長崎市立長崎商業高等学校
長崎県長崎市にある高等学校
長崎市立長崎商業高等学校 (ながさきしりつ ながさきしょうぎょうこうとうがっこう, 英: Nagasaki City Nagasaki Commercial High School)は、長崎県長崎市泉町に所在する市立の商業高等学校。校舎敷地は長崎市泉町と西彼杵郡長与町高田郷にまたがっている。
長崎市立長崎商業高等学校 | |
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北緯32度48分28.9秒 東経129度52分7.5秒 / 北緯32.808028度 東経129.868750度座標: 北緯32度48分28.9秒 東経129度52分7.5秒 / 北緯32.808028度 東経129.868750度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長崎市 |
校訓 | 誠実・明朗・進取 |
設立年月日 | 1885年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
情報国際ビジネス科 (2022年4月入学生まで) 総合ビジネス科 情報科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D142210000505 |
高校コード | 42155D |
所在地 | 〒852-8157 |
長崎県長崎市泉町1125番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
長崎県、長崎市唯一の市立高等学校である。
日本で6番目、九州の商業高等学校では最古の歴史を誇る。敷地面積は県内公立学校で最大級。野球部は甲子園に出場経験がある。ソフトボール部も強豪である。略称は「長商」(ちょうしょう)。
概要
編集- 設置課程・学科
- 全日制課程
- 情報国際ビジネス科 (商業に関する学科、2004年(平成16年)4月に商業科・国際経済科・情報処理科を統合し、1学科となった。)
- 2年時より以下の分野、コースに分かれる。
- 流通ビジネス分野
- 国際ビジネス分野
- 会計ビジネス分野
- 情報ビジネス分野
- 進学コース(40名程度を選抜)
- 2年時より以下の分野、コースに分かれる。
- 情報国際ビジネス科 (商業に関する学科、2004年(平成16年)4月に商業科・国際経済科・情報処理科を統合し、1学科となった。)
2023年(令和5年)4月の学科改編に伴い、情報国際ビジネス科を募集停止し、総合ビジネス科と情報科の2学科に分かれる。
- 総合ビジネス科(200名)
- 1年次のコース
- スポーツビジネスコース(40名) ※3年次まで
- 共通カリキュラム(160名)
- 2年次からのコース
- スポーツビジネスコース(40名)
- マーケティングビジネス分野
- 会計ビジネス分野
- 国際ビジネス分野
- 進学コース
- 1年次のコース
- 総合ビジネス科(200名)
- 情報科(40名)
- 校訓
- 「誠実・明朗・進取[1]」
- 校章
- 商業学校時代の星の校章を踏襲し、商業学校時代に「商」の文字だけであったのを、学制改革で新制商業高等学校になった際に「商高」の文字(縦書きで、「高」は俗字体のはしご高)に変更した。
- 校歌
- 作詞は武田祐吉、作曲は原格太郎による。歌詞は3番まであり、1番の歌詞に「長崎商業」が入っている。
- 商業学校時代の旧校歌は、作詞が平田与七、作曲が原格太郎による。歌詞は3番まである。長崎の別名である「崎陽」や「瓊の浦(たまのうら)」が登場する。
- 長商讃歌
- 創立80周年を迎えた1969年(昭和44年)に制定。作詞は中村徹、作曲は中村佐和子による。歌詞は3番まである。
沿革
編集- 前史
- 1857年(安政4年)
- 1858年(安政5年)
