長野空襲

太平洋戦争中の空襲

長野空襲(ながのくうしゅう)とは、太平洋戦争中の1945年8月13日[1]に、アメリカ海軍エセックス級航空母艦ハンコック」、「ベニントン」から発進した艦載機F4U及びF6F)62機により、長野県長野市及び上田市が受けた空襲である[1]W・F・ハルゼー大将指揮下の第3艦隊第38任務部隊により実行された[1]

アメリカ軍による空襲を予告する伝単。画面左上に「長野」の文字が見える

当時アメリカ軍の設定した全国180の空襲対象都市の中で、長野市は64位、上田市は144位に設定されていた[2]。空襲の目的は交通機関の要衝としての駅や機関区を攻撃して損害を与え、飛行場の軍事施設を破壊し、人心に大きな脅威を与えることにあったとされる[3]

概要

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概ね4時15分から16時5分にかけて空襲が行われている[1]

被害

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 『長野県民の戦後60年史』(2008年2月9日、信毎書籍出版センター発行)p13 - 14。
  2. ^ 長野県内の他都市では、松本市が66位、岡谷市が125位、飯田市が177位に設定されていた。
  3. ^ 長野県史 通史編 第9巻』

関連項目

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外部リンク

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長野市における戦災の状況 総務省