長崎県立長崎南高等学校
長崎県長崎市にある高等学校
長崎県立長崎南高等学校(ながさきけんりつ ながさきみなみこうとうがっこう, 英: Nagasaki Prefectural Nagasaki Minami High School)は、長崎県長崎市上小島四丁目にある県立高等学校。略称は南高。長崎港を見下ろす高台に建っている。
長崎県立長崎南高等学校 | |
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北緯32度43分51秒 東経129度53分7.3秒 / 北緯32.73083度 東経129.885361度座標: 北緯32度43分51秒 東経129度53分7.3秒 / 北緯32.73083度 東経129.885361度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長崎県 |
校訓 | 気魄と情熱 |
設立年月日 | 1961年 |
開校記念日 | 11月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D142210000033 |
高校コード | 42103A |
所在地 | 〒850-0834 |
長崎県長崎市上小島四丁目13番1号 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集- 設置課程・学科
- 全日制課程 普通科
- 校訓
- 「気魄[1]と情熱」
- 理想は高く、気魄と情熱に燃えよ。
- 自主自律、一意学道に精進せよ。
- 健康で明朗、品位ある学徒たれ。
- 親和と友愛に充ち、礼節を重んぜよ。
- スローガン
- 「気魄と情熱 〜歴史刻みし崎陽の丘に今新しき風が吹く〜[2]」
- 校是
- 「文武両道」- 学習と部活動の両立
- 教育方針
- 真理と正義を求め、一意学問に精進する態度を養う。
- すぐれた知性と実践力を養い、積極・創造の気概を振起する。
- 正しい判断力を育て、自主・自律の生活態度を確立する。
- 部活動を奨励し、明るく、たくましい心身を培う。
- 豊かな情操と強い連帯感を養い、奉仕する心を育てる。
- 校章・校旗
- 鶴の絵の下に「高」の文字。長崎港はその形状から別名「鶴の港」と呼ばれており、その鶴を校旗に用いている。
- 学生歌
- 題名は「力を尽くして」。生徒会が呼びかけ、高校3年生を応援する歌を生徒で作詞、作曲。卒業式などで後輩たちが高校3年生に対して合唱している。作詞は奥和彦(28回生)、作曲は橋本剛(29回生)による。
沿革・歴史
編集- 1960年(昭和35年)11月1日 - 長崎地区県立新設高等学校創立準備委員会が発足。
- 1961年(昭和36年)
- 1962年(昭和37年)
- 3月 - 特別教室棟(3階建て)と体育館が完成。
- 4月 - 第1学年8学級(前年+4)編制となる。
- 1963年(昭和38年)
- 2月 - 普通教室棟(18教室分)が完成。
- 4月 - 第1学年11学級(前年+3)編制となる。
- 10月 - 運動場観覧席が完成。普通教室棟(6教室分)・図書館・管理棟・音楽室が完成。
- 11月 - 総合落成式を挙行。
- 1964年(昭和39年)2月 - 同窓会結成式を挙行。第1回生が卒業。
- 1965年(昭和40年)
- 3月 - 鉄骨2階建(普通教室8教室)が完成。
- 4月 - 第1学年13学級(前回+2、最高数)編制となる。野母崎分校(全日制2学級)を開校。
- 昭和41年8月 - プール25m 7コースが完成。[3]
- 1967年(昭和42年)
- 3月 - 柔剣道場・体操場が完成。[3]
- 12月26日 - 第2運動場の整地が完了。
- 1968年(昭和43年)12月 - エアライフル射撃場が第2運動場に完成。[4]
- 1969年(昭和44年)
- 3月 - 第2運動場テニスコート4面が完成。
- 4月 - 長崎東高等学校から茂木分校(定時制1学年1学級)を移管される。
- 分校在校生(定時制2~4 [5])年生は引き続き茂木分校に受け入れた。
- 1971年(昭和46年)
- 4月 - 茂木分校が全日制課程商業科1学年1学級編制となる。
- 9月 - 弓道場が完成。
- 11月 - 創立10周年記念式典
- 1972年(昭和47年)4月 - 野母崎分校が長崎県立野母崎高等学校[6]として分離・独立。
