長野 洋(ながの ひろし、1934年1月2日[1] - 2012年10月26日)は、日本脚本家

人物 編集

中国青島市生まれ[1]、小学4年生の時に九州引き揚げ[1](一部では神奈川県川崎市出身[2]としている資料もある)。熊本大学文学部中退[1]。20代の当時、結核で5年ほど療養所生活を送っていたことがあり、退屈な生活の中でたまたま友人が持って来たシナリオ集を読んでいくうち、漠然と「脚本家にでもなれたら」と考えるようになる[1]。その後何のあても無いながらも上京し、様々な職を転々とした後に25歳の時に岡本喜八の元でしばらく居候生活をした後[1]、1963年に『ダイヤル110番』(日本テレビ)にて脚本家デビュー[1]。以後は刑事ドラマや大映ドラマの脚本を主に手掛けた。

2012年10月26日肺炎のため、神奈川県川崎市の病院にて死去[2][3][4]。78歳没。

趣味はゴルフ[1]

主な作品 編集

ドラマ 編集

映画 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h 週刊テレビ番組(東京ポスト)1985年6月28日号「脚本家の横顔」65頁
  2. ^ a b 脚本家の長野洋氏死去 時事通信 2012年11月1日閲覧
  3. ^ “おくやみ 長野洋氏=脚本家”. 読売新聞. (2012年11月1日). http://www.yomiuri.co.jp/national/obit/news/20121101-OYT1T00933.htm 
  4. ^ 脚本家の長野洋氏死去 太陽にほえろ!」「娘ざかり」 産経新聞2012年11月1日閲覧

関連項目 編集

外部リンク 編集