長沼 権一(ながぬま ごんいち、1887年(明治20年)9月12日[1] - 1952年(昭和27年)4月26日[2])は、大正から昭和時代の政治家衆議院議員新潟県西蒲原郡道上村長、陸軍軍人

経歴 編集

新潟県西蒲原郡河間村(道上村、中之口村を経て現新潟市西蒲区河間)出身[3][4]。長沼喜八の長男として生まれ、1940年(昭和15年)家督を相続する[4]1904年(明治37年)県立新潟中学校卒業[2]。陸軍に入り、歩兵少尉に進む[2][3]

在郷軍人会西蒲原郡連合分会副長、同分会長、軍人後援会新潟支部理事、道上村長、新潟県翼賛壮年団副団長、大政翼賛会新潟県支部常務委員[3]、道上村収入役、金銭債務、小作、人事、戦時特別各調停委員を歴任した[2]

1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙では新潟県第1区から翼賛政治体制協議会推薦で出馬し当選[2]。衆議院議員を1期務めた[2]。在任中は翼賛政治会政調厚生、陸軍兼務委員を務めた[3]。1945年(昭和20年)12月1日に衆議院議員を辞職[5]。その後、公職追放となった[6][注 1]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 公職追放の該当事項は「推薦議員」。

出典 編集

  1. ^ 衆議院事務局 1942, 8頁.
  2. ^ a b c d e f 衆議院、参議院 1962, 362頁.
  3. ^ a b c d 議会新聞社 1943, 298頁.
  4. ^ a b 人事興信所 1943, ナ151頁.
  5. ^ 『官報』第5671号、昭和20年12月6日。
  6. ^ 総理庁官房監査課 1949, 一般該当者名簿392頁.

参考文献 編集