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長寿寺(ちょうじゅじ)は、愛知県名古屋市緑区大高町にある臨済宗寺院山号は鷲頭(わしず)山。本尊阿弥陀如来知多四国八十八箇所の第87番札所[1]

長寿寺
本堂
本堂
所在地 愛知県名古屋市緑区大高町字鷲津山13
位置 北緯35度4分6.2秒
東経136度56分30.9秒
座標: 北緯35度4分6.2秒 東経136度56分30.9秒
山号 鷲頭山
宗旨 臨済宗
宗派 永源寺派
本尊 木彫阿弥陀如来坐像
創建年 不明
開山 越博紹付
開基 長寿院元操尼
中興年 元禄2年(1689)
中興 道雲石梯
正式名 鷲頭山 長寿寺
札所等

知多四国八十八ヶ所霊場87番

知多西国三十三所霊場26番
法人番号 9180005001810
長寿寺 (名古屋市)の位置(日本内)
長寿寺 (名古屋市)
長寿寺 (名古屋市)の位置(愛知県内)
長寿寺 (名古屋市)
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沿革・歴史編集

当寺の草創の年代は不明である。当時は真言宗に属し鷲巣山長祐寺と呼ばれていたが、永禄3年(1560)桶狭間の戦いの際、鷲津砦の兵火で焼失[1]

江戸時代になり大高領主志水忠継の母である長寿院元操尼の遺命により延宝8年(1680)、当地に愛知県春日井郡三淵村(現在の小牧市の一部)にあった、紫金山慈眼寺(臨済宗黄檗派)を移し、その慈眼寺を開山した越博紹付を迎え、当寺の開山とした[2]

天和2年(1682)に伽藍を竣工し再興。このとき寺号を長寿寺、宗派を黄檗宗に改めた。その後当寺は一旦中絶したが元禄2年(1689)、臨済宗興聖寺派の大本山である興聖寺から道雲石梯が訪れ中興開山した。後に元禄4年(1691)、臨済宗永源寺派に再び改宗した[2]

なお、当寺は前述のとおり志水氏の菩提寺として、江戸時代には同氏一族の占有となっていたため、一般の檀家は少数である。また、寺域内には志水氏の9代から14代までの墓がある[2]

文化から文政年間(1804から1829頃)にかけて、知多四国八十八ヶ所霊場の87番札所として弘法堂が設けられた。

江戸時代末期から明治時代初期にかけて刊行された尾張国地誌尾張名所図会」に当寺の記述が境内の俯瞰図とともに収録されている[3]

明治21年(1888)7月19日、火災により本堂および庫裡を焼失。この際、本尊は偶然寺の付近で東海道本線の工事をしていた作業員らにより運び出され、無事であった。その後明治31年(1898)に新しい本堂、庫裡が再建された。このとき焼失を免れ残っていた山門(鐘楼門)は大正元年(1912)の台風で倒壊し、後に再建された[2]

昭和20年(1945)3月から5月にかけての名古屋大空襲によって山門その他諸堂や蔵などを焼失。貴重な資料の多くが失われた。

これらは戦後長らく焼失したままの状態であったが、昭和54年(1979)、山門その他諸堂が再建され、現在の長寿寺が竣工した。

境内編集

  • 本堂
  • 弘法堂 - 知多四国八十八箇所の第87番札所
  • 山門(鐘楼門) - 昭和54年(1979)再建
  • 庫裡
  • 高蔵坊(こうぞんぼう)稲荷
  • 長寿寺会館 - 2階建て。葬儀や法要、地域のイベント等に使用される会館となっている

所在地編集

〒459-8001 愛知県名古屋市緑区大高町字鷲津山13

周辺編集

交通アクセス編集

ギャラリー編集

脚注編集

  1. ^ a b 現地案内石碑及び立札より. 2018年3月4日閲覧.
  2. ^ a b c d 大高町誌編纂委員会 (1960). 大高町誌. 黎明書房. 
  3. ^ 国会図書館デジタルコレクション「尾張名所図会」前編 巻6 知多郡”. 国立国会図書館. 2018年4月14日閲覧。