- 1862年(文久2年) - 片淵郷組屋敷内の乃武館内に移転し、英語稽古所(英語所)と改称(頭取は中山門太)。
- 1863年(文久3年)
- 7月 - 立山役所の東長屋に移転し、唐通詞 何礼之助、平井義太郎が学頭となる。
- 12月 - 江戸町の元五箇所宿老会所跡(現 長崎県庁裏門付近)に移転し、「洋学所」と改称。
- 1865年(慶応元年)8月 - 新町の長州屋敷跡に移転し、「済美館」と改称。
- 語学以外にも歴史・地理・数学・物理・経済を教えていた。
- 諸藩からの留学生が多数を占めていた。
- 1868年(明治元年)4月 - 明治政府直轄となり、「広運館」と改称。
- 1871年(明治4年)11月 - 広運館が文部省の管轄となる。
- 1872年(明治5年)8月 - 学制公布に伴い、「第六大学区第一番中学」と改称。
- 1873年(明治6年)
- 1874年(明治7年)
- 1877年(明治10年)2月19日 - 文部省、経費節減のため、長崎英語学校を廃止し、建物・備品の一切を長崎県に譲渡。
- 1878年(明治11年)3月20日 - 長崎県、中島聖堂から長崎英語学校跡地に長崎準中学校[4]を移転し、旧・長崎県立長崎中学校に改称。
- 1882年(明治15年)7月1日 - 「長崎県立長崎外国語学校」と改称。
- 1884年(明治17年)4月1日 - 文部省令によって、県内の7中学[5]を廃止し、長崎外国語学校内(立山屋敷の一部)に県内唯一の「長崎県立長崎中学校」を設立[6](県立外国語学校と長崎県立長崎中学校は併存)。
- 旧制商業学校
- 1885年(明治18年)- 創立年
- 1886年(明治19年)
- 1887年(明治20年)5月 - 長崎商業徒弟学校が袋町(現 栄町)の新校舎に移転。
- 1889年(明治22年)7月 - 長崎商業学校、校舎を馬場郷伊良林に新築、移転。
- 1893年(明治26年)3月 - 長崎幼稚園[8]建設のため、長崎商業徒弟学校が廃止。
- 1901年(明治34年)5月 - 長崎市に移管、「市立長崎商業学校」と改称。
- 1919年(大正8年)11月 - 「長崎商業学校」と改称。
- 1922年(大正11年)- 修業年限を5年とし、午前午後の二部授業開始。学則を改正し、定員150名から1000名に増やす。
- 1925年(大正14年)6月 - 「長崎市立商業学校」と改称。この年、野球部が第11回全国中等学校優勝野球大会に初出場。
- 1926年(大正15年)- 野球部、2年連続で2回目の第12回全国中等学校優勝野球大会に出場。
- 1928年(昭和3年)- 創立記念日を11月5日と制定。
- 1933年(昭和8年)
- 4月 - 油木谷(現 油木町)に新校舎が完成し、移転。
- 野球部、第10回選抜中等学校野球大会に初出場。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)12月9日 - 油木谷の元校舎に復帰。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、油木谷中学校(新制中学校)が設置される。
- 1948年(昭和23年)3月31日 - 油木谷中学校が廃止される。
- 新制商業高等学校
- 1948年(昭和23年)
- 4月 - 学制改革により、「長崎市立長崎商業高等学校」(現校名、全日制課程)と改称。
- 6月18日 - 長崎市立長崎第二商業高等学校が長崎商業高等学校内に移転。
- 学校新聞「ゆ〜かり」創刊。
- 1949年(昭和24年)4月 - 男女共学となり女子生徒23人が入学。
- 1950年(昭和25年)6月1日 - グラウンドで、長崎で初のプロ野球となる大洋ホエールズと西日本パイレーツのプロ野球公式戦が開催される。当時、両翼86.9m、中堅103.7mであった[9]。
- 1952年(昭和27年) - 校旗を制定。
- 野球部、2回目の第24回選抜高等学校野球大会出場。
