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間島 弟彦(まじま おとひこ/つぎひこ[1]、1871年 - 1928年)は、明治昭和時代前期の銀行家歌人である。

略歴編集

1871年、間島冬道の七男として生まれる。東京英和学校(現・青山学院)を経て、アメリカに留学。帰国後に十五銀行に入社。その後、米山梅吉の誘いで三井銀行に転じて横浜支店長、常務とキャリアを積む。

父とともに、歌人としても知られた。1928年逝去。青山霊園に埋葬される。

その他編集

 
間島記念館(登録有形文化財)
  • 母校である青山学院の図書館建設の際に多額の寄付をしたことから、同建築物は間島の名を冠して「間島記念館」(現在は、学院の資料センターとして使用)と言われている。現在、国の登録有形文化財に登録されている。
  • 関東大震災で倒壊した鎌倉の英勝寺山門の部材を引き取り、鎌倉の自邸内に移築、保存した。その後、山門は解体され、再び英勝寺に再建されている(重要文化財[1]
  • 逝去後、鎌倉町に寄付された遺産をもとに、御成小学校敷地内に町立図書館が建設された(1936年竣工)。同小学校内に間島の記念碑が立つ[2]

参考文献編集

  • 「間島弟彦-小伝」青山学院資料センター 編集、青山学院出版、1977

著書編集

  • 「間島弟彦集」間島愛発行、1928

脚注編集

  1. ^ 名前の読みについては国立国会図書館の蔵書検索システム(NDL - OPAC)の著者名は「おとひこ」となっているが、「つぎひこ」とする資料もある。