長谷川久一
日本の内務官僚
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長谷川 久一(はせがわ きゅういち、1884年(明治17年)1月7日[1] - 1945年(昭和20年)8月25日[2])は、日本の内務官僚。
長谷川久一 | |
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生誕 |
1884年1月7日 岡山県 |
死没 |
1945年8月25日(61歳没) 栃木県 |
出身校 | 東京帝国大学 |
職業 | 内務官僚 |
配偶者 | 昌子(小寺泰次郎娘) |
親 |
父:長谷川芳之助 母:なか(久保田政周姉) |
生涯
編集旧唐津藩士・長谷川芳之助(一刀流の使い手である長谷川善兵衛久徴の子)の長男として岡山県で生まれる[3]。第一高等学校を卒業。
1907年(明治40年)、東京帝国大学法科政治科を卒業。高等文官試験に合格し、内務省に入る。内務書記官、内務参事官、三重県警察部長、千葉県警察部長、警視庁第二部長、警視庁保安部長、岐阜県内務部長、内務監察官、内務省土木局長を歴任。
1923年(大正12年)10月25日、1924年(大正13年)6月24日、石川県知事を務める。1924年(大正13年)6月24日、1927年(昭和2年)3月22日、和歌山県知事を務める。1927年(昭和2年)3月22日、1927年(昭和2年)5月17日、長崎県知事を務める。1927年(昭和2年)5月17日、1929年(昭和4年)7月5日、静岡県知事を務める。
親族
編集著書
編集- 長谷川久一『独国に於ける模範市政と理想農邑』、内務省地方局、1909年10月
脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 東京都公文書館編『東京都職制沿革』東京都情報連絡室情報公開部都民情報課、1986年