関口 朋幸(せきぐち ともゆき、1960年10月15日 - 2000年6月)は、山梨県出身の元プロ野球選手投手)。

関口 朋幸
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山梨県南都留郡河口湖町
生年月日 (1960-10-15) 1960年10月15日
没年月日 2000年6月??日(満39歳没)
身長
体重
186 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1978年 ドラフト1位
初出場 1980年5月5日
最終出場 1990年5月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物編集

山梨県立吉田商業高等学校(現・山梨県立富士北稜高等学校)では1978年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、市川高に敗退。同年のドラフト1位で阪急ブレーブスに入団。

プロ入り2年目の1980年に一軍に定着し、6月からは先発としても起用される。1981年には抑えを任され41試合に登板、12セーブ、18セーブポイントを挙げる。しかし右肘を故障し1983年に手術。1984年には一時支配下選手登録から外れ練習生扱いとなる。1986年に復帰を果たし、1987年からは中継ぎとして活躍。1989年には35試合に登板するが、1990年には出場機会が減少、同年限りで現役を引退した。

右オーバースローの本格派だったが、後にサイドスローに転向。ストレート、カーブ、シュート、パームボールを武器とした。

引退後は兵庫県西宮市在住の会社員であった。2000年6月交通事故に遭遇し、39歳で死亡したことがスポーツライターである島尻譲の公式ブログ内にて明かされている[1]

詳細情報編集

年度別投手成績編集






















































W
H
I
P
1980 阪急
オリックス
21 7 2 0 0 3 6 1 -- .333 429 96.2 110 17 34 2 3 37 0 0 65 54 5.03 1.49
1981 41 0 0 0 0 6 4 12 -- .600 473 108.2 133 9 37 1 4 52 2 1 61 54 4.47 1.56
1982 6 3 0 0 0 2 2 0 -- .500 79 16.2 20 0 8 0 3 7 1 0 12 12 6.48 1.68
1983 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 1 0.1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00 0.00
1986 3 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 36 7.1 7 0 6 0 2 1 0 0 4 4 4.91 1.77
1987 24 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 138 35.2 27 0 8 0 2 20 0 0 6 5 1.26 0.98
1988 21 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 88 19.2 25 0 7 1 1 7 1 0 5 4 1.83 1.63
1989 35 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 162 37.2 32 4 22 0 1 15 2 0 20 17 4.06 1.43
1990 6 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 32 7.0 8 0 4 0 0 5 1 0 3 3 3.86 1.71
通算:9年 158 11 2 0 0 12 15 13 -- .444 1438 329.2 362 30 126 4 16 144 7 1 176 153 4.18 1.48
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 阪急(阪急ブレーブス)は、1989年にオリックス(オリックス・ブレーブス)に球団名を変更

記録編集

  • 初登板:1980年5月5日、対ロッテオリオンズ前期7回戦(川崎球場)、7回裏に3番手で救援登板・完了、2回無失点
  • 初奪三振:同上、7回裏に井上洋一から
  • 初勝利:1980年5月7日、対西武ライオンズ前期5回戦(西武ライオンズ球場)、4回裏1死に2番手で救援登板、4回2/3を6失点(自責点5)
  • 初先発・初完投:1980年6月26日、対日本ハムファイターズ前期12回戦(阪急西宮球場)、9回5失点で敗戦投手
  • 初セーブ:1980年9月28日、対西武ライオンズ後期10回戦(西武ライオンズ球場)、8回裏1死に3番手で救援登板・完了、1回2/3を無失点
  • 初先発勝利:1982年8月24日、対ロッテオリオンズ後期4回戦(岡山県野球場)、5回0/3を3失点

背番号編集

  • 15 (1979年 - 1990年)

脚注編集

  1. ^ 再会(後編) 島尻譲公式ブログ「シマジョーの『野球ノ歩キ方』日記」、2003年1月24日配信。

関連項目編集