- 野球部、3回目の第34回全国高等学校野球選手権大会出場。ベスト4。
- 1954年(昭和29年) - 野球部、4回目の第36回全国高等学校野球選手権大会出場。
- 12月 - 西新館が完成。
- 1957年(昭和32年)9月 - 体育館が完成。
- 1960年(昭和35年)9月 - 武道場が完成。
- 11月 - 創立75周年記念式典を挙行。
- 1965年(昭和40年)11月 - 創立80周年記念式典を挙行。長商讃歌を制定。
- 1963年(昭和38年)4月 - 3学級増設し、10学級となる。
- 1966年(昭和41年)4月 - 8学級編成となる。
- 1969年(昭和44年)- 野球部、5回目の第51回全国高等学校野球選手権大会出場。
- 1971年(昭和46年)4月 - 東新館増築が完了。
- 1972年(昭和47年)4月 - 情報処理科を新設。1学年あたり商業科7学級・情報処理科1学級となる。
- 1973年(昭和48年)4月 - 商業科7学級の中に進学コースを1学級設置。
- 1975年(昭和50年)11月 - 創立90周年記念式典を挙行。
- 1985年(昭和60年)11月 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 全校生徒や教職員、同窓生1,700名が出席し、ちょうちん行列など多くの記念事業が行われる。
- 1986年(昭和61年)3月24日 - 油木校舎で最後の修了式を行う。
- 1987年(昭和62年)- 野球部、6回目の第69回全国高等学校野球選手権大会出場。
- 1989年(平成元年)4月 - この時の入学生より商業科6学級・情報処理科2学級となる。
- 1991年(平成3年)4月 - 国際経済科を設置。1学年あたり商業科5学級・情報処理科2学級・国際経済科1学級となる。
- 1992年(平成4年)4月 - 海外留学生の受け入れを開始。
- 1995年(平成7年) - 4月 - キャメル色のブレザーに制服改定。
- 11月 - 創立110周年記念式典を挙行。
- 2004年(平成16年)4月 - 商業科、情報処理科、国際経済科を情報国際ビジネス科に統合。この時の入学生より情報国際ビジネス科7学級となる。
- 2005年(平成17年)11月 - 創立120周年記念式典を挙行。株式会社ジャパネットたかた社長高田明の講演会等の記念事業が行われた。
- 2006年(平成18年)3月 - 商業科、情報処理科、国際経済科の最後の卒業生を送り出し、以上3科を閉科。
- 4月 - 全学年、情報国際ビジネス科1学科になり、各学年7学級、計21学級となる。
- 2007年(平成19年)12月 - 女子バスケットボール部、第38回全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会に初出場。
- 2016年(平成28年)- 野球部、29年ぶり7回目の第98回全国高等学校野球選手権大会に出場。
- 2018年(平成30年)12月 - 陸上部女子、全国高校駅伝女子に初出場。
- 2021年(令和3年)- 野球部、5年ぶり8回目の第103回全国高等学校野球選手権大会に出場。
- 2023年(令和5年)4月 - 情報国際ビジネス科を募集停止。この時の入学生より総合ビジネス科5学級、情報科1学級となる。
学校行事
編集- 1学期
- 4月 - 始業式、入学式、対面式、新入生歓迎会、
- 5月 - PTA総会、授業参観、中間考査
- 6月 - 高総体、生徒総会
- 7月 - 生徒会役員選挙、期末考査、終業式、中学生1日体験入学(オープンスクール)
- 8月 - 平和学習(9日 長崎原爆の日)
- 2学期
- 9月 - 始業式、体育祭
- 10月 - 中間考査、文化祭、芸術鑑賞会
- 11月 - 創立記念日(5日)
- 12月 - 高2インターンシップ、期末考査、高1・2進路体験発表会、終業式
- 3学期