- 1973年(昭和48年)11月 - 屋外クラブ部室が完成。
- 1974年(昭和49年) - 茂木分校の定時制課程を廃止し、商業科2学級編制となる。
- 1975年(昭和50年)4月 - 茂木分校商業科を1学級増設。
- 1977年(昭和52年)4月 - 茂木分校が長崎県立長崎南商業高等学校[7]として分離・独立。
- 1978年(昭和53年) - 柔道着を洗わずに体育に参加した男子生徒が、罰として全裸でランニングをさせられるという体罰が表面化。新聞報道される[8]。
- 1979年(昭和54年)4月 - 第1学年11学級編制となる。
- 1981年(昭和56年)11月 - 創立20周年記念式典を挙行。運動場を全面改修。
- 1982年(昭和57年)3月 - 部室15室が完成。
- 1983年(昭和58年) - クラブハウス(倉庫・シャワー室)、部室12室が完成。
- 1984年(昭和59年) - 特別教室棟(D棟)と新エアライフル射撃場が完成。校樹に「山桜」を指定。
- 1985年(昭和60年)3月 - 職員室を増築。
- 1986年(昭和61年) - 第23回生卒業記念庭園が完成。語らいの広場が完成。
- 1987年(昭和62年)4月 - 女子制服が濃紺色に変更。
- 1988年(昭和63年)3月 - 弓道場が完成。
- 1990年(平成2年)9月 - 新体育館(情熱館)が完成。従来の体育館を気魄館と命名。
- 1991年(平成3年)
- 2月 - 新プール25m6コースが完成。
- 10月 - 正門を改修。
- 11月 - 創立30周年記念式典。
- 1993年(平成5年)
- 2月 - ブロンズ像(伝説の塔)を建立。
- 4月 - 第1学年10学級編制となる。
- 1995年(平成7年)
- 3月 - 第2音楽室・トレーニング室[9]・運動場・中庭テニスコートを改修。全天候型100mコースが完成。
- 4月 - 全学年10学級編制となる。人文探求コース・理数探究コースを設置。
- 12月 - 校史資料館(興志館)、ゆとりの館が完成。
- 1997年(平成9年)3月 - 校地緑化を開始。
- 1998年(平成10年)2月 - 南高宣言記念碑を建立。
- 1999年(平成11年)
- 2月 - 情熱館内に校訓銘板を設置。
- 4月 - 第1学年9学級編制となる
- 2001年(平成13年)
- 4月 - 第1学年8学級編制となる。
- 11月 - 創立40周年記念式典を挙行。
- 2002年(平成14年)3月 - この時の入試を最後に、長崎五校の総合選抜が廃止。[10]
- 2003年(平成15年)
- 4月 - 全学年8学級編制となる。
- 2004年(平成16年)4月 - 文部科学省よりスーパーイングリッシュランゲージハイスクール研究開発校(SELHi)に指定。[11]
- 2006年(平成18年)4月 - 第1学年7学級編制となる。
- 2009年(平成21年)3月 - 英語コースを廃止。新気魄館(体育館)が完成。[12]
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年) - 創立50周年を迎え、記念事業が行われる。
- 2013年(平成25年)4月1日 - 文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定される。
- 2014年(平成26年)4月1日 - 管理・普通教室棟が完成。
英語教育
編集沿革の中にもあるように、2004年(平成16年)度から2006年(平成18年)度までの3年間、文部科学省からスーパーイングリッシュランゲージハイスクール研究開発校に指定されていた。これを機に英語コースを設置し、学校設定科目として「Active English I・II」を開講、更には海外語学研修等を行っていた。2008年(平成20年)度に海外語学研修を終了、2009年(平成21年)度で英語コースを廃止したが、英語コースで行ってきた教育を活用するために、2009年(平成21年)度以降、学校設定科目「Active English I・II」を1年生や2年生文系選択者全員対象に開講している。また海外語学研修は、国内型語学研修に切り替え、2年生希望者を対象にAPU(立命館アジア太平洋大学、大分県別府市)で7月下旬の3泊4日の夏季語学研修を行っている。
