長坂哲夫

長坂 哲夫(ながさか てつお、1967年1月20日 - )は元アナウンサーフジテレビ記者。

ながさか てつお
長坂 哲夫
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 東京都渋谷区
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1967-01-20) 1967年1月20日(51歳)
血液型 O型
最終学歴 早稲田大学法学部
勤務局 フジテレビ
部署 編成局アナウンス室(1990年4月 - 2009年7月)
総務局(2009年7月 - )
報道局(2016年 - 現在)
活動期間 1990年 - 2009年
(アナウンサーとして)
ジャンル スポーツ実況
配偶者 あり
出演番組・活動
過去 #アナウンサー時代の出演番組を参照

目次

来歴・人物編集

東京都渋谷区出身。身長175cm。東京都立戸山高等学校1990年3月、早稲田大学法学部卒業後、同年4月、アナウンサーとしてフジテレビに入社。

在学時代は企画サークルとも〜るに所属し、同期は、吉田伸男大坪千夏松井みどり

早朝番組のキャスターを経て、主にスポーツ中継(野球、サッカー、K-1など)を担当した。

サッカー日本代表の試合をフジテレビで中継すると負けない」(勝利か引き分け)という不敗神話が生まれ、1997年11月16日FIFAワールドカップフランス大会出場をかけたプレーオフイラン戦(ジョホールバルの歓喜)の中継がフジテレビの担当となり、不敗神話の全試合を実況していたのが偶然にも長坂だったため、この試合の実況担当となった。岡野雅行が日本代表のワールドカップ初出場を決めるVゴールを決めた時の、「日本、勝った!」という声を裏返しながらの実況は、このシーンが流れたときによく耳にする。また、2002年ワールドカップ日韓大会で初勝利を挙げたロシア戦でも実況を務めた。

テレビ朝日がAFC主管試合の独占放送権を獲得したこともあり、フジテレビが日本代表戦を中継することが激減したため、彼が実況をする機会は少なくなっていたが、2008年1月26日キリンチャレンジカップのチリ戦で約2年半ぶりに日本代表戦の実況を担当した。

1995年からF1グランプリの実況を担当し、2000年2001年には日本グランプリの実況を務めた。2000年には全17戦中10戦と半分以上のレースの実況を担当するなど活躍していたが、2003年からのF1中継の放送体系に不満があって、2002年を最後に実況を離れた(フジテレビ739の「フジアナスタジオ まる生」より)。

2007年からCSのF1中継で実況復帰し、2008年に、2003年からF1中継のプロデューサーを務めていた渡邉信治(上記の不満の原因。番組をバラエティー方向に演出した)がスタッフから離れたこともあり、地上波のF1中継の実況にも復帰した。

2008年、北京オリンピックでは柔道野球の実況を担当。

2009年7月、コンフェデレーションズカップ中継のため南アフリカに滞在中、日本人の女性スタッフにセクシャルハラスメント(強制わいせつ)行為をしたとして(ねつ造説も叫ばれている)[要出典]、編成制作局アナウンス室副部長職を解任され平社員へ降格すると共に総務局付への異動となる懲戒処分を受けた。関連の上司6人も減俸処分を受けた。酒の飲み過ぎによるトラブルで起こったことと言われているが、この件について豊田皓社長は「まことにお恥ずかしい限りで管理責任を感じている」と定例会見で謝罪した。一部で、出世争いの同学閥の足の引っ張り合いとの見方もある。[要出典]

人事異動にて、総務局総務サービスセンター総務サービス部長へ異動[1]。その後、2016年の人事異動にて、報道局社会部に異動。2018年時点で、気象庁担当の記者職となっている[2]

出演番組編集

アナウンサー時代編集

脚注編集

関連項目編集