- 1月 - 始業式、高3学年末考査(〜2月)
- 2月 - 強歩大会、高2修学旅行、同窓会入会式
- 3月 - 卒業式、高1・2学年末考査、終業式(修了式)
部活動
編集大会成績
編集- 運動部
- 野球部 - 春の甲子園出場2回、夏の甲子園出場8回
- 柔道部
- 剣道部
- 弓道部
- 陸上部
- ソフトテニス部
- バスケットボール部
- バレーボール部(女子)
- 水泳部
- 卓球部
- バドミントン部
- ソフトボール部(女子) - 選抜大会出場9回(3位1回)、高校総体出場18回(優勝1回、3位1回)。
- ハンドボール部
- 応援部
- 文化部
同窓会
編集- 長商同窓会(本部)- 毎年1月に新年祝賀会、11月に総会を実施。
- 関東支部
- 関西支部
- 福岡支部
著名な出身者
編集スポーツ
編集- 池田久之 - 元阪急軍選手
- 内堀保 - 元読売ジャイアンツ選手、中退
- 太田正男- 元西鉄ライオンズ・大映ユニオンズ選手
- 河津憲一 - 元阪神タイガース・東映フライヤーズ・南海ホークス選手
- 隈部一郎 - 元プロ野球選手
- 中村政美 - 元プロ野球選手
- 比留木虎雄 - 元プロ野球選手
- 松尾輝義 - 元読売ジャイアンツ選手(1969年ドラフト10位)
- 井上俊輔 - バレーボール選手、JTサンダーズ所属 岩屋中出身
- 大浦正文 - 元バレーボール日本男子代表選手、元バレーボールユース全日本男子監督
- 佐原恭輔 - 柔道家
- 向井幹博 - 柔道家
- 永田萌絵 - バスケットボール選手、トヨタ自動車アンテロープス所属
- 廣中璃梨佳 - 陸上選手
文化
編集その他
編集スクールバス
編集- 長崎バス
- 登校用
- 時津〜榎の鼻〜青葉台〜長崎商業
- 滑石・寺川内〜住吉〜長崎商業
- 立神〜宝町〜住吉~長崎商業
- 立神〜下大橋〜住吉〜長崎商業
- 新地中華街〜江戸町〜大波止〜長崎駅前〜住吉〜長崎商業
- 下校用
- 長与駅〜まなび野団地〜県立大学シーボルト校〜長崎商業〜南陽台団地〜榎の鼻〜時津
- 長崎商業〜青葉台団地〜榎の鼻〜時津
- 長崎商業〜住吉〜滑石・寺川内
- 長崎商業〜純心校前〜長崎駅前
- 長崎商業〜住吉〜長崎駅前
- 登校用
アクセス
編集- バス
- 最寄りの県道
- 最寄りの高速道路・インターチェンジ
周辺
編集- 長崎県立大学シーボルト校(旧県立長崎シーボルト大学)
- 長崎県立長崎高等技術専門校
- まなび野団地
- 長与病院
脚注
編集- ^ 読みは「しんしゅ」。意味は「物事に積極的に取り組むこと」。
- ^ 蘭通詞はオランダ語通訳、唐通詞は中国語通訳のこと。
- ^ a b 市制百年 長崎年表 (1989年(平成元年)4月1日発行 長崎市役所)
- ^ 小学校卒業者が出始めたため、長崎県が1876年(明治9年)3月2日に外浦町(現在の江戸町・万才町)の民家に開設。生徒増加により、同年10月中島聖堂に移転。
- ^ 大村・諫早・島原・福江・平戸・壱岐・厳原
- ^ この長崎県立長崎中学校(旧制)は現長崎県立長崎東高等学校、長崎県立長崎西高等学校の源流にもなっている。
- ^ 現在の夜間定時制に相当。
- ^ 前身は勝山町の旧尋常長崎女児小学校付設の幼稚科
- ^ 一般社団法人日本野球機構. “球場詳細 | 球場情報”. NPB.jp 日本野球機構. 2019年12月11日閲覧。
- ^ 北信越総体2021 ソフトボール女子 長崎商初V 4校同時、県勢金メダル第1号 春の王者に雪辱 長崎新聞 2021年8月1日
関連項目
編集外部リンク
編集- 長崎市立長崎商業高等学校
- 長商同窓会
- 英語伝習所について(WARPによるアーカイブ) - 長崎県文化振興課 長崎文化ジャンクション
- 文部科学省 学制百年史 第一編 序章 三 - 広運館への言及あり
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