学校行事
編集- 体育祭
- 南高最大のイベントで、赤・青・黄の色に染められたA・B・C3つのブロックで競う。3年生が中心になって企画運営する。9月に行われる。
- 文化祭
- 近年では水泳部と有志によるウォーターボーイズが披露され、地元のメディアなどに取り上げられるなど注目を集めている。体育祭の翌週に行われる。
- 強歩行大会
- 11月に開催され、約20kmを走破する。走り終わった後は、PTAよりうどんがふるまわれる。
- 修学旅行
- 高2の冬に行われる。
部活動
編集- 1970年代はラグビーで著名であり、第60回全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場したことがある。現在は陸上競技の強豪校として知られている。
- 体育部
- 文化
著名な出身者
編集- 赤岩芳彦 (工学者、九州大学名誉教授、電子情報通信学会副会長)
- 今村雅樹(建築家、日本大学教授)
- 内田春菊(漫画家)※中退
- 大村咲子(アナウンサー)
- 勝部太(音楽家)
- 岸川真(フリー編集者)
- 酒井信 (批評家)
- 三遊亭金翔(噺家)
- 城谷厚司(演出家、プロデューサー)
- 早田紀子(長崎放送アナウンサー)
- 田上富久(長崎市長)
- 高村昇(医学者、長崎大学教授)
- 立石凉子(女優)
- 浜口秀樹(バスケットボール選手)
- 東良信(内閣府審議官)
- 平田研(国土交通省不動産・建設経済局長、国土交通省大臣官房総括審議官、長崎県副知事)[13]
- 福島伸一(パナソニック副社長、関西国際空港社長)
- 松本哲哉(国際医療福祉大学大学院医学研究科・教授)
- 未須本有生(小説家、推理作家、工業デザイナー)
- 溝田泰夫(茨城銀行頭取、筑波銀行会長)
- 宮本英治(プロ野球トレーニングコーチ)
- 向井幹博(柔道家)
- 森真奈美(テレビ長崎アナウンサー)
- 山下和仁(ギタリスト)
アクセス
編集- 最寄りの鉄道駅
- いずれの駅も学校から距離があるため、バス等を使用する必要がある。
- 最寄りのバス停
- 最寄りの道路
- 国道324号田上交差点
- 長崎県道237号小ヶ倉田上線
- 長崎自動車道・ながさき出島道路 長崎ICより車で約5分
周辺
編集- 長崎市立小島中学校
- 長崎市立大浦中学校
- 国立病院機構長崎病院
- 長崎県立長崎特別支援学校
- 長崎警察署田上交番
- 南が丘簡易郵便局
脚注
編集- ^ 「きはく」と読み、「力強く立ち向かっていく精神力」という意味。
- ^ 「崎陽」は「長崎」の中国風の呼び名
- ^ a b 1989年(平成元年)に解体された。
- ^ 1983年(昭和58年)に解体された。
- ^ この当時定時制の修業年限は学校教育法で4年と定められていた。現在では改正され4年以上となっている。
- ^ 2011年(平成23年)3月に閉校。
- ^ 2008年(平成20年)3月に閉校。
- ^ 長崎の県立高では体罰 全裸にして走らす『朝日新聞』1978年(昭和53年)10月21日夕刊、3版、11面
- ^ 2008年(平成20年)に解体。
- ^ 長崎県内で、長崎市内および西彼杵郡の、かつて総合選抜制度をとっていた長崎県立の全日制普通科の5高校を長崎五校と呼んでいる。長崎南高校と長崎東高、長崎西高、長崎北高、長崎北陽台高の五つ(通称長崎五校という)が該当していた。現在は総合選抜廃止により直接の繋がりは薄れている。
- ^ 期間は2006年(平成18年)度まで。長崎県内の平成16年度指定校は長崎南と佐世保南の2校であった。
- ^ 旧気魄館およびそばの部室・第2音楽室は解体。
- ^ “平田研副知事 再任へ 長崎・大石知事 女性登用は見送り”. 長崎新聞 (長崎新聞社). (2022年6月28日) 2024年10月8日閲覧。
- ^ 「市制百年 長崎年表」(1989年(平成元年)4月1日, 長崎市役所)現代の長崎 p.374
参考資料
編集- 「長崎県立長崎南高等学校創立30周年記念誌 長崎南大樹たれ」(1992年(平成4年)2月, 長崎県立長崎南高等学校)
- 「長崎県立長崎南高等学校創立40周年記念誌 新時代碧く輝けみなみ道」(2001年(平成13年)10月, 長崎県立長崎南高等学校)
- 「気魄と情熱 長崎県立長崎南高等学校創立50周年記念誌」(2011年(平成23年)10月, 長崎県立長崎南高等学校)