時代の1988~89年だけで、1990年須藤豊監督が就任して清水義之が台頭してからは一軍公式戦での出場機会が減少。1992年長内孝との交換トレードで大学の先輩・山本浩二監督率いる広島東洋カープに移籍したものの、1993年限りで現役を引退した。同年には長内も引退したため、翌1993年年に、長内と再び入れ替わる格好で横浜ベイスターズ(この年にチーム名を横浜大洋ホエールズから改称)のコーチに就任。横浜球団では2009年まで、二軍(湘南シーレックス)のコーチ、編成担当、スカウトなどを務めた。

横浜ベイスターズを退団した当初は、焼肉店の開店を目指していた。後に断念を余儀なくされたため、2011年からは、「ブリッジ」(広島県福山市に本社を置く自動車輸入販売会社)で関東地区のエリアマネージャーを務めていた[3]。その一方で、2011年から2019年までは、東京六大学で同期である堀井哲也監督(慶大出身)のJR東日本硬式野球部を指導。当初は外部スタッフ(守備・走塁アドバイザー)として携わっていたが、後にコーチへ正式に就任した[2]。その間には、2014年1月20日付で日本学生野球協会から学生野球資格の回復を認定。同協会へ加盟する高校・大学の硬式野球部でも指導できるようになった[4]

2020年2月から、法政大学野球部の助監督に就任。同部に所属するのは大学4年時(1983年)以来37年振りで、助監督への就任を機に野球部第二寮での生活を始めている[2]

詳細情報編集

年度別打撃成績編集

















































O
P
S
1984 大洋 56 108 104 8 15 2 0 1 20 3 1 0 1 0 3 0 0 17 1 .144 .168 .192 .361
1985 51 23 20 5 1 1 0 0 2 1 0 1 0 0 2 0 1 3 1 .050 .174 .100 .274
1987 8 24 23 1 7 0 0 0 7 0 0 0 1 0 0 0 0 5 1 .304 .304 .304 .609
1988 125 480 425 44 115 12 1 0 129 23 6 4 30 0 20 0 5 59 4 .271 .311 .304 .615
1989 114 453 402 43 113 30 0 2 149 26 8 4 28 1 18 0 4 53 10 .281 .318 .371 .688
1990 37 77 61 7 17 1 1 0 20 2 0 1 4 0 12 2 0 15 0 .279 .397 .328 .725
1991 18 38 34 4 7 3 0 0 10 3 0 0 2 0 2 0 0 7 3 .206 .250 .294 .544
1992 広島 13 9 7 1 1 0 0 0 1 0 1 0 0 0 2 0 0 4 0 .143 .333 .143 .476
1993 11 13 12 0 2 0 0 0 2 2 0 0 1 0 0 0 0 2 0 .167 .167 .167 .333
通算:9年 433 1225 1088 113 278 49 2 3 340 60 16 10 67 1 59 2 10 165 20 .256 .300 .313 .612

記録編集

背番号編集

  • 22 (1984年 - 1986年)
  • 9 (1987年 - 1993年)
  • 90 (1994年 - 2006年)

出典編集

関連項目編集

外部リンク編集