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錦織 淳(にしこおり あつし、1945年7月30日 - )は、日本弁護士政治家。元衆議院議員(1期)。島根県出雲市(旧平田市)出身。

錦織 淳
にしこおり あつし
生年月日 (1945-07-30) 1945年7月30日(74歳)
出生地 島根県出雲市(旧平田市
出身校 東京大学法学部卒業
前職 日本弁護士連合会常務理事
現職 弁護士
所属政党無所属→)
新党さきがけ→)
民主党
称号 学士(法学)
公式サイト 錦織・深山法律事務所

日本の旗 首相補佐(法制化前)
内閣 村山内閣
在任期間 1994年10月14日 - 1996年1月11日

選挙区 島根県全県区
当選回数 1回
在任期間 1993年 - 1996年
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概要編集

島根県立出雲高等学校及び東京大学法学部卒業。司法修習24期、26歳で弁護士となり、日本弁護士連合会常務理事などを歴任。その間に水俣病などの公害訴訟などを手がけた。

1993年第40回衆議院議員総選挙に無所属で故郷の島根県全県区から出馬、途中で新党さきがけの公認を得て初当選した。1994年村山内閣が成立すると、1年生議員ながら首相補佐に就任。

1996年に新党さきがけが分裂した際、錦織は参院初当選間もない水野誠一と共にさきがけに残留した。同年、小選挙区制導入後初の衆院選である第41回衆議院議員総選挙では島根2区から出馬したが、自由民主党で元首相の竹下登に敗れ、落選。1998年民主党の誘いを受け、同党に入党する。2000年第42回衆議院議員総選挙では再び島根2区から出馬。自民党は引退した竹下登元首相の弟・を擁立した。投票日直前に竹下登が急逝したため保守王国・島根では竹下に同情票が集まり、錦織はダブルスコアの大差で竹下に敗れ、再び落選。2001年第19回参議院議員通常選挙では比例区から出馬したが、またも落選した。その後は弁護士として諫早湾の干拓反対訴訟に関与していた。

2003年第43回衆議院議員総選挙では選挙区を東京17区に移したものの、自民党の平沢勝栄に大敗。2005年第44回衆議院議員総選挙でも落選したため、2006年2月に政界引退を表明した[1]。政界引退後は日本女子プロ将棋協会の設立に尽力し、同協会の顧問弁護士も務めた。

人物編集

脚注編集

  1. ^ 東京17区は葛飾区議会議員の早川久美子が民主党公認を獲得した。
  2. ^ 錦織淳 Official Web Site 参照

外部リンク編集