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4代目長谷川 貞信(はせがわ さだのぶ、大正3年(1914年)12月16日 ‐ 平成11年(1999年)5月2日)は大阪浮世絵師文楽の絵看板を多数手がけた。

来歴編集

3代目長谷川貞信の長男。名は徳三。幼少より祖父、父のもとで絵を学び、上方絵の伝統的画法の修行を重ねつつ成長した。青年時代は始め、2代目信広と名乗り、昭和15年(1940年)に父(3代目小信)が3代目貞信を襲名した後に4代目長谷川小信を襲名した。その後、昭和43年(1968年)から、4代目長谷川貞信と名乗った。昭和38年(1963年)に文楽協会が設立された時、道頓堀文楽座から改名した「朝日座」の支配人が貞信宅を訪れ「上方絵を残したい」と文楽の絵看板を依頼したが、「看板は描けへんから」と一旦は断ったという。しかし、上方絵を後世に残すことを考えて引き受け、以後、公演ごとに描き続けた。その看板絵は現在、国立文楽劇場を軸にしておよそ200~300枚残っているといわれる。

主に肉筆浮世絵芝居絵風景画風俗画を描いたが、歌舞伎の番付などの原画や文楽の劇場看板に新境地を開き、大阪府枚方市にあるひらかたパーク菊人形の振付原画なども手掛けている。また、菊人形のポスター、パンフレット表紙などの原画作成にあたり、その構図や色彩に独特の世界を創出してきた。大阪の日本画美術団体有秋会に属し、代表委員として新人育成にも努めた。こうした長年の文化功労に対して、昭和49年(1974年)に大阪市から市民表彰を授与された。平成11年(1999年)5月2日、腎不全で死去した。享年84。 

参考図書編集

  • 浮世絵の基礎知識 吉田漱、雄山閣、1987年
  • 日本人名大辞典 上田正昭他、講談社、2001年